橘唯奈のスキスキダイスキ②

 トークが苦手だった稀莉を彼女は変えた。

 歌えなくなった稀莉を彼女は立ち直らせた。それが彼女の圧倒的な才による挫折だったとしても、また稀莉は彼女の前に戻ってきたんだ。ライブのアンコールで登場という大々的な演出と共に彼女に示したんだ。

 二人は変わっていく。

 その一方で、私は……。



 稀莉はライブ後すぐに、お休みしていた『吉岡奏絵と佐久間稀莉のこれっきりラジオ』に復活した。

 喜ばしいことだ。けれど、ちょっとは考えてしまう。

 復活しなければ、吉岡奏絵の隣は私のままだったのにと。

 稀莉の代打でこれっきりラジオに出た時は本当に楽しかった。普段は頼りないくせにトークになると彼女の喋りは軽快で、繰り出すボケとツッコミに言葉がどんどん溢れ、前から一緒に組んでいるかのような居心地の良さを感じた。

 もし、と考えてしまうが、もしがあっても私が代わりになるとは限らない。あくまで代打だ。その場しのぎのピンチヒッター。スタメンに選ばれることはない。

 ラジオから聞こえる稀莉の声が嬉しそうだった。


『え、それって私とのキスが初めてだったってこと?』

『よしおかんったら純真なんだから~♪』

『先生、嬉しい! チュ、チュ』


 ……つい真顔になってしまう。


『まさかよしおかんが本当にキスしてくるとは』

『してないからね!?』


 ……稀莉、機嫌が良すぎでは?

 私は何を見せつけられているの? いや、音声だから何も見えてはいないけど! 知っている人な分、余計に想像してしまう。何で絵が見えてしまうのだろう。あぁ、もやもやする!


「はぁ……」


 ラジオに復活したのが嬉しいのはわかるが、それにしても稀莉は浮かれすぎだ。今まで休んでいた分爆発している。いや、それ以上の力を感じる。

 もしかして何かあったのだろうか……? 稀莉にとって良いこと。

 二人の変化。

 首を横に振り、考えを振り払う。ついつい考えてしまう、自分が嫌だ。


 知りたくなかったのに。

 私の気持ちが色づく必要なんてなかったのに。


 イヤホンを外し、目を閉じてもなかなか暗闇はやってこなかった。



 × × × 

「つかれたー」

「今日もよかったぜ、唯奈様」


 『唯奈独尊ラジオ』の収録が終わり、女性構成作家の伊勢崎さんと収録ブースを出る。次のイベントに向けての話し合いも兼ねて外でお茶することにしたのだ。伊勢崎さんは今日も絶好調でマシンガントークが止まらない。というか、この人が不調な時を見たことがない。いつもハイテンションで、感情が激しい。スイッチオフの時はあるのだろうか? とちょっと気になる。

 そんなことを考えながらマウンテン放送本社の廊下を歩いていると、良く知った人物を見かけた。


「うえっ」


 話しかけようとした私を「しー」と人差し指を唇の前に立て、止める。悪戯な笑みを浮かべる彼女に良くない予感がした。

 そんな私の不安などお構いなしに、彼女は忍び足で目的の人物に近づく。気づかれないように背後にそーっと近づき、腰を落とす。そして己の膝で相手の膝裏をロックオンし……、アタック!


「ぐはっ」


 不意打ちを喰らった男性が変な声を出す。

 膝カックンって、小学生か!?

 「またか」とあきれ顔で伊勢崎さんを生温かい目で見るのは、同じく構成作家の植島さんだ。


「やぁ伊勢崎君、収録終わりかい?」

「もっと驚けよ、植島」

「……残念ながら慣れたよ、君の奇行には」

「ふむ、じゃあ次はいきなり抱き着いてみるか」

「やめてくれ。これでも妻帯者だ。奥さんの耳に入ったら困る」

「あー、元々マウンテン放送の人だもんな。当時から美人だったな。いい人捕まえやがって」

「プライベートの話は橘君の前でやめてくれよ」


 私も常識を読まない人間であると自覚しているが、それ以上に伊勢崎さんは破天荒だ。私もこの人の影響をいつの間にか受けているのかもしれない。

 そして知らなかった植島さん情報がどんどん明かされる。奥さん、この会社で働いていたのか~。植島さんは自分のことをそんなに話さないので、同期?との会話で明かされる秘密は貴重だ。


「なぁなぁ植島。聞きたいことがあるんだが」

「ろくなことじゃないだろ」

「あんたのとこの吉岡と佐久間って付き合ってんの?」

「うなっ!?」


 植島さんが反応する前に私が変な声を出してしまう。


「なんで、唯奈様が反応すんだよ。もしや知っているのか?」

「し、知らないわよ!」


 ついついムキになってしまう。知らない。知らないけど……、何も知らされていないのが、わからないのが悔しい。

 慌てる私とは裏腹に、植島さんは落ち着いた口調で話す。


「演者のプライベートは答えられないよ、伊勢崎君。それに廊下で話す内容じゃない」

「えーつまらなんな植島。固いんだよ、お前は! 酒の席では割とべらべら話す癖に」

「それは君がどんどん飲ませるからであって」

「あのラジオの感じは復活だけじゃないだろ? 距離がぐっと近づいた、べったりだ。そりゃあんな派手な復活演出をすれば気持ちも高ぶってしまうかもしれないが」

「演出と呼んであげるなよ。あれは……、まぁ僕が言うのものでもない」


 ライブのアンコールの再会を二人も当然知っている。それほど衝撃的で、印象的で、そして……残酷でもあったんだ。


「まぁ何でもいい。仲が良いのはいいし、ラジオも大人気なのは良いことだ」

「どうも」

「悔しいことに唯奈様のラジオより再生数稼いでる」

「……恨み節でも言いに来たのか?」

「いや、別に。お前のラジオに興味はない」

「彼女らのプライベートを詮索してきたのに?」


 相変わらず自分ルールが発動しまくりだ。聞いといて、興味ないという。

 そんな支配者である伊勢崎さんが私と植島さんを交互に見て言う。


「なぁ植島に唯奈様。成就した恋はつまらないんだ」

「そんなギャルゲー脳みたいな」

「人は不幸で、困っているから面白い」


 ひどい言い方だ。

 だが、一理ある。幸せな惚気を話しても面白くなきゃ意味がない。いや、意味がないなんてことはないし、私たちは芸人ではないけど、話が広がるのは負の感情、苦労話であることが多いのも事実だ。プラスの話ばかりしても薄っぺらくなる。マイナスがラジオではプラスにだってなる。


「なぁ、今私は困っているんだ」

「伊勢崎くんが?」

「伊勢崎さんが?」


 植島さんと戸惑いの言葉が重なる。嬉しそうににこやかに話す彼女がとても困っているとは思えない。


「唯奈様が悩んでいて、私は困っている」

「わ、私?」


 困り事は自身のことではなく、私?


「お便りも意図的にお悩み相談を増やしている。人の悩みを聞いて、自己を客観視してほしいからだ。リスナーに伝える中で自己解決してほしいと思っている」

「それを本人の前で言うのが君だよな」


 植島さんの言う通り、目の前に私がいるのに平然とした顔でこの人は言ってくる。やたら最近相談のおたよりが多いと思ったらこの人のせいか。


「やりすぎて、そろそろ気づくと思ったからだ。それにこう言えば、さらに意識するだろ? 橘唯奈は馬鹿じゃない。考えれば答えは出せる。けど、考えることをためらうんだ。良くも悪くも大人。考えなくてもよいと思ってしまう。それじゃ駄目だ」

「……」


 買い被りすぎだ。私は馬鹿だし、答えを出せる自信なんてない。けど上手く返せる言葉が無く、茶化すしかない。


「伊勢崎さん、私のところのマネージャーになったらどうですか?」

「嫌だ。他人の人生をてきとーに揶揄うのが私は好きなんだ。マネージャーになって唯奈様の人気、売り上げの責任は持てない」


 植島さんがやれやれと呆れながら、ツッコミを入れる。


「無責任だなー。かき乱すだけかき乱すくせによく言うよ。さすがアニラジ業界のトラブルメーカー」

「それは植島も大概だろ。それに私はトラブルメーカーではなく、トリックスターだ」

「どこまで意図しているか、わかりづらいんだよ」

「植島だってぼけーっとしているように見えて、計算ずくの癖に。やーい、マウンテン放送のデウス・エクス・マキナ」

「機械仕掛けの神……って違くないか? それに神になったつもりはないよ。烏滸がましい。あくまで傍観者だ」

「舞台、演者を集めて並べて箱庭をつくって眺めているだけっていうのか?」


 やたら用語が出てくる。トリックスター、デウスエクスマキナ、機械仕掛け、傍観者、箱庭……、


「なんでアニメで聞いたような単語ばかりなの!?」


 真面目な顔をして、この二人は何を言っているのだろう。こんな会話でもすぐに言葉を返せるのはさすが構成作家だと思う。もしくは中二病患者か。


「で、結局なんなんだよ、伊勢崎君は。また忠告しにきたのか」

「ううん、ただの揶揄い」

「やっかいだな」

「逆に相談だ。幸せそうな二人に対し、唯奈様はどうすれば勝てる?」

「……ラジオのことだよな?」


 曖昧に笑い、伊勢崎さんははぐらかす。植島さんはそれでも答える。


「それは橘君が決めることだろ。それに勝ち負けがあるかなんてわからない」

「だってさ、唯奈様が決めていいんだって」

「なんなんだよ、ほんと」

「うーん、いちお保護者確認的な?」


 この人はいい加減なようで、めちゃくちゃなようで私のことを考えてくれる。優しい。けど、


「じゃあ頑張れよ、唯奈様!」

「え、あれ、この後の喫茶店での打ち合わせは?」

「全部言いたいこと言っちまったからな! 後は自分で考えてみよう。まぁ困ったら電話してくれてもいいけど。よーし、植島飲みに行くぞ!」

「これから収録なんだけど」

「構成作家がいなくたって大丈夫だろ」

「そんな無責任な」

「よし、じゃあ見学していくから、終わったらすぐにいくぞ」

「たまには娘におやすみと言いたいのだが」

「仕方ねーな、じゃあお前の家で飲もう。チエちゃんには私から電話しとくから!」

「人の奥さんをちゃん付けするなよ」

「知った仲だろ? 大丈夫、昔よく飲んだから」

「知っているよ、だから厄介なんだ」


 言い合いながら二人が去っていく。

 そして置いていかれる私。嵐のように過ぎ去ってしまったな……。


「……考えるか」


 それが1番難しいと言うのに。

 「じゃあ頑張れよ、唯奈様!」なんて軽々しく言って。

 でもあの人の言う通りなんだ。うだうだしているのは私らしくない。無責任と思いながらも、言葉は適格だ。

 やっぱりあの人は優しくて良い人で、そして……手厳しい。

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