第37章 推したい背中②

 車内のラジオからは三線の音が流れ、沖縄の空気を感じる。


「奏絵って不器用だけど、車の運転は上手よね」


 隣の助手席の稀莉ちゃんが嬉しげだ。

 本日20時30分過ぎの飛行機で稀莉ちゃんは東京に帰るので、遊ぶ時間は限られている。朝は6時に起き、8時前にはホテルを出発した。久米島から沖縄本島への飛行機は1番早い時間をとり、再上陸。

 そこからはレンタカーを借り、私の運転で移動だ。今日も温かく、絶好のドライブ日和。ただ運転していると、フリップだよりの私はほとんど会話できず、聞き専になっている。

 それならレンタカーを使わず移動すればよいと思うが、沖縄では仕方がない。


「電車や地下鉄がないなんて、日本じゃないみたい」


 色々な街に喧嘩を売る発言は稀莉ちゃんやめて! 東京が可笑しいだけ!

 沖縄には那覇市内を走るモノレールがあるが、移動距離は17kmと狭い。色々な観光地に行くならレンタカーか、タクシーに乗ることが必要不可欠だ。

 ちなみにものレースは『ゆいレール』という名前で、「唯奈がいたら『ゆいなレール』と勝手に名付けそうね」と稀莉ちゃんが笑っていた。コラボしたらけっこうな唯奈王国民が那覇に来るのではないかと真面目にビジネスを考えてしまう。


「沖縄といえば首里城に行きたかったけど……」


 そこは燃えちゃったからな……。


「でも炎上声優としてはいかないといけない?」


 行かんでいい! 縁起でもない。好きで炎上声優になったつもりはない。けど私も公開同棲宣言などやらかしたので、彼女を責める資格はもうない。


「奏絵が喋れないとずっとひとり言みたいで痛い人みたいね。痛くないよ、稀莉ちゃん。稀莉ちゃんかわいい、結婚して」


 声を変えて私を演じ始めた。一人二役。私、そんなキャラじゃないぞ? ないよね? うかつに結婚してなんて言えない。言った日にはそのまま契約書を書かされ、指輪を選び、式場まで連れていかれそうで怖い。隣の私は苦笑いだ。


「今日の風は絶好調ね」


 そんなオタクみたいな台詞も許せてしまうほど、窓からの風が気持ちよく、気分も晴れやかだ。

 大好きな彼女が隣にいて、笑顔でいてくれる。それだけで幸せで、今日だけはこれからのことを忘れて楽しもうと思った。

 

 

 最初の目的地の水族館までは車で2時間かかったが、稀莉ちゃんのトークが楽しく、あっという間だった。このままずっと運転しているだけでいいのでは?と思ったが、せっかくの沖縄だ、もったいない。

 本当は海で泳いだり、シュノーケリングをして潜ったりしたかったが、季節は12月であることに加え、泳げる季節であったとしても喉の手術をしたばかりの私なので塩分濃度の高い海に入るわけにはいかなかった。どちらにせよ我慢。

 そこでせめて沖縄の海を感じようと水族館にやってきたというわけだ。


「凄い……」


 「黒潮の海」では本当に海の中を泳いでいるような感覚だった。巨大アクリルパネルによる、回遊魚たちが間近に迫る大迫力の光景がそこにはあった。

 他にも熱帯魚や、サンゴなど沖縄ならではの水槽もたくさんあり、一日中いたい場所だったが、時間は限られているため、楽しみながらも足早に鑑賞し終えた。



 水族館のあとは少し遅めのご飯だ。ソーキそばとタコライスを分け合って食べ、沖縄の味を堪能した。沖縄にきてから色々な食べたが、稀莉ちゃんと一緒に食べたのが1番美味しかったのは言うまでもない。何を食べるかではなく、誰と食べるかなんだよな……としみじみと思ってしまう。おうちの晴子さんの食事が恋しい。



 次は近くの古宇利島こうりじまに向かった。


「まっすぐ~~~」

「お~」


 エメラルドグリーンの海の上を、島に行くための古宇利大橋が一直線に走る。開放的な光景に私も思わず驚きの声が出てしまった。


「奏絵知ってる? 古宇利島は恋の島と言われているのよ」


 いわれや占いなどが好きなのは普通の女子と一緒だ。その恋の島の中で、彼女が目指す場所はティーヌ浜だ。近くの駐車場に止め、浜辺へ歩いていく。

 そこにあったのは海と、岩だ。

 二つの岩が海の中で存在感を示していた。


『岩?』

「ハートロックっていうの。ほら、あっちから見ると、岩と岩が重なるとハートに見えて」


 なるほど、よく考えるものだ。

 カップルや友達と来ている人達が楽しそうに岩の前でポーズを撮り、写真を撮っている。

 同じように写真を撮るのが彼女の目的だったということだ。なんとなくできている列で順番を待ち、同じ観光客のお姉さんに写真を撮ってもらう。

 

「ほら、奏絵、指をこうして」


 爪を立てて威嚇する猫?


「違うわよ。奏絵も指出して合わせて、ハートの形にするの!」


 話していないのに伝わった。私の顔に文字でも書かれているの?

 彼女の言う通り、指で形作り、合わせる。イベントとかなら平気でできそうなことも、一般人の前でやらされると恥ずかしい。


「仲良しな姉妹ですね~」

「はい、仲良すぎるんです! お姉ちゃん大好き~」


 撮ってくれたお姉さんの言葉に稀莉ちゃんが反応し、腕を絡めてくる。悪ノリだ。微笑ましい目で見られながら、岩の前から離れ、フリップを取り出し、抗議する。


『お姉ちゃんじゃないし!』

「あら、やっぱりよしおかんで母娘の方が良かった?」

『よくない!』

「じゃあ、次はあっちから撮るわよ?」


 え、まだ撮るの? 稀莉ちゃんの指さした方向を見ると、確かに別の所にも列はできていた。

 違う角度から撮ると、ハートの形が逆になるらしい。本当によく考えるな……。


「早く撮ろうよ、奏絵お姉ちゃん~」


 もう今さら恋ではないと思うんだ。断じてお姉ちゃんでも、おかんでもないが。

 恋を通り越して……愛? でも無邪気な彼女を見て、胸がときめくのはまだまだ恋をし続けているからだとも思う。

 恋に甘い私を、嫌いなわけがない。


 

 思う存分写真を撮った後は、那覇方面へと戻っていく。

 また長時間のドライブになるので、途中で沖縄で有名なアイス店に寄った。あまり喉に冷たいのはよくないので、私は我慢だ。けど運転席の隣で稀莉ちゃんが美味しそうに食べているのを見るとこっちまで嬉しくなる。これは恋心ではなく、親心?

 先の信号が赤になり、車が止まると稀莉ちゃんが提案してきた。


「奏絵も食べる?」


 一口なら、と頷く。


「ぉいひぃ」

「ふふ、よかったわ」


 青と白のブルーウェーブ味はこの沖縄と私たちにピッタリだなと思ったり。全てが意味あるように見えるのもきっと仕方がないんだ。

 


 長時間の運転のあとは国際通りでショッピングを楽しみ、19時30分前に余裕持って那覇空港に着いた。


「一日じゃ全然足りない!」


 稀莉ちゃんが文句を言うのも仕方がない。まだまだ観光地、名所や名物は沖縄にたくさん残っている。


『また来ようよ』


 追いかけてもらった私から言うほどだ。今日という日が終わらなかったらと願うが、現実は変わらない。楽しかった冒険もここまでだ。

 彼女は東京という日常に戻っていき、私は非日常に取り残されていく。


「奏絵、またね」 

『稀莉ちゃん』


 離れたくない。

 けど、限りあるからきっと美しく、楽しい。


『待っていて』

「うん、今度こそ絶対にまたね」


 その姿が見えなくなるまでずっと見ていよう。そう思ったら彼女が振り返った。


「ねえ、奏絵。すぐ会えるよ」


 私に大丈夫と言いたかったのだろうか。

 そう言って、彼女は私から遠ざかり、やがて見えなくなった。


「……」


 何度も彼女を置いていったが、置いていかれるのは心にくる。やっぱり寂しいな。すごく寂しい。そんな想いを彼女にさせてしまっていたんだと立場が変わり実感する。

 ほとんど喋れなかったのに、やっぱり彼女といる時間は大好きで、沖縄に来て1番楽しい一日はあっさりと塗り替えられてしまった。

 好き。

 大好き。

 離れたくない。


 そのために頑張るしかないのはわかっている。

 わかっているんだ。

 稀莉ちゃん、私は……、


「……」


 それでもまだ決意ができないよ。

 楽しかった。彼女といたいと思う。今の私でもいいと思えた。

 けど彼女といることと、仕事は違う。

 違うけど、でも戻りたい。

 矛盾と願いが入り混じった心は、海の上に浮かび、波に揺れ動いたままだ。

 まだ風は止まず、私は前に進めていない。


 彼女を見送り、3分ほどそこに立ちつくしていたが、彼女が戻ってくるわけではない。諦め、ため息をつき、動き出した。「今日の食事は一人で、泣いちゃいそうだな」と思いながら出口へ向かう。


『お客様のお呼び出しです』


 館内放送が耳に入る。けど私は今日の夕飯は何を食べようかと考えながら、


『吉岡さま、吉岡奏絵さま』


 急に自分の名前が呼ばれ、足を止める。


『国際線入口近くまで至急お越しください』

「……は、はい?」


 呼ばれたのは確かに私の名前で、意味のわからないアナウンスだった。

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