第37章 推したい背中
第37章 推したい背中①
あの後、言葉少なに帰りの船に乗り、久米島のホテルへと戻った。
稀莉ちゃんも別の部屋で急遽予約を取ったが、その鍵は使わず、私の部屋までずっと引っ付いてきた。もう逃げないと伝えても、べったりだった。目を離したらすぐに逃げると思われているのだろうか。信用無いが、それだけのことをしでかしたので、私が悪い。
部屋に入り、荷物を置く。
一人予約だったが、ベッドは二つある。片方のベッドに腰かけ、反対のベッドに稀莉ちゃんが座ると思ったが、そのまま私の隣に座った。『甘えたがりモード?』とフリップで茶化して伝えるも、首を横に振り、さらに私の左腕を強く抱きしめた。物理的な束縛にちょっと嬉しさも覚えるが、このままでは話しづらく、反対側に座って貰った。
彼女の表情は不満気だったが、仕方ない。
ハテの浜で端的には伝えたが、詳しいことを説明しないと稀莉ちゃんは納得してくれないだろう。
短いようで、長くて辛い話。
『聞いてくれる?』
彼女は「うん」と頷いた。
まずは喉の病気のことだ。病気で手術をしたといったが、病名は伝えていない。声優である彼女も病名は耳にしたことがあるだろう。
『声帯ポリープと声帯結節になった』
「2つ!?」
でも二つとは思ってはいなかったはずだ。私だって今でも信じられない気持ちだ。
『そう、2つ』
「声帯結節に、声帯ポリープって……、待って、そんな状態で声を出せるものなの? 歌えたの?」
『気合い』
「そのせいで余計悪化したんじゃないの……」
それは否定できないけど、でも止めるわけにはいかなかった。病気と仲良く過ごしている時間などなかったのだ。牧野さんは提案してくれたが、私はライブを中止せず、決行した。その後の仕事は全部キャンセルし、ライブに全力を尽くした。けど、最後まで歌い切れなかった。ただそれも結果だ。今は受け入れている。その事実も含めて私の全力だったのだ。
「けど、何でラジオスタッフにも言わないのよ。植島さんも局の人も何も知らなくて大慌てだったんだから」
『え、事務所から説明なかった?』
彼女が苦い顔をする。
なかったらしい……。励ましてくれてはいたが、相変わらず抜けている事務所だ。え、私ラジオスタッフには無断欠勤だと思われているの? え、本当? 私から何も連絡していないのは悪いけど、そういうことは事務所がちゃんとしてほしい。きっと植島さんたちに薄情な奴って思われているじゃん! 活動休止は発表されたし、今から連絡するのも遅くない? おいおい、やっぱり事務所移籍か? 事務所出てくべきなのか?
「何も説明なかったから、結局私が奏絵の事務所まで突撃したわ。社長は頑なに話そうとしなかったけど、そこで牧野さんに会った」
『突撃って。牧野さん来てたんだ……』
「奏絵が沖縄にいるってことは牧野さんが教えてくれたの。先生を恨まないであげて」
『そんなことするはずがないよ』
恨むことなんてない。
今までのことは先生がいたから成し遂げられたんだ。ライブが何とかできたので、病院で手術を受けたのだって牧野さんが尽力してくれたからだ。
「……手術は無事、成功したのよね?」
『成功したよ』
手術は麻酔で眠っていたのでほとんど覚えていないが、術前の緊張感は覚えている。そして5日間の入院。その間に両親もきて、励ましてくれたことを説明した。かけてくれた嬉しい言葉も稀莉ちゃんに伝える。
「お義母さんもお義父さんも良い人ね」
『待って、みえない漢字が私には見えるんだけど!』
「茶化さない!」
『ご、ごめん』
「ご両親も奏絵を待ってくれている。信じてくれている。だからあなたが諦めちゃ駄目よ。もちろん私も同じ気持ち」
想いは、声は届いている。確かに私の心に届いて、響いている。
でも、だ。
「声が前とは違うのはわかったわ。それでどうするの」
稀莉ちゃんに改めて問われて、戸惑う。
私は、これからどうするのだろう。
「声優を辞める、なんて言わないわよね」
先にくぎを刺される。私は辞めるのだろうか。
声が違う。もう私ではない。
ファンは、業界は今の私を受け入れてくれるのだろうか。
幸いに今クールのアニメはすべて録りきっている。けど続編ものだったり、年間もの準キャラだったりは残っており、保留となっている。昔とは違う、今の私が戻ってもいいのだろうか。けど代役は嫌だという気持ちは残っている。
辞めたくない、とは思っている。思っているが、受け入れてもらえる自信がない。
歌うのはもう無理だと思っている。
けど演技も諦めるのだろうか。そしてラジオも私は諦めるの?
現実に直面し、沖縄で逃避を続けるも、答えは出てこない。
「奏絵、私は決めたわ」
「何を?」と聞く前に彼女が答える。
「このまま沖縄で一緒に暮らしましょう」
突拍子もないことを言い出し、目を見開く。
沖縄で稀莉ちゃんと暮らす?
「学校も、声優も、ラジオも全部やめる。やめてこのまま奏絵と沖縄で暮らす。仕事は沖縄で何をしたらいいかわからないけど、貯金はずっと働いていたからあるし、一緒に考えましょう。お店をやるのもいいわね。旅行ガイドをするのもいいかも。うん、せっかくなら声を使ってする仕事がいいわ」
ありえない考えが提案される。
いや、それは駄目だよ。稀莉ちゃんは声優をやらないと駄目だ。ラジオだってある。空飛びの映画だってこれから公開だ。大学を中退? そんなことしたら今まで勉強してきたことはどうなる? 稀莉ちゃんもいなくなったらこれっきりラジオが本当に終わる。私のために未来を全部捨てる? そんなの絶対に駄目。
「だめ、稀莉ちゃん、それはだ、め」
声に出ていた。声に出さなきゃこれは駄目だった。
笑顔で語っていた彼女が、急に厳しい眼差しで私を睨む。
「あなたがそんなこというの? 全部捨てようとしている奏絵が言うの?」
その通り。その通りなんだ。
私に言う資格などない。
『そうだけど、稀莉ちゃんが辞める必要はない』
「私にとっては同じことよ。奏絵と一緒にいたい、それが私の1番。でもあなたは辞めることを許してくれない。けどね、私だって同じよ。全部捨てるの? 捨てられるの、奏絵?」
その台詞はずるいよ。捨てたくて捨てるわけじゃない。
「あなたは声優をやるべき。私が憧れたからとか、勝手に思っているからとかそういうことじゃない。奏絵が信じないなら、何度でも言ってやる。耳元で毎晩囁いてあげる。もう私から離れないように声優として生きて」
過酷なことを言う。
でもそれが彼女の気持ちだ。私に辞めて欲しくない。
たとえそれがもう“私”でなくとも、声優でいてほしいと願う。
声優として、一緒に生きて欲しい。
それができないなら、自分も全部捨てて、辞めて、私といることを選ぶと。
……脅しじゃないか。
でも知っている、それが稀莉ちゃんだ。
「私、明日の夜に東京に帰るわ。ここで本当にお店を開くというなら別だけど。急遽スケジュール空けてもらっても3日以上は無理だった」
沖縄まで追っかけに来てくれたが、全部キャンセルしている私とは違う。私が沖縄で一緒に生きようと言わない限り、彼女は元の場所に戻っていく。
「奏絵、私はあなたと一緒に東京に帰りたい」
『ごめん、あと3日間、ホテルの予約が残っている』
戻っていいのだろうか。今の私でもいいの?
「予約なんて全部キャンセルしなさいよ」
『もったいない』
そんなの言い訳だ。けど、言い訳も彼女の微笑みは受け入れてくれる。
「でも考える時間が必要なのはわかっている。もう少しこっちにいていいわ。許す。私たちのお家で待っている。どんだけ逃げても追いかけるからそれは覚悟しなさいよ。あと毎日連絡すること。本当に心配したんだから」
彼女はそれでいいと言ってくれる。
私、私は……。
「さあ明日は色々なところをまわるわ! 飛行機出発までずっと一緒よ。せっかくだから沖縄を楽しまないと」
「ね!」と彼女が笑顔を向ける。
その笑顔を私は信じていいのだろうか。
答えが出ないまま、夜は更け、朝を迎えた。
ここに来てからずっと空は晴れていたが、今日は一段と眩しい気がした。
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