第36章 見上げた空は青くて⑥
南の地で再び私たちは出会った。そして私が喋れないことを稀莉ちゃんに気づかれてしまった。
「……喋れないってどういうことなのよ、奏絵」
リュックからフリップを出す。ありがとう、お父さん。かなり大活躍しているよ。ペンを走らせ、言葉を伝える。
『喉、手術したんだ』
「しらない、知らないわよ、そんなこと!」
そりゃ教えていないから知るはずもない。
ここまで来たので誰かが事実を話したかと思ったけど、皆秘密を守ってくれたらしい。ありがたいけど、言うなら私の口でということで委ねられたのだろう。
けどその口がないわけで。フリップに書くのを手間取る隙に彼女が先に口を開く。
「だってライブもちゃんとしてたじゃない!」
ああ、よかった。“ちゃんと”できていたんだ。稀莉ちゃんにも、ファンにも喉のことをバレずにやり遂げられていたんだ。
『よかった、ライブちゃんとできてたんだ』
「なんでそんな笑顔するのよ!」
『嬉しくて?』
「ばか、ばかばかばか、奏絵の馬鹿!!!」
身体をくっつけ、ポカポカと叩いてくる。その痛みが心地よくて、怒ってくれる言葉が嬉しい。ただ近すぎてフリップが書けず、私から何も伝えられない。一方的に稀莉ちゃんから言われる。
「ばか、ばか。勝手にいなくならないでよ。心配したんだから! 言ってよ、私に言ってよ。なんで言ってくれないの? いつも、いつもよ。言葉にして! 私には隠さないで。別の方法があったでしょ? どうして、どうしてなのよ!」
自分でも悪い癖だと思う。自分で勝手に考えて、結論を出して、背負い込む。
でも言えなかった気持ちもわかってほしい。稀莉ちゃんが憧れたのは、かっこいい私。歌う私。凄い私だ。
これはワガママなんだ。稀莉ちゃんには憧れのままの私でいてほしい。たとえそれで嫌われようともかっこ悪い私を見せたくない。
けど来てしまった。私にまた会ってしまった。私のワガママを貫けない。
覚悟を決める。
空気を吸い込み、お腹に少しだけ力を入れる。
「き、りぃちゃん」
喉から言葉が通過する。
喋れないとは言ったが、音を出せないとは言っていない。1日30分の制限はかけられているが、言葉を出してもいいんだ。現にお店の人や、係の人とは話をしていた。
けど、これは私の“声”ではない。
声ではなかった。
私の突然の“音”に驚き、くっついていた彼女が私から離れる。上手く喋れていないことなんて自分でよくわかっている。
「これがぃまの、わたぁしのこえ」
今、自分がどんな顔をしているかもわからない。
「へぇんでしょ?」
彼女は私の声に、うんともすんとも答えなかった。
驚く瞳でただただ私を見つめて、風と波の音しか聞こえなかった。
フリップに文字を書く。
『幻滅されるのが嫌だったんだ』
3週間経って、何事もなく彼女の元に戻るのが理想だった。
でも出してみた自分の声に失望した。これで本当に戻れるのかと思ってしまった。上手く喋れないのはリハビリしていけば変わるかもしれない。
けど、声の性質が違った。
「今さら、幻滅なんて……しない」
『優しいね、稀莉ちゃん』
私の、私だった声はもうない。
× × ×
会えば何とかなると思った。
ひどい。ひどいよ、こんな仕打ち、こんな結末はひどい。
奏絵が何をしたというのだ。
喉の手術? 喉を痛めていた? すべて初めて聞くことで、心が追いつかない。
何で、
何で私は気づかなかったの?
一緒に住んでいた。
一緒にラジオを担当していた。
彼女のライブを観に行った。
なのに、気づかなかった。誰よりも一番近くにいたのに、一番好きだったはずなのに気づけなかった。彼女に騙されきった自分が嫌になる。
でも、思い返せばちょっとした予兆も、出来事もあったのだ。
トークの時声がよく裏返っていた。
暑くもないのに、お水をよく飲んでいた。
ライブで武道館の告知がなかった。そしてライブのアンコールの最後で彼女は歌えず、泣いていた。
そう、気づけたはずなのに気づけなかった。
神様っていうやつがいたらなんてひどい奴なんだろう。
嫌いだ、嫌い。恨んでやる。一生呪ってやる。
奏絵は頑張った。頑張ってきたのに、何度も挫折をしてきたのに、それなのにまだ試練を与えるというのか。
でもそれ以上に、
彼女のその声に驚き、
違和感を覚え、
誰よりも辛いはずの彼女に気の利いた台詞を言えなかった自分が、
一番大嫌いだ。
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