第36章 見上げた空は青くて③

 こうして大阪、東京のライブが始まった。

 もう武道館どころの話ではなかった。切って、復帰しても再発の可能性だってあるんだ。歌ってまた喉が悪くなる怖さがあり、もう歌うことは辞めた方がいいと思っていた。びくびくしながら歌うのは考えたくなかった。声優としての私でいるだけでいい。リスクは最小限に、演技とラジオだけで生きていく。元通りだ。それでいい。

 だから、これで歌うのはきっと最後になる。そのつもりで挑む。その覚悟で命をかける。



 大阪のライブでは誤魔化し続けた。普段よりマイク音量をあげてもらい、声を出すことをセーブしながらも今の私の精一杯をぶつけた。

 誰も私の喉が調子悪いなんて思わなかっただろう。それほど完璧に演じてみせた。アンコールをカットしてもらい、なんとか乗り切ることができたと思う。

 けど次の日はほとんど喋れないほどに喉が痛く、痛み止めと炎症を抑える薬を飲んで、大阪のホテルでずっと寝て過ごした。



 そして1週間後すぐに東京でのライブがやってきた。

 今日という日はもう戻れなくて、アーティストの吉岡奏絵が歌うのは今日で最後となる。事前にファンに告げることができず、申し訳なく思う。けど「喉が痛いけど、頑張ります!」なんて言えない。そんな中途半端なライブは失礼だ。全力を尽くす、最後の最後まで私を絞り出す。だから、ファンには私の“何か”が伝わって、これからの力にしてほしい。吉岡奏絵のライブにきて良かったと思ってほしい。

 


 今回のライブでは関係者ですら本番前に私に会うのは禁止とした。会うのは、牧野先生と一部関係者のみだ。


「吉岡さん、喉の調子はどうですか」

「……悪くないです」

「でも良くはないですよね」


 牧野先生の言葉に黙るしかない。そう、絶好調なわけはない。


「もう止めません。あなたの意志を尊重します。事務所や、音楽関係者にいろいろ言われたかもしれませんが、吉岡奏絵は凄いんだというところを見せつけてください」

「はい」


 言葉少なに、頷く。

 事務所は心配し、やっぱり中止にしようと言ってくれた。ライブ関係者は私を尊重しながらも「キャンセルは厳しい、せめて短縮で決行。または誰かゲスト参加させる」という意見だった。他にも色々な意見があり、私一人では押し潰されそうだった。

 そして結局、ライブまでに稀莉ちゃんに言うことはなく、気づかれることもなかった。それだけが救いで、私は全ての意見を聞かず、私の考えをただただ述べた。止められずにこうして会場にいられるのは幸せだ。


「吉岡さん、ここからは私の個人的な意見です。やっぱり最後なんで言わないでください。まだまだあなたには先があります。ここで全てを投げ捨ててでも頑張る必要はありません」

 

 先生もわかっている。全部わかっている。

 それでも言ってくれる。

 また私に歌ってほしいと。これからを諦めないでほしいと。私がこれで最後にすると決めても「大丈夫、きっとまた歌える」と応援してくれる。それがどんな過酷だとしても先生は私に光を見続けさせてくれる。


「……お花、見てきます」

「ええ」


 答えずに、控え室から出ていく。

 牧野さんはそれ以上言ってこなかった。



 × × ×

「すごいな……」


 会場に並べられた花を見ただけで泣きそうになった。たくさんの応援、皆の色がそこにはある。最初のライブでは3個ぐらいだったフラスタが少なくとも20個はある。色鮮やかな幾多の気持ちは、私の心を温かにしてくれる。それにこれだけじゃない。たくさんの手紙、形にしなくてもたくさんの想いがある。届いているよ、私の色となっている。

 そして、彼女からの想いもあった。


「稀莉ちゃん」


 彼女からのフラスタは誰よりも大きく、存在感抜群でちょっと笑ってしまう。向日葵の存在感が強く、花言葉とか全部わかったうえであの子はやっているんだろうな、と愛おしく思う。

 そんな彼女を裏切ることになる。

 黙り続けた。そしてライブが終わっても黙っていく。

 黙ったまま手術して、元のように喋れるようになったら彼女の元に戻ると決めた。元のようになれなかったらきっと戻らない、戻れないんだ。彼女の重荷になりたくないと決心した私は、たぶんそのまま何処かへ去っていく。……それは嫌だな、と思いながらも、けど彼女には駄目になった私を見て、失望してほしくなかった。

 ――最後まで彼女の光でありたい。

 そうあろうと決めて、ここにいる。

 余計な言葉はきっといらない。私の姿を焼き付けて、これからの翼に変えて欲しい。それが私の願いで、最後の役目だ。





 真っ白な光の中へ飛び出す。

 ここから見る景色も最後だと思うと寂しい。


「リスタート!」


 私のラストライブが始まった。

 



 2曲、3曲と歌い、MCに入る。水を飲んだ時、喉に痛みを覚えたが、後ろ姿だったのでお客さんにはバレていない。平然を装い、表情を切り替える。


「まだまだ、いくよついて来てー!」

「「おおおおおお」」




 舞台袖で息を整える。

 必死に食らいついて、必死に耐えて、駆け抜けた。

 ただそれは本当の最後ではない。大阪ではここまでだったがこの後にアンコールが待っている。東京では歌い切りたかった。最後だからこそやり遂げたかったという私のワガママがあった。


「…‥‥」


 大丈夫だ、あと少し。

 少しなんだ。

 歓声が聞こえる。「アンコール、アンコール」ではなく、私の名前を皆が呼んでくれる。その中にきっと稀莉ちゃんの声も混じっている。

 あと少し。ごめんね、私我慢して。あと少しだよ。頑張ろう私。


 再び光の中へ戻っていく。


「皆、アンコールありがとー。いくよ、『桜色の中で』!」


 ピンク色に包まれた世界に笑顔になる。

 たぶん限界を迎えていたけど、これが最後だからと無理し続けた。この曲を合わせてあと3曲。15分もない、アニメの1話分もないんだ。

 できる、できるよ私なら。

 必死に鼓舞して、皆からの輝きを心のシャッターを押し、保存する。

 桜が見える。

 綺麗で、幻想的だなと思った。



 アンコール1曲目を歌い終え、告知に入る。

 あったかもしれない未来を告げることはできない。稀莉ちゃんはどう思っているだろう。嘘になってごめんね、夢を見させてごめんね。

 武道館を告げることなく、告知の盛り上がりのまま2曲目に入る。

 歌うのは空飛びの映画の曲だ。私達二人のための曲。

 精一杯歌うことが彼女への贖罪だから、ちゃんと聞いて、ちゃんと見て。



 あと一曲。

 最後の曲は『サヨナラのメソッド』。

 サヨナラとここでは言えない、私なりの皆へのお別れの言葉。

 けど、そこで限界がきた。


「ありがとうなんて言えなくて~♪ わた……」


 声がつまる。

 なんで。

 声が出ない。

 どうして。

 出そうとして焦っても、声にならない。

 もう無理なんだと涙が零れる。

 最後なんだよ?

 涙が止まらない。

 駄目、歌わせてよ。これが最後なんだからさ。

  

「だ、から言うよ、さ……」

 

 稀莉ちゃんに見せる最後の光なんだから。

 嫌だ、歌わせて!


 でも神様なんていなくて、私の酷使した喉は悲鳴をあげていた。

 もう声が出ない。

 出ないのに涙ばかり溢れてくる。


 ……どうして私から奪うんですか。

 1番の長所を、

 取り柄を、

 唯一の個性を、

 どうして私から奪おうとするんですか。

 どうして、どうして!

 届かない声に意味はない。

 歌わせて。

 伝えさせよ。

 稀莉ちゃんにサヨナラと言わせて。

 けど、言葉は出なかった。


「がんばれー」

「泣かないでー」

「かなえー」

「大丈夫だよー」


 「がんばれ」の声に答えられなくて、辛い。泣きたくない。歌いたい。歌わせて。

 メロデイは流れていく。

 声が声にならない。

 

 手拍子が聞こえた。

 歌えない私の代わりに皆が音楽をつくってくれた。

 視界がにじむ。

 見えない世界で必死にその光景だけでも見ようとする。

 

 サビだけでもと声を出すが、それは歌になっていない。


「さよ、ならがいえなくて、いいたく、なく、て」



 歌が終わる。声が出ないまま音が止まる。

 最後の歌が終わる。

 私は泣きながら謝るしかできなかった。歌えないのに、少しだけ喋ることはできた。歌わせてくれないのに、謝るためにこの声はあるんじゃないのに。


「ごめんね、本当ごめん。最後までしっかりと歌えなかったよ。皆の言葉嬉しかった。本当にありがとう、大好きだよ」


 涙は止まらない。

 きちんと最後まで歌えなかった。

 歌いたくて、叫びたくて、願ったのに、覚悟したのに、全部を投げ出したのに、声が出ない。

 これが私の今の全力で、限界。


 

 舞台袖で泣く私の体を牧野先生が支え、歩かせてくれる。


「頑張りました、吉岡さんは頑張りました、泣かないで、がんばりま、した」


 大声を出して泣けない私の代わりに、牧野先生がたくさん泣いてくれた。



 これが私のラストライブ。

 君の知らない、私の最後の舞台だった。

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