第34章 同じ光を見ていた
第34章 同じ光を見ていた①
赤坂駅からの方が近いが、身体も温めたいので赤坂見附駅から歩いて向かう。通勤時間からは少しずれるがそれでも歩ている人は多い。その中でスーツでない私服姿の私はちょっとだけ浮くが、そういう仕事なので仕方ない。ヒールは履かずにスニーカーなので動きやすく、この世界で生きやすい。スーツで決め、ヒールを履いて頑張る人たちにはなれないとつくづく思う。
15分ほど歩いて収録スタジオに着いた。受付に名前を書き、階段を降りると地下に収録ブースはある。音響監督や制作スタッフに「おはようございます」と挨拶をし、椅子を探す。収録ブース内のマイクは限られ、どこに座るかというのは意外と重要だ。メインキャラではないが、それなりに台詞のあるキャラなので真ん中に近いところへ座る。空音を演じた時は新人なので端に座ろうとしたが、「1番喋る人が1番移動しやすいところにいなきゃ駄目だよ」と先輩に教えられ、身を縮めながら真ん中の椅子に座ったのを思い出す。今では懐かしい記憶だ。
「かなかな、おはよー」
「おはよう、ひかりん」
よしおかん呼びが定着した私を「かなかな」呼びするのはこの人だけだ。私と1歳違いの声優、ひかりんこと東井ひかり。
「また凄いことしてかしたね、かなかな」
「今回は自分がしたので何も言えません……」
稀莉ちゃんがイベントで公開告白した直後のアフレコでもひかりんに会い、「よっ炎上声優!」と煽られたものだ。
「こっちが必死に婚活している間にそっちは同棲してイチャイチャしていたとはこりゃやられたぜ」
「そんないいもんじゃ……、いや同棲自体は凄く楽しいけど」
「素直~」
「ひかりんにつくろっても仕方ないでしょ」
聞きづらいことも仲の良いこの人ならどんどん聞いてくるので、ありがたい存在だ。
「でもでも大変だね、かなかな。……ってこともないの? なんだかすごく浮かれた顔だね」
「そんな表情してる?」
「してるしてる。話をしたそうな顔をしている」
こう求められたら話すしかないじゃないか。携帯を取り出し、画像を開く。
「これみてよ~」
「うん、なになに?」
「稀莉ちゃんの新しい宣材写真」
先日、新設された事務所へ稀莉ちゃんが移籍されたことが発表された。元の事務所から5人が一緒にその事務所へ異動となったので、特にファンも驚かず、『系列の事務所への移動でよかったー』、『仕事は変わらずですね』と安心している。表面的には特に変わっていない移籍だ。ただ移籍を期にプロフィールと宣材写真は一新された。
「おー、かわいい」
「でしょ!? 天使でしょ!? ほら、私待ち受けにしちゃったよ。そんな天使が家に帰るといるんだよ。人生浮かれない? 浮かれてもよくない?」
「あー、馬鹿だ馬鹿がいる」
彼女にぞっこんになるのも当然だ。全人類にこのカワイイ宣材写真を見てもらいたい。そして自慢したい。この子が私の彼女ですと。
「でもカワイイだけじゃなく、大人になったね~」
「そうなんだよ! 前の宣材写真も可愛いくて変わるのはちょっと残念だったのだけど、今回は成長した大人の色気もでてきていて、これはこれでいいんだよ!」
「あはは、部屋にポスターでも貼りそうな勢い」
「稀莉ちゃんの事務所の社長に問合せし、高解像度の画像を貰って印刷をしようとしたけど、稀莉ちゃんにバレて怒られた」
「すでにやろうとしていただと……!?」
「ポスターより目の前の私を見ればいいでしょ?」と怒られた。それもその通りなのだが、切り出した一瞬もいいものでしてね……。
「というか、かなかな。事務所の佐久間さんのページ見たけど、趣味特技のページ可笑しくない? 料理(花嫁修業中)、奏絵観察、おたよりを破ること、3つ全部が可笑しい!」
「寛容な事務所だよね~」
「寛容とかそういう次元じゃない!!」
いや、私だってどうかと思うよ。悪ノリにも程がある。しかしそれ以外の稀莉ちゃんの趣味というと意外とない。役者として生まれてきたような子で、演技することが全てなのだ。今ではそこに自分のことが加わって嬉しい。はい、ただの惚気です。
そんな惚気話を繰り広げていると、女の子が近寄ってきた。グレージュカラーのミディアムヘア―。背は高めですらっとした体型だな~と思う。170cm近い私より背が高そうだ。けど表情はあたふたとしている。
「お、お、お、お、お、お、おおおお」
そして言葉も落ち着かない。
「だ、大丈夫? ゆっくりでいいよ」
「しゅ、しゅみません!」
あっ、噛んだ。
「お、おはようございますっ! 93プロデュースの新人、その新人声優の
新人からの挨拶は私たちは慣れたものだが、当人はかなりの緊張があるだろう。それこそマイクの前に立つより緊張するかもしれない。失礼がないように、でも覚えてもらうように、しっかりときちんと……、それが最初は難しい。
「おはようございます。東井ひかりです」
「おはようございます。吉岡奏絵です。って、同じ事務所の新人さん?」
「はい、ご挨拶遅くなり、申し訳ございません……」
「いやいや、なんだか忙しくて事務所で会えなくてごめんね」
22歳の新人さん。大学を卒業したばかりで4月から声優になった子とのことだ。本当は4月に歓迎会があったのだが、その頃の私はライブで忙しく、行けていなかった。
「そんなことないです! ここでこうして会えて嬉しいです!」
「そう言ってくれて嬉しいよ~」
「本心です! ぼ、僕、吉岡さんの大ファンで……」
「砂羽ちゃんはボクっ娘なんだね」
「ちがっ、あ、また出て、き、緊張するとそうなっちゃうんです。なかなか治らなくて」
「いいじゃん、いいじゃん。可愛いと思うよ。ね、かなかな?」
「うんそうだね」
ひかりんの言葉に同意する。現実でも属性があると可愛いものだ。
「もうそんなに揶揄わないでください」と砂羽ちゃんは赤面する。
「ごめんね、同じ事務所なのに全然わかってなくて。マネージャーは誰なの?」
「マネージャーは片山さんです」
思わず両手を伸ばし、砂羽ちゃんの肩を掴み、真剣な顔になる。
「……砂羽ちゃん、頑張ろうね」
「えっ、はい!」
「何かあったら私が相談にのるから。そうだ連絡先を交換しよう」
「う、嬉しいです!」
おチャラけたマネージャーの片山君を新人にあてるとは私の事務所は人材不足なのだろうか。なかなか連絡してこないし、ある程度仕事に慣れた人でないと大変な人だろう。悪い人ではないのだけど……。
QRコードを読み込み、登録する。プロフィール写真が本人ではなく、タコのイラストだった。
「砂羽ちゃんは大阪出身なの?」
「え、違いますよ? あ、写真はタコが好きでして……」
「そうなんだー」
「あの、その、僕は吉岡さんの大ファンとも言ったんですが、これっきりラジオが大好きで初回から聞き続けていまして」
「そうなの!? 古参さんだ」
「1回から聞いているとは筋金入りだね」
「イベントも行きました。番組テーマソングのお渡し会も行って、嬉しくて泣いちゃって……」
イベントだけでなく、お渡し会もきているとは驚きだ。
「ありがとう。思った以上にガチ勢だね」
「ガチ勢です! 稀莉様、よしおかんの二人のこれっきりラジオが生きがいで……、あっ、僕ごめんなさい。本人を前によしおかんって」
「いいよ、いいよ。よしおかんで」
「恐れ多いです……。でもお世辞じゃないです。お二人のラジオが好きで声優になりたいと思ったんです」
嬉しい言葉だ。
「今こうして会えるのが夢のようです……」
「そんなそんなー。そうだ、いつか私たちのラジオのゲストにきてよー」
「そんなことになったら僕泣きっぱなしで、放送事故になります……」
「じゃあ私たちのラジオに来なよ。『ひかりと彩夏のこぼれすぎ!』ってラジオ番組で」
「変態ラジオに砂羽ちゃん呼んじゃだめ!」
「あの、こぼれすぎでもお便り読まれたことあります……」
「「マジで!?」」
なかなかの強者だった。聞いてみるとこれっきりラジオでもお便りが読まれたことあるらしい。リスナーとしても凄い子だ。おどおどしているがポテンシャルがありそうでもっと話してみたくなる。
新しく出てくる声優さんも椅子を奪うライバルだ。でも私を慕ってくれて、ラジオを聞いて声優になりたいと思ったなんてお世辞でも嬉しすぎる。
「さぁ、テストから始めるよ」
音響監督の合図でアフレコが始まる。その日はいつもより良い演技ができた気がした。
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