第33章 ときめきの導き④

 長田さんが事務所からいなくなる。つまり、それは、


「長田さんがクビ!?」

「佳乃、待ってよ! 急すぎるでしょ!? どうして辞めるなんてことになるの?」

「長田さん私のせいですよね!? そんなこと駄目ですよ!」

「待ってよ、私の声優活動に佳乃は必要なの!」


 二人して大慌てだ。管理不行き届きで、長田さんが責任をとるなんて可笑しい。厳しすぎるだろう、ありえない。


「ごめんなさい、私たちも説得しにいくので考え直してください」

「誰? 誰がそんなこと言ったの? 社長、社長なの!?」


 一方で眼鏡の彼女はいたって冷静で、平然とした顔で答えた。


「え、佐久間さんのマネージャーは辞めるつもりないですよ?」

「うん?」

「え?」


 頭の中が疑問符で埋め尽くされる。マネージャーは辞めない? けど事務所からいなくなる? 二つがうまくつながらない。


「ど、どういうことですか?」

「佐久間さんのマネージャーは続けるつもりです。それには佐久間さんの承諾も必要ですが」

「待って、佳乃。話が見えないわ」

「会社作ったんです。新しい事務所の社長になりました」

「「社長!?」」


 稀莉ちゃんと一緒にふたたび驚く。予想外の答えだ。

 変わらず長田さんが淡々と話す。


「といってもこの事務所とグループ会社と思ってもらっていいです。場所もここからすぐのところに借ります」

「そういうことだったんですね。でも、どうして……?」

「そうよ、私も聞いてないわ」

「この事務所も人増えすぎなんですよね」


 所属する声優が増えると同時に、事務所のマネージャー、スタッフもどんどん増えていく。大きな事務所だから拡大していくことはできるが、けどそれも良いことばかりではないとのことだ。


「頑張って働いて、先輩になって、チーフ的な立場になってもその次がない。ポジションがない。上が辞めないから出世もできないんです。引退でもしないと辞めないですからね。下が優秀でもその居心地の良い椅子を譲ってくれない。でも会社としてはできる人を冷遇すると出ていってしまう、違う会社に移籍してしまうという不安もあるわけです」


 人は増えるが、上が詰まり、自身の立場は上がっていかない。責任は増えていくかもしれないが、役職はなく、給料があがっていかない。地位とお金の話だ。


「そこで会社がとる選択は2つです。ポジションにつけるために新しい役職を準備するか、別の場所を用意するか」


 今回は『新しい会社』をつくり、別の場所を用意したというわけだ。何処かに行くより新しい会社をつくり、グループに貢献してもらった方が得だと考えたのだろう。もしくは税金対策? 節税? ともかく長田さんは選び、社長になった。


「本当は新年になってからのつもりでしたが3カ月早めました。稀莉さんのことも少しは関係ありますが、全部ではありません。1番の理由は、前から私が担当している声優さんが独立したい欲が強くて、出ていってほしくない私と会社の意向が大きいです。彼のネームバリューを利用し、私とのダブル社長にしています。会社を持ちたかった彼と、彼と一緒に仕事を続けたい私たちとのWin-Winの関係ですね」


 夢のある話だ。実権、経営は長田さんが握るだろうが、声優さんでも社長になれるという大きな夢のような話。そういう選択肢もあるのかと驚かされる。

 それに長田さんが元々どの立場だったのかは詳しくはわからないが、マネージャーから社長への抜擢だ。知っている人の躍進にただただ驚かされ、嬉しく思う。


「すごい話ですね……」

「そうでもないですよ」


 たいしたことないように言うが、それでもいち声優からは想像もつかない世界だ。


「もううるさいんですよね。上がうるさいんです。何かする度に許可や、説明が必要なんです。レスポンスが遅いし、やりたいことができない。やっとできたと思ってももう遅い」


 「なら、社長になって自由にやった方が楽なんです」と言う。隣の稀莉ちゃんも長田さんの話におどろっきぱなしだ。


「私が社長になって私の完璧な管理の元になれば私の活動、声優さんの行いについて何も言わせません。もちろん稀莉さんのこともです」


 名前を呼ばれ、ようやく反応した。長田さんが稀莉ちゃんを見る。


「正直言いますと、今回のおふたりの行動に上は嫌悪感を示しています。けど私はそう思っていません。佐久間さんは佐久間さんのままでいいんです」


 彼女は彼女のままでいい。それは私たちを肯定する言葉だ。

 長田さんが手を伸ばす。


「佐久間さんは私についてきてくれますよね」


 少し微笑んで、自信満々に言うのだ。

 長田さんが社長の新しい事務所で働いてほしいという勧誘。マネージャーからここまで想われるなんて、羨ましいと嫉妬してしまうほど良い光景だ。

 けど、稀莉ちゃんはすぐに手を握らない。


「なんで、そこまでするの?」

「え、それを」


 聞いてしまうか、稀莉ちゃん。これほどまでに想ってくれている長田さんに答えを求めてしまうか。


「決まっています」


 ごくり。


「商品価値があるからです」

「うん……んんん???」

「はは……、直球ですね」


 稀莉ちゃんもその答えは予想していなかったのだろう。握ろうとした手が空中で行き場を失い、戸惑っている。

 親心、愛情ではなく、ビジネス。あくまで商品。さすが長田さんだ。


「まだ10代で、この実力。でもって完ぺきではありません。伸びしろもたっぷりあります。容姿も抜群で、歌もこれから伸びていくでしょう。ラジオのトーク力も『これっきりラジオ』のおかげで随分上達しました。それに吉岡さんという相手がいるので男性や不倫といったスキャンダルの心配がありません」

「それはいいんでしょうか??」


 思わず私からツッコミを入れる。


「いいんじゃないですか。その証拠にファンからの苦情が事務所に一切来ていません。可笑しいんですよ、私が悠長に新しい会社のことを考えられていること自体可笑しいんです。普通ならトラブル対応に追われています」


 一切無いって本当にどういうことなんだ。少しぐらい事務所に苦情入れてもいいんだぞ、リスナーたち? 皆、あっさり受け入れすぎてない……?


「あっ、もちろん各社からの苦情、確認はきたのでそこは反省してください」

「はい……」

「ごめんなさい……」


 すみません、やっぱり苦情がくるのは心に良くないです。


「佐久間さん、そろそろ手を握ってくれませんか? 疲れました」

「直球ねっ! 佳乃、会社名は決まっているの?」

「会社名は、おさだカンパニーです!」

「ださっ!」

「嘘です。オフィスおさだんすです」

「だからださいって!」


 社長になっても稀莉ちゃんと長田さんの関係は変わらない。姉妹みたいな関係に羨ましいなと思う。うちのマネージャーも見習ってほしいが、馴れ馴れしいのは同じか。 

 ようやく稀莉ちゃんが承諾し、長田さんの手を握る。私はその歴史的瞬間の立会人というわけだ。


「というわけで印鑑をお願いします」


 そういえばそうだ。最初から長田さんは印鑑を持ってきてほしいと言っていた。クビではなく、新しい契約。そのために本人と本人を証明する判が必要だったのだ。


「せっかくなのでハンコを二人で一緒に持って押すといいんじゃないんですか」

「何言っているんですか長田さん!? そんな婚姻届じゃあるまいし!」

「佳乃、新しい事務所では奏絵との結婚は許されるの?」

「許します」

「長田社長、これからよろしくお願いします!」

「稀莉ちゃん!?」


 印鑑を押し終わったにも関わらず、この後なぜか何もない紙に一緒にハンコを持ち、押す、私と稀莉ちゃんの写真が撮られたのであった。

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