橘唯奈のスキとキライ⑩

 食事が済んだあとはデザートを食べつつ、駅へと戻っていった。


「唯奈ちゃん、そういえばさライブ始まる前に何って言おうとしたの?」

「……忘れたと思っていたのに」


 ライブであんなに涙していたのに記憶力が良い。

 言いたいことはたくさんあった。言えないこともたくさんあった。自分で自分をまだ理解できていない。言語化できていない気持ち。

 だから、最初に思った感情を率直に述べた。

 

「私はあなたの歌を聞いて、驚いたわ。驚いた」


 最初はお風呂でぼーっと聞いただけだった。それが今では毎日聞いてしまっている。歌詞を見ずともしっかりと歌えるだろう。ハマっていることは認める。

 けどそれと同時に違う感情もあった。


「私は嬉しかったんだ。あんたはライバルになれる。歌でもライバルになれるって」


 稀莉を巡るライバル。

 とは違った本当の意味での好敵手。同じ土俵で年齢関係なく戦える相手。


「脅威だと思った」


 けどそれは悪いことではない。

 私の声優人生はすべてが順風満帆だったわけではないが、それでもかなり順調にきた。それは努力と才能と運がよかった結果なのだが、それでも順調すぎたのだ。

 つまらなかった。できすぎていた。

 目の前に壁が無く、ずっと走り続けていられることをどこか怖れていた。

 そんなある日、稀莉というほぼ同い年の尊敬できる声優に出会った。稀莉の演技は、声は凄い。でも満足できるほどではなかった。

 完璧ではない。

 完璧でないのがまた良いわけだが、アーティストとして、ラジオパーソナリティーとして私のライバルにはなれなかった。

 けど、目の前の人は違う。


「正直、競争相手がいなくて寂しかった。私が世界一すぎて、つまらなかったの」


 私の方が凄い。

 敵わないとは思わない。負けるとも思わない。

 けど、私が認める相手が現れたのだ。知っていた中から突如として大きな存在となった。

 彼女は笑う。


「面白い子だね、唯奈ちゃんは」

「よく言われる。宣戦布告よ。私は負けない。負けないわ」


 まだ私は上手くなれる。

 目の前のこの人がいるから強くなろうとする。負けないように頑張れる。


「ライバルとして認めてくれたってことだよね?」

「ええ、そうよ。絶対に負けない」


 私のことなんて彼女は見ていない。

 彼女が見ているのは、“彼女”だけだ。今日一日いただけで存分に思い知らされた。彼女は待つ。あの子が見つけてくれるようにと必死に輝く舞台に立つ。

 その輝きは、追い上げは、私が走る活力となる。

 眩さは彼女以外も照らす。

 

 手を差し出すと、彼女が握り返してくれた。

 強気な笑みは、やっぱりムカついて、仙台に連れて来てよかったなと感じる。

 そう思っていたのに、


「あーーーーー」


 神様は意地悪で、運命は私の独占を望まない。

 稀莉にバレて修羅場がなかったらかっこよく終えられたのに。

 

「何で仙台にいるの?」

「稀莉、こ、これは違うのよ」

「稀莉ちゃんが心配で、頑張っている姿みたくて。み、見て、このTシャツ、ライブに行った証拠だよ?」

「どうして二人でいるの? 奏絵がどうして唯奈と一緒なの?」

「稀莉、これはわけがあって、別によしおかんと何かあったわけではなく」

「うるさい、唯奈は黙って」

「はい、黙ります。私、橘唯奈は黙ります!」

「で、二人はいつまで手を握っているわけ?」

「へ」

「あ」

「浮気現場だ―――――――――!!!」

「ち、違う!」

「違う、違うから!」

「違わない?」

「よしおかん、否定しなさい! 違うでしょ。新幹線乗って、ライブに行って、牛タン食って、ずんだ味のたい焼き食べたぐらいでしょ?」

「デートじゃん! 完全にデートじゃん。私だって、奏絵とたい焼き食べたかった、ずんだパーティーしたかった」

「稀莉ちゃん、ずんだパーティーって何?」

「今はそこに突っ込んでいる場合じゃないでしょ、よしおかん」

「伊達さんに刀を借りてくるわ」

「伊達政宗さんも急に来られたら困るよ!?」

「歴史上の人物でしょ、伊達さんは!」


 何だこの会話とも思うが、私たちはいたって真剣だ。


「私とキスしたのは嘘だったの?」

「う、嘘じゃない」


 う、うん? 

 キ、キス? 私の聞き間違いじゃない?

 もうキスを済ましているの、この二人!?


「ねえ、吉岡さん。キスってどういうことかしら?」

「怖い、顔が怖い」


 私もすぐに敵になる。

 う、羨ましい……。じゃなくて、ふしだら! 不健全だわ!!

 へ~、キスか。キスって何!? 私の中の検索エンジンにそのワードを入れても該当しない。いや、知っているけど! 知っているわ!? 役としてそういうのを演じたこともあるけど、え、目の前の二人の唇と唇が触れ合ったわけ!? 

 さっきまでの感動が嘘のような怒涛の感情の押し寄せに、吐きそうだった。


 いや、はしゃぎすぎて牛タンとたい焼きを本当に吐きそうで、吉岡奏絵に水を飲ませてもらったのだが、それがまた間接キスであり、稀莉を怒らせたのであった。

 キス……って何だろう。



 × × × 

 悲惨な修羅場であったが、大人な私は「お土産を買わなくちゃいけない」とその場を離れ、稀莉と吉岡奏絵の二人にしてあげた。

 お土産を買いながらも、さっきの喧騒が忘れられない。気づくと自分の唇を指で触っている私がいてどうかしている。頭が全く働かず、店頭で目立っていたお菓子を買うしかなかった。


 

 私は先に新幹線に乗って待っていた。「このまま吉岡奏絵が来なかったらどうしよう」と思ったが、発車時刻ギリギリに彼女が乗ってきた。


「あら、来ないかと思ったわ」

「ごめんね、ギリギリで」


 二人が何を話したのかわからない。でもまた彼女の目が潤んでいた。修羅場の後だ。責められたという選択肢もあったが、きっと違うだろう。そんな彼女の顔を見ていると、尋ねてきた。


「どうかした?」

「何で、また泣いているのよ」

「……泣いて、ないよ」

「そう、ならいいわ」


 やっぱり気に食わないなと思う。

 自分から気をつかったくせに、その涙の意味を知りたいなんて。意識したくなくて、発車してからすぐに目を閉じ、眠りについた。



 けど、大宮に着くぐらいに目は覚めた。

 私の隣には彼女がいた。目を閉じて眠っている。

 けれど目からは一筋の涙が流れている。どんな夢を見ているのだろう。その夢に私はいるのだろうか。……いないだろうな。

 年齢は彼女の方がずっと上。子供みたいに泣いて、情けなくて、オタク全開で、ほっとけない。

 ほっとけないから手を差し伸べた。

 彼女のためと思って、一緒に来た。


 けど、この手はもう握れない。

 その唇に触れることはない。

 勝手な自己満足で、私が報われることなんてない。


 せめて涙を拭おうと、ハンカチをかざす。

 綺麗な顔だ。本人は何も思ってなさそうだが、ビジュアル面でもかなりレベルが高い。何で売れていなかったのだろう。周りの見る目がない。

 そして何で私と出会った後に、歌の才能が開花したのだろう。

 出会いが違えば、この気持ちもどうかできたのだろうか。

 目を逸らす自分の気持ち。

 膨らみ続けるこの感情に名前をつけることはもうできる。


 拭ったハンカチをぎゅっと握りしめるしかできない、この気持ちは。

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