橘唯奈のスキとキライ⑨

 イントロが流れ始め、声優さんたちが現れる。違う、この人じゃない。違う、ならあっち? 右? 左? 何処? 失礼だが私が探すのは一人。

 そして舞台の上の彼女をついに見つける。


「稀莉ちゃん……!」


 隣の吉岡奏絵も見つけたみたいだ。

 ステージの上に稀莉がいて、歌っていた。

 全体曲なので彼女の声が目立つことはないが、確かに今ここで歌っているのだ。

 グループが赤、青、黄色だからか、全体曲だと衣装は皆緑色だ。照明に反射し、ドレスが輝いて見える。そういう素材なのだろうか? スカートのフリルが細かく、可愛い。衣装さんのこだわりが見える。

 いかん、つい職業病が発動する。

 稀莉が歌っているのだ。嬉しい。

 ……嬉しいんだけど、どこか現実感がない。

 なんだかまだ信じられない。

 新しい彼女の姿。慣れてないとでもいえばいいのだろうか。夢のような、妄想のような感覚。周りが騒ぐ中、私だけが海に沈んで上からの陽の光を見上げるような不安感。

 

 ぐすっ。

 

 小さな声が横から聞こえ、意識が陸に戻される。

 吉岡奏絵が泣いていた。目から涙があふれ出ていた。でもステージの彼女の姿を見逃すことないように、しっかりと目を開けていた。涙が流れようとも気にせず、その姿を焼き付けようとしていた。


 稀莉が歌っている。


 彼女の涙を見て、やっと現実だと気づいた。


 本当に歌っているんだ。稀莉が歌っている……!


 隣の彼女の嬉しさ、感動につられてか、私も稀莉の必死な姿にぐっとくる。

 ああ、本当だ。稀莉が頑張っている。頑張っているんだ。

 不器用な彼女。演技は抜群に上手いのに、なかなか自分の感情が出せなくて、自分の声が出せなくて、自分が出せなかった彼女。一緒にイベントに出た時のトークの下手さも思い出される。アドリブに弱くて、カンペもガン見でマイクの前とは全然違う女の子。

 そんな稀莉が立派に歌っている。一人じゃなく、色々な声優さんとだが歌っているのだ。自分の足で立ち、自分の声を出している。それは借り物のキャラかもしれないが、あそこに立つのは佐久間稀莉だ。

 目が潤むのも当然だ。

 私の大好きな彼女が舞台に立っている。

 そんな奇跡に気持ちが高まるのは当たり前だ。



 1曲目が終わり、稀莉のいないグループの曲になっても隣の彼女は泣いていた。……涙腺がバグったのではないだろうか。タオルで涙を拭っては、ペットボトルのお水をぐびぐびと飲み、隣のオタクが忙しい。

 3曲終わり、やっと自己紹介になった。オタクたちのペンライトの切り替えの早さに驚く私。隣の吉岡奏絵は稀莉の紹介になるとペンライトを両手持ちし、必死に黄色を振っていた。声を出さなかっただけ良しとしよう。ライブで歌唱中は泣きっぱなしでペンライトを振る余裕がなかったのだろう、自己紹介ぐらい目立っても許してあげる。うん、隣に熱狂的なオタクがいるとこちらは少し冷静になるものだ。いなかったら「稀莉、愛しているー!」とか私も言いかねないテンションだ。

 舞台の上に立つ声優の中で、稀莉が1番可愛い。抜群に輝いている。友人びいき? 親心? ええい、可愛いのだから仕方がない。

 歌声も良い。稀莉とカラオケに行ったことはなく、キャラソンを聞いたり、イベントで聞いたりしたぐらいだが、その時よりも上手になっている。初めてのライブと思えないほどに声が出ていて、そしてキャラの声で歌えている。

 このキャラの声で歌うのが、普通に歌うのと違ってまた難しいのだ。熱が入るとキャラから離れ、自分の声になってしまう。熱は感じるがキャラのままの絶妙なバランスを保っている。

 努力したんだね、稀莉。

 離れたのは間違いではなかった、そう思うよ。稀莉はもっと上手くなる。負けるつもりなんてないけど、変わっていく彼女にちょっとだけ嫉妬を覚える。

 変われるんだ、自分を変えてしまえるんだ。

 そんなこと言ったら、稀莉は怒るだろう。唯奈は全部できているじゃん! と言ってくれるだろう。私はできた。だから寂しくも思う。 


 彼女の隣なら、変わっていける。


 そんな感覚を味わうことなく、ちょっとずるいと思ってしまう自分がいる。


 × × ×

 稀莉が舞台から去って、終演しても吉岡奏絵は感極まっていた。この人はどんだけ泣くのだ。ここまで想われて稀莉は幸せ者だ。

 まだ鼻がぐずぐずのまま、彼女が私に声をかけた。


「ありがとう」

「何がよ」


 何とは言わなかった。代わりに「アラサーになると、涙脆くなっちゃうんだ」と照れながら言った。涙脆いの域は超えているが、悪いことではない。

 そして彼女がまたお礼を言う。


「私を元気づけようとしてくれたんだね、唯奈ちゃん。誘ってくれてありがとう。唯奈ちゃんのおかげだよ」


 天敵に素直にお礼を言われるとむずがゆい。そっぽを向き、「ええ、よかったわ」と強がった声は小さく、彼女に聞こえたかわからない。

 こうして私たちのライブ遠征は終わったのだ。




 ……なんてことはなく、ライブ後に楽しいのは感想の言い合いだ。


「稀莉ちゃんが1番可愛かった」

「私の稀莉が1番カワイイ」

「私の」

「は? 私のよ?」


 仙台名物の牛タン屋さんで醜い争いを繰り広げていた。


「ともかくよかったんだよ!」

「ええ、よかったわ」

「うん」

「よかった」

「すごかった」

「うん」

「まじですごい」

「かわいい」

「ええ、かわいい」


 語彙力がない。ライブ後は感情がいっぱいで言葉にならない。それでも、さすがに頭が悪すぎると、詳細な話に変えていく。


「稀莉のグループの衣装も良かったわ。ヒマワリのモチーフで綺麗だった」

「うん、いい」

「ターンした時の、スカートのふんわり感もよくできていたわ。衣装さんナイス。動画で永遠にループしていたいわ」

「うん、すごくかわいい」

「照明もいい仕事していたわね。サビ前の一瞬の暗転で気を引き、サビで光の花が開くのはよかったわ」

「すごい、よかった」

「それに稀莉も表情豊かになっていたわね。あんなに笑顔を振りまく子じゃなかったわ。ファンサービスできるようになったのよ。成長よ」

「すごいよね」

「……脳が停止してない?」


 ずっと泣いていた吉岡奏絵の言葉は特に単調だ。


「だって、ともかくともかく良かったんだよ」

「そうね。ずっと泣いていたものね」


 そう言うと彼女は恥ずかしそうに、顔を赤くする。


「う、それは言わないでよ」


 そんなこと言われるとちょっとだけ揶揄ってみたくなる。


「えー、どうしようかな」

「ラジオとかで絶対に言わないで!」

「それはフリ? 言えってフリ?」

「違うよ! 駄目、冗談じゃないから!」

「ふふ、今後のあんたの態度次第よ」

「泣いたのは秘密で。唯奈ちゃんだけの秘密だよ」


 私だけの秘密。私にしか見せなかった姿。

 ……悪くないと思った。


「何で笑っているのさ?」


 自分の顔を触る。確かに口角が上がっていて、にやけていた。

 ライブ後の高揚感でどこか可笑しかったのだろうか。

 そう思うことにした。

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