橘唯奈のスキとキライ⑧
真っ赤なマフラーを巻き、白のケープコートを羽織る私は子供には見えないだろう。……自分でも思う、派手だ。下はデニムパンツで寒さ対策バッチリなわけだが、浮かれているのは否定できない。けっこう後悔している。今すぐ戻って地味な格好に着替えたいが、もうそんな時間はない。
東京駅で待っているとその人はやってきた。
「や、やあ」
「おそい!」
吉岡奏絵。
同業の声優と待ち合わせをした。しかし、今日は仕事ではない。
携帯電話の待ち受けを出し、時間を示す。午前9時。待ち合わせ時間にピッタリなわけだが、普通はこういう時早く来るものだろう。30分前に来てしまった自分が馬鹿馬鹿しい。
「……来るの悩んだ?」
「な、悩んでにゃい」
「噛むな! 怪しい! まぁ、出発時間は嘘ついていたからまだ余裕はあるわ」
「まったくもって信頼されてない!」
「当然でしょ? だから私が指定席もとったのよ?」
苦い顔をする。こうやって逃げられないようにでもしないと、来る決心はつかなかっただろう。万が一のことも考えたが、ここにいるだけでも良しとしよう。
「うぅ……、なんだか情けない」
「ともかく行くわよ」
「私は待つんだ。待っている。待つと決めた」とかっこよく宣言した彼女はいったい何処に行ったのだろう。調子に左右されすぎで脆く、弱い。けどその気持ちも理解できる。離れた時間はあまりにも長く、不安に思うのも仕方がない。
その手を掴む。掴まなければ、動かなそうで、逃げてしまいそうだから。
「逃げないって!」
「……心読むな」
「え? 読んではないけど」
「ああ、わかっているわよ! 調子狂うな」
初めて握手を交わした以来に握ったその手は外の寒さと違って温かく、安心した。
こうして私たちは稀莉の待つ仙台へ向かったのだ。
× × ×
「来て良かったのかな……」
「いつまで弱気なのよ。もう来ちゃったのよ仙台に。行くしかないじゃない。ほら、もうライブ会場よ」
弱気な彼女を注意する。
東京から仙台までは新幹線・はやぶさに乗れば1時間ほどで着いた。さらに仙台駅から10分ちょっとで歩いていける会場だ。アクセスは東京からでもかなり良い。
ここに来た目的は、『アイドルステップ』の初ライブが開催されるからだ。
稀莉が出ているアプリゲームのグループたちが歌う。もちろん稀莉も出演する。そう、歌えないと挫折した彼女が舞台の上で歌うのだ。頑張っただろう、苦労したのだろう。彼女の気持ちと頑張りを考えると、晴れ舞台を見にいかないという選択肢はなかった。
それは、吉岡奏絵も同じはずだった。でも彼女一人では決心がつかなかった。だからこそ私が動かした。
稀莉のため? 吉岡奏絵のため? 誰のため? それは私でもよくわからない。
「ここで歌うんだよね……」
まだ曲数も少ないので、凄く大きな会場ではない。でも初ライブで2000人弱入るライブ会場は強気だ。会場周りにはすでに多くのお客さんがいて、賑わっている。
グッズ販売のお姉さんの元気な声も聞こえる。
「唯奈ちゃん」
「うん?」
「グッズ観に行っていい?」
「ええ。やる気出てきたわね」
立ち直って良かったと思いながら、物販に向かって歩いていく。販売案内を見るとけっこうな種類のグッズがあった。本当に初ライブとは思えない。ついつい自分と比較してしまう。
私のライブでは、私を目当てで来るわけで、グッズも私に関係するものだ。だが、アプリゲーム、アニメのライブとなると若干異なる。そこには声優さん推しの人と、キャラ推しの人両方が集まってくるわけだ。
3次元と2次元。
前者は声優さんの写真や、ファイルなどを購入し、後者はキャラのラバスト、缶バッジなどを購入する。両方の層を満たすためにグッズの種類が豊富なのだ。そしてこれはあくまで大雑把な分別で、実際は声優もキャラも推すファンが多くいるわけだ。
「え、シャルちゃんのグッズ、シャルちゃんのグッズがある!」
「え、ええ。あるんじゃない。ライブでしょ、そりゃ」
「ファーストライブで、ラバストにクリアファイル、缶バッジってかなり推されているよ。全キャラじゃないよ、ラバストあるの3キャラだよ!? ありがとうございます! シャルちゃん推されている、さすが私のシャルちゃん」
ファンって大変だ。
「私のシャルちゃん……?」
演じるキャラも声優さんと同一視する。声優さんが演じていればそのキャラは愛おしく、尊いのだ。オタクちょろい。
「よし、グッズ買ってくるからちょっと待ってって!」
「急にやる気出しすぎでしょ! オタク怖い!」
でも元気なのはよかった。
物販から帰ってきた吉岡奏絵がグッズを装着してきて、眩しいオタクスマイルを決めたのには引いたのだが、まぁ本当元気になってよかった、よかった、うん。
「アイドルステップはユニットごとに色が決まっているんだ。DreamWitchは赤色系、ピンク。BlueBulletは名前の通り、青色。そして稀莉ちゃんの属するStarTRingは黄色なんだ」
「へ、へー。だから信号機みたいにオタクたちの色が違うのね」
「そう。見るだけで、何処のユニット推しかわかるんだ」
「ホントよく喋るオタクね」
「説明させといてひどい!」
「別に頼んでないわよ?」
そんなこんなで物販を終え、席につく。
席は正面よりやや右の、一階だ。ステージから近く、稀莉の顔はオペラグラスを使わなくてもよく見えそうだ。いや、持ってないけど。オタクさんたちがよく持ってきているのは見る。どれだけ鮮明に見えるのかは使ったことがないので未知の領域だ。黙っていると彼女が尋ねてきた。
「どうしたの? 緊張してきた?」
「あんたほど緊張してないわ」
そういうが自分もどこか緊張している。
自分がライブに出る以外でも、ライブに行くのは何度もある。同じ事務所の人、同じレコード会社の人の繋がりで行くことも、勉強のために行くこともある。
でもこうやって友達といくことはなかなかない。稀莉とだって、一緒にライブに行ったことがないのだ。
うん、友達? 違う。友達なんかじゃない。変な考えを振り払う。
「そうだね……、緊張している」
「案外出る人より、見守る方が緊張するもんよ」
歌う方が案外リラックスしてるもんだ。私も最初はうまくいかなかったけど慣れたら楽しめる余裕が出てきた。たとえ緊張していたとしても1,2曲で慣れてくる。
「で、そうじゃなくて、言いたかったことがあるの」
そう言った私の顔を、吉岡奏絵が見る。
そう、まっすぐに見られるとついつい視線を逸らしてしまう。改まって言うとなると恥ずかしくなってくるが、口を開く。
「あんたって歌うまいのね」
きょとんとした顔で彼女は答えた。
「へ、どういうこと?」
どういうことって……。
「どういうことって言葉のままよ! あんたの歌、アルバムを聞いたわ」
「あ、ありがとー」
「正直、誰かと思った。私の知っているあんたじゃない」
認めてあげる。あんたは凄いと。改めて私のライバルだと。
違う。
言いたい台詞はそんなんじゃない。
「だからさ、私は、今回言いたかったんだ」
言葉の続きを言う前に、BGMが止まり、歓声があがった。間が悪い。いや、私がこのタイミングで言おうとしたのが悪い。
「後で」
そう呟いて気持ちを飲み込む。
聞いて感動した。
ムカつく。
元気出た。
私のライバルがやっと現れたと思った。
何なの、何で今まで売れていないわけ?
CD買ったんでサインくれない?
言えなかった言葉はこんがらがっていて、矛盾している。
あんたなんか大っ嫌いよ、と横顔を見ながら思う。
そう、言葉なんて嘘つきだ。
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