橘唯奈のスキとキライ⑦

 稀莉がラジオをお休みし、約半年が経ち、冬がやってきた。

 ラジオの収録前の打ち合わせでスタッフと談笑していると、その人はやってきた。


「おはよう。最近絶好調だな、唯奈様!」

「スタッフに様づけされると、私が本当に言わせているみたいだからやめて!」


 男口調だが、見た目は麗しい女性である構成作家の伊勢崎さんに揶揄われる。

 ちなみに『おはよう』と言われたが、時間は18時である。そういう慣習だ。業界ルール? としてその人に今日初めて会った時は『おはようございます』の挨拶なのだ。何時であろうと関係ない。声優になり立ての頃は戸惑ったが、慣れてしまえばどうってことはない。慣れって怖い。


「リスナーにはそう呼ばせているくせに」

「誰が提案したか覚えていないの?」

「え、唯奈様だろ?」

「高校生の頃の私が言うわけないじゃない……。構成作家のあなたです」

「あれ? そうだっけ」


 本当に覚えていないのだろうか。……覚えてないだろう。都合の良いことだけ覚えてネタにするくせに、自分の言葉には責任を持たず、すぐに忘れる。まぁこの人といるから私のラジオ番組がパーソナリティ1人でも成り立っているのだが。


「嫌味じゃなく、唯奈様は忙しそうだな」

「ええ、ありがたいことにね」


 今年の春に無事ライブツアーをやり遂げ、怒涛の日々からいったんは落ち着いた。ただ秋アニメ、来年の春アニメの曲のタイアップが決まり、歌の練習の日々ではある。勢いを絶やさないのは良いことだ。 

 それに声優としての活動も、単なる曲のタイアップによる営業的起用ではなく、オーディションを突破したものだ。製作委員会が無理に押し込んだものではなく、勝ち取った成果だ。

 アーティスト活動も、声優の仕事もともに順調である。

 私はファンに、アニメ関係者に必要とされている。


「唯奈様も、すっかり大人になったな」

「伊勢崎さんのおかげと言えばいいかしら?」

「大人になっちゃってつまらん。もっと若さと初々しさがあった方がよかった」

「嘘つけ」

「ああ、嘘だよ。『ゆいどく』には必要ない」


 『ゆいどく』というのは、私が担当するラジオ番組『橘唯奈の唯奈独尊ラジオ』の略称だ。10代の女性声優が担当しているとは思えないほどに、私がいうのもなんだが、破天荒なラジオ番組だ。


「ゆいどくも150回ね」

「まだまだこれからだろ?」

「もちろん、まだまだいくわよ」 


 150回ともなると構成作家さんとも3年以上の付き合いとなるわけだ。始めから無茶苦茶で大胆で豪快な人だったと思う。たまにムカつくこともあるけど、私のやりたいことにはすぐ対応してくれ、期待に応えてくれる。私がラジオでこんなにも自由に振舞えているのはこの構成作家さんの力が大きいだろう。いや、この人が自由だから私も自由でいられるのか? 周りのスタッフの気苦労が絶えない。

 そう、私は順調で何も問題がない。

 一寸先は闇だし、急に役がもらえなくなるなど波もあるかもしれない。油断大敵ではあるが特にトラブルもなく、順調すぎるほどにラジオと共にスキルアップしてきた3年だった。


「お」


 伊勢崎さんが声を出し、ブースの外を見る。

 頭がぼさぼさで、髭がぼーぼーのワイシャツ姿の男性がガラス越しに歩いているのが見えた。

 私が何か言う前に伊勢崎さんは飛び出していた。「うわ、伊勢崎君、やめい、やめろ」と男性の悲痛な声の後、彼女は彼をブース内に引きずってつれてきた。


「唯奈様、面白いの確保してきたぞ」

「……」


 誘拐の間違いではないだろうか。男性が抗議する。


「まったく、毎度毎度ひどいな伊勢崎君は」

「おい、いい加減に君付けはやめろよ。同期だろ?」

「構成作家において同期って何だよ。会社所属ではないし、入社とかないだろ?」

「だいたい同じ時期におたより読まれた」

「リスナー時代かよ!」


 連れて来られたのは植島作雄。稀莉と吉岡奏絵がパーソナリティーを務める『これっきりラジオ』の構成作家だ。何度か別のラジオで仕事をしたことはあるが、こんなフランクに話す彼を見るのは初めてだ。いつも冷静でポーカーフェイスなイメージ。たまに熱が入り、語り出すが、それでも大きな声を出す人ではない。破天荒な伊勢崎さんとデコボコな関係で気が合うのだろうか。構成作家同士の絆?


「聞いたぞ、植島。お前のところのラジオヤバいんだろ?」

「ほんと伊勢崎君は毎回、嫌なこと言うな……」


 前言撤回。伊勢崎さんが揶揄っている、もとい虐めているだけだわ、これ。

 

「なあ、唯奈様も気になるだろ?」

「だから様って呼ばないでって。……まぁ稀莉とアイツのことは気になるけど」


 気にならないわけがない。伸びた髭を手でいじりながら植島さんが口を開く。


「佐久間君は小休止しているが、番組は順調だ。吉岡君が頑張ってくれている」

「嘘つけ。あれは強がりだ。最初は何とかなっていたが、リスナーも徐々に慣れ始め、飽き始めた。現に数字に出ているだろ」

「嫌な奴だよ、伊勢崎君は……」

「植島さん、ごめんなさい……」


 何故か私が謝る。


「吉岡君は本当に頑張っているよ。こないだはミニアルバムを出し、初ライブも見事無事にやり遂げた。アーティストとして成功している」

「だから、それはラジオにおいて関係ないだろ?」


 厳しい言葉だが、伊勢崎さんの言う通りだ。吉岡奏絵のライブの裏話や、アーティスト活動の話は面白い。CD発売後や、ライブ後はたくさんのおたよりが届いているだろう。

 でも、それは『これっきりラジオ』に求めているものではない。


 実際にSNSでのコメントの数も、実況してくれる人数も減っている。波乱がないのだ。落ち着いてしまっている。稀莉が休んでから1,2か月はそれでも勢いは保っていたが、最近は厳しい。


「今度の編成会議やばくないか」

「何とかする。伊勢崎君には関係ないだろう?」

「私には関係ないんだが、唯奈様が大いに関係している」

「え、私?」


 急に私の名前を呼ばれ、困惑する。


「唯奈様は、納得はいかんが、これっきりラジオをライバル視しているんだ。いや、正確には吉岡奏絵をか? まぁどっちでもいい。ライバルに勢いがなくなると、唯奈様も燃えず、つまらなくなるんだよ。だから頑張れ植島」

「私のラジオがつまらなくなっているっていうの、伊勢崎さん?」

「まだ大丈夫。でも唯奈はいつも闘争心を燃やしている方がいい」


 勝手だ。でもごもっともな意見だから、タチが悪い。私はそういう性質の人間だ。


「やれることはやっているが、佐久間君の問題はデリケートで」

「唯奈をそっちのゲストに出す」


 勝手に決めるな! と思うが、先に口を開いたのは植島さんだ。


「そっちに得は?」

「だから言っただろう。そっちが盛り上がれば、唯奈様が燃え上がる。それに同期のよしみだろう?」

「今度おごれってことかい、伊勢崎君?」

「私、味にはうるさいから」

「知っている」

「交渉成立だな」

 

 私の意見など関係なしに、勝手にゲスト出演が決まった。


「ちょっと伊勢崎さん!」

「予定は事務所に確認するわ。楽しみだな、唯奈様。あーもういいよ、植島。じゃあな」

「本当いつも勝手だよ、伊勢崎君は……。まぁなんだ橘君もよろしく頼むよ」

「え、ええ。よろしくお願いします」


 納得はした。理解はした。

 でも私は大人で子供だった。

 文句も言わずに従いたくなかった。勝手に決められたくない。大人に都合よく利用されたくない。

 私を焚きつけたのは伊勢崎さんかもしれないが、それでも動くのは私だ。

 もう何もできない私でいたくなかった。



 ゲスト出演も終わったある日、私は電話をかけた。


『稀莉ちゃん!?』


 開口一番、画面も確かめずに、そいつは別の名前を叫ぶのであった。


「稀莉じゃなくて悪かったわね、よしおかん」

『その声は唯奈ちゃん!?」


 私は何にだってなれる。

 ヒーローにだって、天使にだって、ラスボスにだって。

 世界を変えるのはこの私だ。

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