橘唯奈のスキとキライ⑥

 レンゲで水面を掬う。濁った世界を口に運び、吸収する。

 うまいっ。

 これはよいスープだ。続いて割りばしを割り、麺をすする。汁と絡み合った麺のハーモニーに箸は止まらない。続いてチャーシューに箸を伸ばし、


「って、何でラーメンなのよ!?」

「遅くない!? 反応遅いよ、唯奈ちゃん!?」


 イベント後、私は吉岡奏絵に誘われてラーメン屋にいた。遅い時間なのでファミレスか、ファーストフード、ラーメンの三択だったのでまぁ仕方ないと言えば仕方ないが、ラーメン屋か……とも思う。しかもけっこうコッテリ。けど悔しいことに美味しい。絶対に健康には良くない。

 

「疲れたあとってラーメンじゃない? あとビール。といっても未成年の前では飲まないけど」


 または居酒屋という選択肢もあっただろうが、20歳になってない私を連れていくなんてことはしなかった。打上げで周りが飲むことが多いので気にしないが、二人での食事なら彼女なりの礼儀だろう。ラーメンだけど!

 ただ、


「私ももう少しで飲めるようになるけど」

「え、そんな年だっけ」

「19」

「そっかー、稀莉ちゃんの1つ上だもんね~」

「何歳だと思っていたの?」

「ちゅうがくせっ……」

「なわけないじゃない!?」

「いや、だって若いじゃん! 稀莉ちゃんも唯奈ちゃんも肌ぴちぴちじゃん! すっぴんでも堂々と高画質の生放送に出られるじゃん!?」


 若さは武器。でも中学生とは心外だ。確かに童顔だけど、見た目以上に若く見られるけど、大人びてはいないけど……なんだかムカついてきた。


「別にビール飲んでもいいわよ」

「いや、今日はいいんだ」


 そう穏やかに言う彼女に、何でとは問わない。稀莉と離れたばっかり。平然を装ってはいるが、アルコールで感情の防壁を下げてしまっては気持ちがあふれ出してしまう。それは嗚咽か、涙か、後悔か、それとも前向きな想いなのか。

 私は知らない。

 それを受け止めるのはけして私ではない。


「お酒って美味しいの?」

「すごくおいしい! 働いた後のビールは最高だし、揚げ物にはハイボールが最高だし、チーズやお肉とのワインはまた最高だし、しっとりと堪能する日本酒もまた最高」

「全部最高じゃん」

「うん、最高だよ。飲めるようになったら飲みに行こうか」

「いいわね。でも稀莉が嫉妬するわ」


 私の言葉に、彼女がきょとんとした顔をする。


「……なによ」

「唯奈ちゃんからそんな言葉聞くなんて思わなかったから」


 変なこと言ったのかと振り返る。

 稀莉が嫉妬する。確かにオカシイ。

 飲みに行くのはいいと言っている。

 稀莉も一緒に行こう! ではなく、あんたなんかと一緒に行くわけないでしょ! ではない。言葉の選択が違う。私のコトバらしくない。


「……撤回するわ」

「やーい、ツンデレ」

「本気で殴るわよ」


 「こわーい」とお道化る彼女を見ると、なんだかムキになったのが馬鹿らしくなった。何なんだろうこの違和感は。


「稀莉は大丈夫よね」

「うん、大丈夫だと思う」

「思う、ね」

「絶対とはいえない。ここからは稀莉ちゃんの戦いだから」

「……そうね」

「私は待つんだ。待っている。待つと決めた」


 二人には信頼関係がある。わかる。一緒に歩こうではなく、離れた。番組が終わるのではなく、休止を選び、彼女の復活を願った。

 羨ましいと思う。

 そこまで信じられることが羨ましい。

 私にはできない。

 

「良いイベントだったわ」

「ありがとう」


 素直に賛辞を送るしかできない。


「寂しいだろうから、いつかゲストにいってあげるわ」

「うーん……、それはいいかな」

「そこは喜んで呼びなさいよ!」

「だって、荒らしていきそうだし」

「私のイメージ!」


 実際にこれっきりラジオのゲストで呼ばれることになるのだが、それはまだ少し先のこと。

 別に私に話があったわけでもない。ただ話したかったといえば、そうでもないかもしれないが、話の中身に意味はない。ただ大丈夫と伝えたかった。

 彼女と、そして彼女は大丈夫だと。吉岡奏絵なりの気遣い。自分のことで精一杯なはずなのに、強いなと思う。


「……ありがと」

「えっ? 何て言ったの?」


 もう二度と言ってはあげない。


 × × ×

 稀莉が吉岡奏絵の隣からいなくなって、私と稀莉が会うことも少なくなった。アニメを見れば稀莉の声は聞こえるし、声優専門雑誌を買えば稀莉の笑顔が見られた。でも直接会うことは少なくなった。私が高校を卒業し、声優一本になったことから彼女と収録の時間が被りにくくなったこともある。今までは別録りで一緒になることが多かったが、今ではお昼の収録が増え、稀莉とは時間が合わない。

 けど、稀莉と会ったって何もできなかった。

 吉岡奏絵は待つと決めた。

 私がとやかく言うことではない。


 そう思う時点で私はもう負けているんだ、と自覚する。

 あぁ、知りたくなかったのに。

 あんまり悔しくないと思ってしまうなんて、いったい私はどうしたというのだ。

 あんなに好きだった彼女のはずなのに、私は、私は……。


「はぁ……」


 お風呂で大きくため息をつき、反響する。


「本当、どうしたんだろう……」


 稀莉と会えなくて寂しい。

 寂しいはずなのに、意外と何とかなっている。


「好きって何だろう……」


 そんな思春期の中学生みたいな悩みを呟き、自己嫌悪に陥る。大きくなっても心はそんなに変わっていない。

 ぼけーっと湯に浸かりながら、ラジオの音声に耳を傾ける。

 稀莉の声がラジオから聞こえなくなったが、日常的に色々なラジオは聞いていた。移動中も、寝る前も、こうやってお風呂の間もラジオを聞いて、吸収して学んでいる。


 ラジオから曲が流れる。

 曲名、歌手名はわからないが、いい曲だと思った。サビが気に入った。気づいたらリズムを口ずさんでいた。


「ふふーん、ふーん……うん?」


 何だか聞いたことある気がした。

 曲は初めて聞いたのに、この声は知っている。


「……吉岡奏絵?」


 慌てて湯船から上がり、タオルを髪に巻きながら、スマートフォンを開き、調べる。

 吉岡奏絵、アーテイストデビュー。

 デビューシングルを視聴するとさっき聞いた曲だった。 


 早速配信サイトで購入し、聞く。

 『リスタート』。

 吉岡奏絵らしいタイトルだ。


 気づいたら5回連続で聞いていた。


「……ムカつく」


 嵌っていた。音楽が良いのもあるが、何より吉岡奏絵の声が良い。力強さと儚さ。こんな声が出せるなんて聞いてない!

 続いて、カップリング曲の『涙の空』を聞く。この曲はポップでキャッチ―な『リスタート』より、しんみりとして、彼女の感情を綴っているような気がした。


 いつでも側にいる。

 そして今日も同じ空を見上げる。


 誰に宛てた歌だろうか。

 聞くまでもない。


「いいな……」


 純粋に羨ましかった。

 私だって歌える。でもここまでの感情を込めてワンフレーズ、ワンフレーズを唄えるだろうか。

 こんな恋がしてみたいと思った。

 稀莉のことは好きだ。好きだけど、この想いには敵わないのだ。

 誰かのために歌ってきたつもりだった。

 その誰かは皆で、自分で、それでいいと思う。悪くない。

 けして悪くないのに、自分には足りなかった。


 恋。

 

「いつでも側にいる、そう誓ったから♪」


 いい歌だ。私にはない魅力が彼女にはある。


 後日、せっかくだからと配信だけでなく、CDも買った。白いワンピースを着て、草原の中で手を広げるジャケットに、まったくアイツらしくなくて笑ってしまった。清純派? よしおかんのイメージとは違う、ウケる。

 「なにこのジャケット(笑) 思わず買ったわ、サイン書いてよ」と言ったら吉岡奏絵は喜ぶかな。そう思い、いつもバッグに入れていたが、いざアイツに会うとなかなかCDを取り出せず、結局何カ月経ってもサインはもらえなかったのであった。

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