橘唯奈のスキとキライ⑤
私は強くて、完璧だ。
違う。そう、虚勢を張っているだけ。
はじめてステージに立ってマイクを持った時、見事なほどにうまくいかなかった。
練習と違って声がよく出ない。いつものことができない。あんなに練習したダンスをミスした。歌詞だって間違えた。音も外した。立ち位置だってよくわからなくなった。途中のMCもカンペをガン見して喋っていた。
全然うまくできなかった。後悔だらけの初ライブ。
でもそれでも私はあの光景を忘れない。忘れられない。
お客さんがペンライトを振ってくれた。お客さんが私に歓声をくれた。アンコールの声には涙を流してしまった。最後の挨拶だって泣きっぱなしだった。
反省しかないライブ。それでも崩れなかったのは、最後までやり終えたのはファンの人がいたからだ。光を貰った。私が輝かなきゃいけないのに、皆からパワーを貰った。
一人じゃない。私は一人だけど、一人じゃない。
もっと頑張ろうと思えた。もっと歌いたい、届けたい。次はもっと完璧に、もっと上手に、もっと心を震わす歌を皆のために、そして自分のために、そう思えたんだ。
私は弱い。
強くはなれない、だから強くありたいと思う。
前を向き、私は歌う。素敵な景色を何度も味わいたい、他の人なんかに譲ってあげない。
この場所は唯奈が独占だ。
「ねえ、唯奈歌うのって楽しい?」
はっと意識を戻す。
アフレコで稀莉と一緒になった後、暗い雰囲気だった彼女を喫茶店に誘った。何があったかは知らなかったが、貼り付けた笑顔を現場で必死に振る舞う彼女を放ってはおけなかった。
「楽しいわ。すごく楽しい」
私が私以上でいられる時間。あの場所に立つために私は生まれてきたんだと思えるほど、ライブの感動、高揚感、楽しさは他では味わえない。
だが目の前の彼女は表情を崩さず、私の答えに「そう」とただ頷き、淡々と告げた。
「私は楽しいと思っていた」
思って、いた。
過去。今は楽しいと思っていない。
「稀莉……、いったい何かあったの?」
「私ね、唯奈に負けないぐらいのアーティストになりたいと思っていたの。唯奈のライブ、本当によかったわ。悔しいほどに感動して、心が震えて、燃えた」
彼女の賛辞は嬉しい。嬉しいが、気持ちは舞い上がらない。
「自分もできると思ったんだ。唯奈みたいに立派にかっこよく歌えると思ったんだ」
彼女と、吉岡奏絵のラジオを聞いているから何となく察する。番組のテーマソングづくりを二人はしていた。先日曲も無事発売されている。
歌えた。歌えたはずなのだ。
「上手く歌えなかった」
でも、上手くはいかなかった。
「唯奈は聞いてくれた?」
「……うん、よかったわ」
「どっちが」
「……」
答えられるはずがない。わかる、聞けばわかる。加工もされているだろうが、わかる。稀莉もけして上手くないわけではない。
「稀莉もよかったわ」
「……うん」
はぐらかすが、それが答えだ。
空気が重苦しい。いつも会いたかった彼女に今日ばかりは逃げたいと思ってしまう。
「私ね、レコーディング当日歌えなかったの」
「えっ」
「奏絵の声を聞いたら、歌えなかった」
「それは……」
それほどなのか、吉岡奏絵は。
稀莉が歌えないほどに上手いとおいうのか。稀莉の言う通り、番組テーマソングでは吉岡奏絵の歌のうまさに驚いた。けど、それは抑えられたものである。
胸が高鳴る。同じ声優が絶句するほどの実力。
……本当の吉岡奏絵の実力を知りたい。
でも、その好奇心を彼女の前で曝け出すわけにはいかない。
「稀莉、頑張って……」
「頑張ってるよ、でもどうしよもないじゃない」
無責任な「頑張って」。でもそれ以外言えないから。
私は何もできなかった。褒めることも、慰めることも、アドバイスなんてできない。だってこれは二人の問題。稀莉が歌いたいかどうかは自分が決めることだ。私が決める権利なんてない。
違う、逃げたのだ。
私は向き合えない。無責任なことを言えない。
じゃあ、歌わなくたっていいじゃないって。歌わなくたって稀莉にはきちんと声優の道があるじゃないかって。
言えるわけない。
ラジオのパーソナリティーに向いてないと思って、ただ「ラジオのトークが下手」というだけで、具体的なことを私は何もしなかった。
同じだ。向いていない。今度は彼女自身が気づいた。思い知らされた。
いや、向いてないことなどないのだ。けど、上にはいけない。
練習すればどうにかなる、曲が合わなかっただけと、そう割り切れるほどこの世界は甘くない。
「ごめん」
「……私こそ、ごめん。八つ当たりしたくて話したんじゃないのにごめんなさい」
何も解決しないまま、解散となり、ほどなくして稀莉のラジオ休止が決まった。
『これっきりラジオ』は終わるわけではなく、その間は吉岡奏絵が1人で務めるとのことだった。でもそれは二人のラジオなのだろうか?
アーティストの道だけじゃない。ラジオもできないほどに彼女は追い詰められていたのだ。
なのに、私は……。
私と稀莉は違う。
好きだけど、同じ人間ではない。
好きだけど、踏み込めない。
人生を変えるほどのことを、できない。
そこまでの責任がない。
私では力になれない。
私は無力だ。
× × ×
稀莉が休止となる前の、最後のラジオイベントの関係者席をもらった。昼は予定が合わず、夜に行くことになった。
稀莉は笑いながら、目には涙を浮かべていた。彼女の挨拶にもらい泣きをしてしまった。
頑張った、頑張ったんだよ稀莉は。
けど、これでよかったなんて言えない。
イベントが終わり、最後に挨拶をしようと関係者口に行くと、吉岡奏絵に会った。
「稀莉は……?」
「帰ったよ」
そっかと呟き、言葉を失う。少しほっとした気持ちもあり、そんな自分の心を恨む。吉岡奏絵の目をみると赤かった。
でも、彼女の顔はどこか晴れやかで、
「あのさ、唯奈ちゃん。ちょっと付き合ってくれない?」
「え?」
「ご飯でもいこうよ。お腹空いちゃってさ」
アフレコ終わりぐらいの軽いテンションで誘ってくるのだった。
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