橘唯奈のスキとキライ④

 橘唯奈は忙しい。

 高校卒業後は仕事に専念したかったので、大学は行かなかった。声優の仕事以外にアーティスト活動、ラジオ番組のレギュラー2つ。とても学校に行っている暇はなかった。

 いや、行けなくはない。でも現場でともかく学びたかったのだ。将来のリスクはある。それでもこの道で生きていくと決めたから私は後悔しない。

 私は凄い。それでも経験値は少ない。

 同じ年齢の人の中では断トツに役を演じているが、でも声優は同じ学年の勝負ではない。年齢関係なく、勝負なのだ。敵は中堅、ベテラン。若手に勝てればいいという話ではない。誰にだって勝つ必要があるのだ。それに若いからとチヤホヤされてもすぐに新しい人が出てくる。新陳代謝の早い業界なのだ。入れ替わっていく中で、不可欠な人にならないといけない。

 だから今日も私は手を抜かない。どこにだって全力で、何にだって真剣に取り組む。



「おはようございます! 今日もよろしくお願いします♪ もしよかったら食べてください~」


 ライブの前日。会場入りしたスタッフさんに笑顔でクッキーを配る。ラッピングしたクッキーを嬉しく貰う一人一人の顔を見る。

 マネージャーに「唯奈は生まれ持って人たらしだな」と言われたことがあるが、違う。営業努力と言われればそれまでだが、私がステージに立てるのは多くのスタッフさんのおかげだ。皆がよく働けるように、私のために全力を出してくれるために、これぐらいの差し入れは容易い。

 でも現場では妥協しない。


「PAさん、もっと周りの音あげてくれませんか?」

「私、絶好調なんでついて来てください!」

「まだまだできますよね?」


 スタッフたちは私の強気な言葉にも嫌な顔をせず、応え、ぶっつかってくる。歌うだけじゃない。ダンス、カメラによく映る位置、表情。緻密な計算と演出表現、多くの人の努力と莫大な予算が私に懸けられる。


「いいですね、みえました」


 良い会場だ。今は人のいない席も、明日には満員になる。全員を唯奈の虜にさせ、最高の一日にさせてあげる!



 ……でもいつも強気でいるのは疲れる。

 たまにだって、私も癒されたい。そういう時は彼女の声が聞きたい。

 相手の用事も知らずに電話をかけた。


『どうしたの唯奈?』


 電話をかけると、すぐに彼女は出た。


「稀莉の声が聞きたかった」

『唯奈キモい』


 マイナスな言葉なのに、体がびくっと震える。……罵倒も悪くない。稀莉からの言葉なら、気持ちいい。いけない、良くない扉が開く。


「明日ライブなの」

『そうだったわねー。大変ね』

「大変大変、超大変。だから」


 おねだりをする。


「愛しの唯奈、私のために頑張って!と言ってくれない?」

『ゆ い な、が ん ば っ て』

「何でカタコトなの!?」

『頑張るのはファンのためでしょ?』


 そうだが、ここで正論をかまさないでほしい。

 東京のライブじゃないので、わざわざ彼女は来てくれない。都内がメインの仕事場となる声優さんを、関東以外に呼ぶのは気が引ける。ライブは土日が多いが、他の声優さんもイベントが入りやすい曜日だ。サプライズで来てくれたらすごく嬉しいが、ツンツンな稀莉のことだから来てくれないだろう。本当は私のライブに行きたくてたまらないはずなのに。あー、残念残念……そろそろデレを見せて欲しい。


「で、冗談はさておき、稀莉にお願いがあるの」

『嫌だ』

「まだ何も言ってない」

『良くないことでしょ?』


 私の印象は何なんだ。無理なお願いをしたことなどないだろう。10秒間抱きしめさせて欲しいとか、髪の毛の匂いをかがせてほしいとか、柔軟剤教えて欲しいとか、うん、全部お願いしたら断られた。


「違うわ。今度横浜でライブやるの。稀莉にぜひ来て欲しい」


 彼女は少し戸惑って、電話から離れた。


「どうしたの稀莉ー?」

 

 小さく声が聞こえる。誰かと話しているのだろうか。

 嫌な予感がした。


『私も聞いていいの?』

『うん、大丈夫よ』


 稀莉以外の声が聞こえる。聞いたことがある、よく通る声。

 ラジオで稀莉とずっと話し、羨ましい、いや恨めしい私の天敵。

 吉岡奏絵。


「げ、あの女もいるの」


 急に電話したとはいい、稀莉と吉岡奏絵が一緒にいるとは思っていなかった。仮に一緒にいたとしても、電話には出ないと思ったから意外な行動だ。


「何で、あんたたち2人でいるのよ!?」

『ラジオの収録後、時間があったからお茶しているんだよ』


 吉岡奏絵はそういったが、稀莉は同時に別のことを言った。


『ホワイトデーデート』

「あ゛あ!?」


 大きな声に、離れた休憩ブースにいた人たちが皆、こっちを見た。

 くっ、ライブ会場にいなかったら今すぐ邪魔しにいくのに! ずるい。一緒の番組ずるい。番組後のデートとかずるい。私だってホワイトデー満喫したい。あれ、私もしかして稀莉にチョコあげてない?


『あっ、ライブツアー中なんだね、唯奈ちゃん。お疲れさま』

「え、ええ、ありがとう。って、話を逸らすな!」


 ライバルに褒められ、素直にお礼を言ってしまう。違う、今すべきは奴らの状況を知ることで、


『単独だもんね、唯奈すごい!』

「えへへ、稀莉。それほどでも、えへへへ」


 稀莉に褒められて言うことを忘れる、ぐへへ。録音して毎日褒められたい。

 しかし、私は冷静になる。わざわざアイツも電話に出したということは、稀莉はアイツと一緒に私のライブにくるつもりなのか。

 

 それは嫌だ。だから、


『吉岡奏絵、あんたは誘っていないわよ!』


 と牽制する。

 怯むかと思ったが、代わりに彼女が答えた。


『じゃあ、私も遠慮するわ』


 と。

 えっ。


「え、ちょっと待って、稀莉。え、それは、その」

『なら、2枚よろしくね、唯奈。絶対よ』

「稀莉、怒っている?」

『怒っていないよ。優しい唯奈に怒ることないわ』

「電話からでも圧力を感じる……」


 最初の頃の遠慮がちだった稀莉が懐かしい。いつの間にこんなに強くなっちゃって……。結局、不本意ではあるが事務所を通して吉岡奏絵にはライブのチケットを送ることになったのだった。



 次の日のライブも最高で、横浜、みなとみらいでのライブも最高だった。

 みなとみらいライブの次の日携帯を見ると、稀莉と私のグッズを身にまとったオタク、吉岡奏絵の写真が稀莉から送られてきていた。


「なに、この格好、ウケる」


 思わずニヤつく。

 普段だったらツーショットにムカつきもするが、ライブが終わり、高揚している私はグッズを買ってくれた彼女に心を許してしまった。悪い気はしない。

 写真と一緒に稀莉からは『凄い良かった、私負けないから!』とメッセージが届いていた。彼女の率直な感想に嬉しさを覚える。褒めるだけでなく、高め合えるライバル。

 稀莉のことは大事で大切だ。でも声優として同じ椅子を奪い合う敵だ。彼女はもっと上手くなる。きっと歌手としても花開くだろう、油断できない。私ももっともっと頑張らなくちゃ。そう思える友だ。

 

 吉岡奏絵からも私に個別に連絡がきていた。1曲ずつの感想に「この女細かいっ!」と思いながらも、律儀に感想を送ってくれたあの女を嫌いになれない私がいたのだった。



 彼女たちは、嫉妬するほどに順調だった。

 ラジオで賞もとり、番組のテーマソングも作成決定。でもどこかで許してしまって、仕方がないとも思っていた。

 ライバル、天敵。

 彼女たちがいるから、私は強くなれるし、高みを目指せる。

 一人ではつまらない。仲間が、ライバルが強くなって切磋琢磨するから自分がレベルアップしていくのだ。


 だから稀莉がラジオをいきなり休止するなんて、思いもしなかったんだ。

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