橘唯奈のスキとキライ②
稀莉との運命的な出会いの後時間もあったので、彼女の収録を見学していくことになった。
音響監督のいる部屋の、前のソファーに座り、収録ブースにいる佐久間稀莉の演技を見つめる。マイクの前に立つと、雰囲気が変わるのがガラス越しでも伝わる。
『負けない、だって夢は、私の想いは消えないから』
たった一つの台詞で、心が震えた。
人の演技で鳥肌が立つことはある。
けどそれはベテラン声優さんや、実力ある声優さんの演技を聞いたときで、私よりも若い女の子の声を聞いてそうなるとは思っていなかった。
『消えない。あなたも負けないで。私がいるから。さぁ手を伸ばして』
粗削りな部分もある。だがそれもまたいいのだ。アニメのキャラクターがそこにいる。リアル、リアルなのだ。声の魅力、演技の魅力とも違う。彼女はキャラの空気をつくっている。
面白い。
「やるわね……」
テストから失敗はなく、音響監督も納得の出来で本番の収録もすんなりと終えてしまった。ブースから出てきた彼女は普通の高校生、いやその美貌、可愛さは普通ではなく天使なのだけど、さっきまで演じていた女の子とは思えない。
「勉強になった。稀莉、凄いわ」
手を差し出すと、彼女は困惑しながらも握り返してくれた。
「ありがとう、橘さん」
この日、私は同業者で、初めて推しができた。
それから何度もアニメで共演する機会があった。互いに勢いがあったおかげで1年の間で何個も役を射止めた。
二人とも学生なので、収録時間が被ることも多かった。収録の度に話をし、私は稀莉との愛情を深めていった。彼女からは「暑苦しい!」とよく言われるが、それもきっと照れ隠しなのだろう。周りからの共演者からも「癒される~」、「天使と天使の邂逅や」と持て囃された。実際に天使なのだから、仕方がない。佐久間稀莉は、完ぺきな私が惚れるほどの実力と可愛さを持った声優だった。
ただ、佐久間稀莉は完ぺきではなかった。
異世界を冒険するアニメで共演していた時のことだ。
私と稀莉は主人公にお供するヒロインで、アニメだけでなく、番組の宣伝ラジオも担当することになった。宣伝のためにラジオをやることは珍しくないが、パーソナリティが3回ごとに変わる持ち回り制で、各々単独での進行だった。順番は主役の男性、稀莉、その次が私だった。
自分も担当するので内容、雰囲気を掴むために自分以外の回も聞く必要があった。当然、私の前の稀莉のラジオを聞くことになるわけだが、
「つまらない……」
彼女の回は絶望的につまらなかった。
キャラを演じている時はそのキャラで上手いのだが、いざアドリブで、彼女の素が出始めると崩壊する。急にしどろもどろになり、トーンダウンする。単調で感情が沸き上がってこない、ただ宣伝を述べるだけの番組と成り下がる。
トークが下手。
私と同じく完璧に見えた、思わぬ彼女の弱点だった。
次のアニメの収録で会った時に、私は早速指摘した。
「おはよう、稀莉。ラジオ聞いたわよ。へったくそね」
「え……」
彼女の悲壮な顔を見た瞬間、やってしまったと思った。
私はいつも嘘を言わず、本音でズバズバ言ってしまうので、事務所には「注意して下さい」とよく言われていたが、無視してきた。私は私。偽る必要など何もないのだ。
けど、この時ばかりは失敗だった。
彼女はひどく落ち込み、その日の収録は私から話しかけることができなかった。
その後も何度か彼女のラジオを聞いた。思考錯誤しているのはわかったが、一向に上達することはなかった。
それ以降、私は彼女にラジオの話をするのは辞めた。
誰もが完璧ではない。佐久間稀莉にだって、苦手なことはある。
私だって完璧に見えても、完璧じゃない部分だってあるのだ。仕方がないことだ。
でもある日、彼女からラジオの話をしてきた。
「私、ラジオ番組を持つことになったの」
私は悪びれることなく、素直な意見を言う。
「断った方がいいんじゃない?」
「唯奈はそう言うよね……、でもね今回はやるの!」
強い意志を感じた。苦手な物でも立ち向かう。その意志は尊重すべきだ。
「頑張って」
「うん!」
私は、言葉短く、応援した。
彼女が担当する番組は「これっきりラジオ!」といった。マウンテン放送で、火曜21時の良い時間のオンエアーだ。稀莉への期待度が伺える。
パーソナリティは稀莉以外に、もう一人いた。
相方の人は良く知らない名前の声優だったが、調べると過去に私も見ていたアニメの主役を演じていた人だった。
27歳。稀莉とは10歳差のコンビだ。トークが苦手な稀莉のための配役かもしれない。
声優業界において年齢差の大きいコンビでラジオを担当することは珍しいことではないが、それでも年齢を近い人を集めがちだ。これはなかなかに冒険的采配だった。
面白いものになるかもしれない。
そう思い楽しみにしていた。
「つまらん!」
でも第1回放送はひどいものだった。
2人組になっても変わらない。
ハッキリとした。佐久間稀莉は、演技は上手く、見た目も見とれるほどに可愛いが、ラジオには向いていない。
それが私の大事な友達だとしても、私はそう断言する。
「……残念だけど、すぐ終わるわね、この番組」
私はそう思った。今ごろスタッフや局も頭を抱えているだろう。
きっとリスナーだってそうだ。最初は稀莉の可愛さだけで乗り切れるかもしれないが、それだけでは続かない。ラジオは甘くない。面白いから、何かがあるから番組が続くのだ。
稀莉には申し訳ないけど、人は失敗して成長していく。
向き、不向き。自分に何が合っているのか、失敗してわかっていく。無理にやる必要なんてない。演技の才能があるのだ。それを伸ばせばいいだけ。
けどその判断は甘くて、早かった。
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