ある日の収録⑨

***

稀莉「ラジオネーム『サングラス橋』よ」

奏絵「さん付け!ってこのやり取り何回もしているな……」

稀莉「呼び捨ての方が嬉しいわ、きっと。『稀莉ちゃん、奏絵ちゃん、こんにちは』」

奏絵「ちゃん付けやめ!この歳でちゃんづけは応える!」

稀莉「奏絵ちゃん、照れてカワイイ」

奏絵「やめてーって、このやり取り何回もしているな……。もしかしてこの世界はループしている?」

稀莉「何度だって私はあなたを救うわ」

奏絵「力強い台詞をありがとう。今は目の前のリスナーを救おう」


稀莉「はいはい、読むわ。『お二人はあれ?世界が変わった?と思う時ってありませんか?別に壮大な話ではありません。例えば映画館に入り、映画を見る前と終わった後では別世界にいる気がするんです。そんなことあるわけないと思うも、否定はできないと思います。お二人も今とさっきでは別世界の気がするって体験ありませんか?良かったら教えてください』」


奏絵「哲学的!」

稀莉「ループ話が微妙な伏線だったわね」

奏絵「でも気持ちはわかる!映画もだけど、小説や漫画を夢中になって読み終わった後、違う世界かもと思う。物語に入り込んでいるのかな?」

稀莉「非日常を疑似体験しているから、別世界にいった気がするんじゃないかしら」

奏絵「だねー。感受性が豊かなのかな。何にせよ、充実していたからそう思えるんだろうね」

稀莉「私もイベント終わった後はそんな気がするわ」

奏絵「うん、そうだねー、特にライブで夢中になって歌った後はそうかも。何だか世界が違って見えるんだ」

稀莉「でもアフレコではなかなかないわね。自分とは別のキャラを演じて、非日常を疑似体験しているけど、別世界に移った!、と思うことはない」

奏絵「役から帰って来れない、ってことはない?」

稀莉「うーん、さすがにないわね。終わった直後は感情が浸かっているけど、帰り際のブースへの挨拶で切り替えられている」

奏絵「あーなるほど。スタッフさんへの『お疲れ様でした~!』で、元の自分に戻している感はあるね」

稀莉「良くも悪くもルーティンね」


奏絵「役作りしているとキャラが夢に出てくるってことはあるかな」

稀莉「あるあるね」

奏絵「空音には何度も夢で会ったな……。戦闘機で空音に撃ち落されたのはけっこうショックだったよ」

稀莉「もっとまともな夢を見なさいよ!」

奏絵「戦闘多いと、ついついネガティブな夢になりがち」

稀莉「空飛びにはもっと心温まるシーンあるでしょ?」

奏絵「無人島のサバイバルエピソード?仲間の裏切りで捕まる話?」

稀莉「心、温まる、シーン!」

奏絵「名エピソードだと思うんだけどなー。あと、夢じゃなくてもふとキャラを思い出すってことあるよね」

稀莉「ふと思い出す?」

奏絵「そう、仕事じゃなくて、お風呂入っていたり、電車で立っていたりでぼーっとしている時に、こういう時〇〇ならこうするんだろうなーとか、▽△ならああしそう、とか急に頭に思い浮かぶんだ」

稀莉「私もあるわ。夢と同じだけど、自分の中に溶け込んでいるのね」

奏絵「自分の一部になったら、演技はこっちのもだよ。でもだいたい終わってからだね……」

稀莉「そうね……。アフレコを全部録り終えてから、このキャラはこういう子だったんだ!と気づくことが多いわ」

奏絵「アニメ映像を見てから、こうだったのかと後悔することも」

稀莉「まぁ正解なんてないわ。その時の演技が最適解よ」

奏絵「その通りだけど」


稀莉「というわけで、『サングラス橋』の考えには共感したわ」

奏絵「『サングラス橋』さん!」

稀莉「別世界に行きたいので、来週は夢の国からラジオをお届けしましょう!」

奏絵「製作費が圧倒的に足りない!ほら、スタッフの皆、渋い顔をしているよ」

稀莉「じゃあシーパラダイスで」

奏絵「それなら……って、高い要求の後に低い要求言っても通らない!」

稀莉「ちっ。なら、どこならいけるのよ?」

奏絵「えーっと体育館、放送局の会議室ならオッケーだそうです」

稀莉「夢がまったくない!」

 × × ×


「私さ、奏絵が最近よく夢に出てくるの」

「へ、へー」


 ラジオ収録後、一緒に街を歩いている中で彼女がそう言った。


「こないだはキスする夢を見たわ」

「へ、へー……」


 夢の話をするのはナンセンスだわ、と過去に言っていた稀莉ちゃんだが、やたら今日は語ってくる。一緒に暮らしているのに夢に出てくるとは嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちだ。


「夢だけじゃないわ。イマジナリー奏絵が……」

「なに、イマジナリー奏絵って!?」

「ふふ、どこにだって奏絵はいるわ」

「末期、末期だよ!」

「しょうがないでしょ。一緒に住んでいるのに思い通りにいかないんだから」


 そうだ、なかなか現実はうまくいかない。条件、仕事の状況。様々な要因が彼女を寂しい気持ちにさせている。

 握っていた手を私はさらに強く握り、彼女を勇気づける。

  

「私はここにいるよ」

「じゃあキスして」


 訂正、これただの欲求不満だわ。


「街中で出来るわけない!」

「あーイマジナリー奏絵なら」

「イマジナリー奏絵なら何でもしてくれるの!?」

「そう、イマカナなら」

「略さない!原型がわからない!」

「イマカナは不思議なポッケで」

「誰がカナえもんだ!」

「いいからしなさいよ、キス!」

「しー。大声で言わない!周りに聞かれたらどうするの!」

「キス、キス」

「ああ、もう!」


 ムードもへったくれもない。

 手を伸ばし、顔に触れる。

 一瞬ならバレない?いや、バレる、バレないとかそういうことではないだろう。

 街中、街中だ。

 街は暗く、人通りは少ないが、それでもだ。

 そして目を瞑るな、稀莉ちゃん!


「……続きは劇場で」


 そういってキスではなく、彼女の頭を撫でる。

 ゆっくりと目を開けた彼女の顔は不満気で、


「ヘタレ」


 辛辣な言葉が返ってきて、ちょっとムッとした。

 だから、


「へ」


 思いっきり抱き着き、彼女の耳元でささやく。


「今日はこれで我慢して」

「う、うん……」


 彼女の返答を聞き、すぐに離れる。一瞬の出来事で、きっと周りには気づかれていない。顔が熱い。

 急にしおらしくなった彼女が、ぶつぶつと呟く。

 

「強引にくるのもいいかも……、強気な奏絵もありだわ……」

「全部丸聞こえなんだけど!」


 うまくはいってない。

 けど今の煮え切らない状況も嫌いではない。

 そう思いながら、帰路に着いたのであった。

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