番外編⑤

ある日の収録⑧

 今日も今日とて収録は始まる。


***

稀莉「よしおかん、サイン変えた?」

奏絵「そうそう、歌手活動始めてから変えたよ。よく気づいたね」

稀莉「アルバムの店舗特典のサイン入りポスターゲットしたから」

奏絵「え、そうなの!?言えば、書いて渡したけど……」

稀莉「こういうのはお店で現物を買うから意味があるのよ!タダでもらっても意味が無い」

奏絵「そういうもんかなー。私は貰えればうれしいけど」

稀莉「ロマンがわかっていないわね。オタクのロマンが!」

奏絵「ご、ごめん。今までのサインにプラスして♪マークを入れたりしたんだ~」

稀莉「スマイルマークも入っているわよね」

奏絵「そうそう、声優さんのサインをたくさん見て研究したの。養成所時代に何度も書いたっけ、懐かしい」

稀莉「そんな苦労があったのね。声優の皆さん、よくかわいいサインを思いつくわよね」

奏絵「ねー。でも事務所が用意する時もあるんだって」

稀莉「うーん、せっかくなら自分で考えたいわよね」

奏絵「そうだね。稀莉ちゃんのサインってどうだっけ?」

稀莉「こうよ」

奏絵「おー、『i』の点がハートになっているんだ!可愛いね」

稀莉「どうも。でもいつまでハートをつけるんだとも思うわよね」

奏絵「いつまでだっていいんじゃない?」

稀莉「今も、20代もいいけど、30になったら痛くない?」

奏絵「おおーい、多くの女性声優さんを敵にまわさない!カット、カットで!」


稀莉「はい、じゃあおたより読むわよ。ラジオネーム『ビビットンボ』さんから。『よしおかん、稀莉ちゃん、こんばんはー』。残念ながらまだ朝なのよね」

奏絵「収録時間帯のことは言わないー!」

稀莉「このおたより前置きが長いわね、要点をいうと『二人は入れ替わったら何がしたいですか?』だって」

奏絵「ばっさり省きおった!」

稀莉「だって2枚に渡る長文だったのよ?」

奏絵「それは仕方ない……かな?で、入れ替わりか~。入れ替わり映画って流行ったね」

稀莉「私はキスしたら入れ替わるのが好きです」

奏絵「はい?」

稀莉「キスしたら入れ替わるのが好きです」

奏絵「2回も言わんでいい!もし稀莉ちゃんと入れ替わったら私は大学に行くことになるのか。久しぶりに大学通ってみたいけど、勉強はもういいかな……」

稀莉「現実的なことを考えるんじゃないわよ!」

奏絵「うーん、そうだね。入れ替わって楽しいこと、楽しいこと……」

稀莉「考えるわね」

奏絵「急に言われてもねー。そうだ、入れ替わったらたぶん自撮りしまくる。SNSに事あるごとに写真載せて、カワイイコメントをたくさんもらう!」

稀莉「……今の自分だっていいじゃない」

奏絵「いやー、私の写真載せてもかっこいい、綺麗はあるかもだけど、さすがにかわいいコメントはつかないよね?」

稀莉「私がたっぷりつけるわ」

奏絵「ブロックします」

稀莉「複数アカウント準備します」

奏絵「法的に対処するしかないか……」


稀莉「私はよしおかんと入れ替わったら、『吉岡奏絵キュンキュン台詞集』を自作するわ」

奏絵「ん?」

稀莉「稀莉ちゃんおはよう、稀莉ちゃん大好き、稀莉ちゃんよく頑張ったね、稀莉ちゃん可愛いよ。何パターンも収録するの!」

奏絵「でも、言っているのは自分なんだよね?」

稀莉「いいのよ、聞くのは私なのよ!」

奏絵「自分で言って恥ずかしくない?」

稀莉「なら、録音させなさいよ!構成作家、早く商品化の準備しなさい!次のイベントで売るわよ!」

奏絵「そう簡単に商品化させない!ちょっ、植島さん何処に電話しだしたの!?」

***


 ラジオ収録後、家に帰っても稀莉ちゃんのお願いは止まらない。


「入れ替わりなんてないわ。だから言ってよー。『吉岡奏絵キュンキュン台詞集』つくらせてよー」

「今回は折れないね」

「折れないわよ。私の夢だもの」

「それが夢でいいの!?」


 声優にもなったし、私と同棲しているし、確かに今他の夢と言われても難しい。


「でもね、稀莉ちゃん。普段からそういう台詞ばかり聞いていたら、私の生の言葉のありがたみが薄くなっちゃうと思うんだ」

「う」

「回数より、質だよ」

「……一理あるわね」


 やっと納得してくれたのか、落ち着いてくれた。


「じゃあ今ここで、私に言って!」


 いや、落ち着いてなどいない。今日はよく甘えるな……。


「お疲れ、稀莉ちゃん!」

「違う、そんなのいつも聞いているわ」

「今日もよく頑張ったね、稀莉ちゃん~」

「もっと感情を揺さぶるのをよこしなさいよ」


 ……ワガママだ。それなら、よし、


「稀莉ちゃん、一緒にお風呂入ろ?背中流すよ」

「っ……!」


 稀莉ちゃんが黙る。

 あれ、間違えた?


「正解よ。グッと来たわ。でも……」

「でも?」

「晴子が見ている」


 恐る恐る後ろを振り返ると、扉から晴子さんが覗いていた。


「監視役としては見逃せない言葉です、吉岡さん」

「こ、これは違うんです!誤解です!」

「キュンキュンポイントは高いですが、いささかアダルトな台詞ですよ」


 キュンキュンポイントって最初から聞いていただろう、このメイドさん!


「そうですね、二人でお風呂に入るのは道徳的によくないですね、晴子さん」

「いや、創作が捗るので時間制限で許すべきか、私としては悩みどころです」


 悩むな、悩むでない。

 そして、稀莉ちゃんが余計なことを言う。


「なら、3人で入ればいいじゃない」


 一瞬の空白のあと、すぐにツッコミを入れる。


「いやいや、それは駄目だよ、稀莉ちゃん!」

「いいでしょ、晴子!それなら問題ないでしょ」

「いや、稀莉さん問題です!百合カップルの間に入ってはいけないのです!それは禁忌なんです!私はあくまで傍観者で愉しむんです!」

「晴子が何か言い出した!」

「だ、誰が百合カップ…‥、まぁそうなのか……」


 そもそもお風呂の大きさ的に3人はおろか、2人は入れないということで話は有耶無耶になった。晴子さんが、今度は大きなお風呂ある場所に引っ越しましょうと発言したのはまた別の話。……今日も愉快な同棲が続く。

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