第32章 かなえる明日へ⑤

 足湯から出て、湯畑のまわりを二人で歩く。


「で、なんで草津なのよ」

「夏に温泉来る人は少ないかな、って」


 配信後ちょうど二日間、二人ともスケジュールが空いたのだが、公開告白してすぐに東京でデートするのはリスクが大きかった。今さら隠すこともないが、それでも落ち着きたい。周りの目を気にしながらはなかなか楽しめない。

 そこで思い切って草津まで旅行に来たのだった。お泊りの、1泊2日の小旅行。今日は監視役の晴子さんも家でお留守番だ。


「奏絵が、配信できちんと言うとは思わなかったわ。一緒に住んでます!、ぐらいで濁すと思っていた」

「曖昧にはしたくなかったんだ。言うならきちんと伝える必要があった。それに」

「それに?」

「後押ししてくれたから」

「ふーん、別の女にされたのね」

「……女とは限らないんじゃないかな?」

「唯奈か、瑞羽さんあたりでしょ」


 鋭い。唯奈ちゃんの嘘告白で決心し、行動に移したのだ。けど、嘘でも告白されたことは言わない方がいいだろうな……と笑ってごまかす。


「あはは、そんなところ。私のことは何でもお見通しだね」

「他に、まだ隠していることはないわよね?」


 それはもう一個あった。


「あのね、公開告白にあたり、事務所を辞めようとした」

「……何よ、勝手に」

「私の発言で事務所が困ると思ったんだ。だから辞めて全ては自分の責任にしようとした。でも、辞めてないよ。辞めさせてくれなかった」


 辞表を出したが、社長と秘書さんに全力で止められた。「君はこの事務所の光だ」、「給料ですか?あげます、あげますから!」と必死に説得された。ここで辞めたら、音楽活動もなくなる可能性もあり、引き留めてくれることは嬉しかった。

 これから私がしでかすことを告げるも、驚きはするものの、事務所は変わらずサポートしてくれるとのことで私の決意を尊重してくれた。


「よかったわね」

「でも、私だけじゃなく稀莉ちゃんの事務所にもちゃんと私から言っておかなきゃだったよね……」

「佳乃には言ってあるから大丈夫よ」


 稀莉ちゃんのマネージャーの長田佳乃さんには事前に同棲のことを話していたらしい。それでも知らない人間がほとんどで、大慌ての事務所の人たちを長田さんが必死にフォローしてくれているとのことだ。頭が上がらない。


「でも、さすがの佳乃もここまでのことをしでかすとは思っていなかった、と怒っているわよ」

「パンケーキおごりだけじゃすまないよね?」

「草津でお土産たくさん買っていきましょう。それに両親からも連絡がすごく来ているわ。まあ晴子がかわしてくれているけど」


 事務所だけではない。約束した人たちを裏切ったのだ。信じてくれた人たちを蔑ろにした。心が痛まないはずがない。


「ねえ、稀莉ちゃん」


 足を止め、彼女も歩みを止める。

 何だろう?と不思議がる彼女の瞳を見る。汚れのない、煌びやかな瞳。


「このまま東京に帰らないのは、どうかな?」


 全部捨てる。世界から逃げ出す。

 二人でいれば何処だってきっと、


「辛そうな表情で言わないでよ」

「……そうだよね」


 言っている自分が1番知っている。

 私たちは東京から離れられない。


「捨てられないよね」

「二人とも声優だから」


 どんなに壊れようと、世界が全員敵でも、彼女とい続ける。力づくでも認めさせる。

 なんて強いことを言いつづられる自分でいられたら、どんなにいいだろう。

 カッコいいことを言っても、心は逃げ出したいと思うし、こうやって弱音を吐かないとやってられない。

 駆け落ちなんてできないし、でも世界が二人っきりだったらなんて望まない。

 ワガママを言っても、どこまでも弱くて、迷って、


「ねえ、奏絵。あそこに行きましょう」


 彼女が指さした先は神社だった。 




 神にでも縋ろうという気持ちなのだろうか。私たちは湯畑の奥の神社にお参りすることにした。長い階段を登りながら、彼女に謝る。


「仕事来なくなったらごめんね」

「そう思うなら最初からしないでよ」

「……最初に炎上させたのは稀莉ちゃんだからこれでおあいこということで」

「今回は映像配信だから、きっちり残っているんだけど。いや、さすがに残した映像では公開告白はカットしたらしいわ」

「でも、目撃者大多数だよね」

「本当馬鹿よね」


 そう言いながらも、嬉しそうで全然怒っていない。ご機嫌だ。


「そうだ、仕事が決まったの」

「へ、そうなんだ。おめでとう!」

「通知の嵐だから危うく見逃すところだったわ」

「ご、ごめんって」

「1つがね、アイドルステップ♪のアニメ化が決まったの」

「え、シャルちゃんが動くの!?」


 アイドルステップ♪はスマートフォン用のゲームで、稀莉ちゃんはその中の一人を演じている。すでに何度かライブも開催した人気コンテンツの待望のアニメ化だ。


「とりあえず1つはメインよ!」


 母親からの条件の5つには及ばない。しかし、それでも大きな一歩だ。


「もっとシャルちゃんに課金しなきゃ……」

「私に課金しなさい!演じるキャラに嫉妬するってなによ、なによ!」

「えーっと、じゃあ1万円……」

「財布から出すな!いらない!」

「えー、どういうこと」

「わかりなさい!」


 リアルって難しい。

 難しいから、面白い。


「あと別アニメで、お姉さんの役ももらったわ」

「稀莉ちゃんがお姉さん役!?」

「大学生のお姉さん役よ」

「まぁ実際に大学生だけど、大人になったねー」

「さっき連絡きたから、あの公開告白の影響はなかったってことね」

「……だといいな」

「何とかなるわよ。案外たいしたことじゃないわ」

「うん、そうだね」


 制作側が問題にしていたら、稀莉ちゃんに役の連絡は来ないだろう。日にちも短かったので、変更できなかっただけかもしれないが、それでも選ばれたのは事実だ。


「そうそう、それに使い魔の役がきたの。黒猫だって。猫語覚えなきゃ」

「稀莉ちゃん……」


 サブ役だから、メインじゃないからと断っていた彼女はもういない。


「どんな役でも受けるわ。誰かさんのせいで条件なんてもう関係ないから」

「稀莉ちゃんならどんな役でもいい演技できるよ!」

「知っている。私は何にでもなれるから」


 彼女のやる気が私を肯定してくれる。良かった、本当に良かった。私がしたことの意味があったんだ。


「私も負けてらんないな……」

「それは私の台詞よ」

「そうかな」

「そうよ、私の憧れよ」


 階段を登り終え、後ろを振り返ると、思わず息を呑んでしまった。

 ライトアップされた湯畑。幻想的な青色と、街の橙色が混ざり、目を奪われるほどに綺麗だ。

 

 辛いし、迷う。

 決断したけど、まだ優柔不断のままだ。

 でも、二人ならこんなに綺麗な景色が見える。


「ありがとう。あなたの彼女でよかったわ」


 稀莉ちゃんもそう思ったのか、より強く手を握る。


「私も稀莉ちゃんの彼女だから頑張れるんだ」

「ふふ」

「ははっ」


 弱気な願いはもう祈らなかった。 


 

 階段を降り、湯畑の横を歩き、旅館へ戻っていく。

 そんな時、稀莉ちゃんが提案をしてきた。


「写真を撮りましょう、奏絵」

「もうたくさん撮ったよ」

「奏絵のSNSに載せる用」

「……せっかくのお忍びで来ているんだけど」

「それでもよ」


 「わかった」といい、身体を寄せ合う。

 手を前に出し、「撮るよ」といい、携帯のボタンを押す。


「どう?」


 撮った写真を彼女に見せ、確認する。


「綺麗に撮れているわね」

「素材がいいから」

「ええ、そうね。奏絵は綺麗よ」

「そこはツッコミを入れてくれていいんだけど」

「だって私の自慢の彼女よ」

「いちいち恥ずかしい!」


 携帯を操作し、彼女のお望み通り、SNSで発信する。


「草津にいってきました、と」


 他愛もないコメントは、世界への宣戦布告だ。

 私たちはここにいる。誰にもこの幸せを奪わせないと。

 二人の時が1番輝くと。


 ピコンと音が鳴る。


「唯奈ちゃんから『いいね!』がもうきたんだけど!?」

「怖っ。あんたのSNS監視されているんじゃないわよね?」

「唯奈ちゃんならありえそうで、怖い」


 そうやって冗談を言いながら、手を握り、下駄を鳴らし、道を歩いていく。

 一時的な逃避行。

 明日には東京に戻り、また忙しい毎日が始まる。


 世界は変わったようで、変わっていない。

 問題は解決したようで、解決していない。

 けど、私は宣言した。この手をずっと握り続けると。たとえどんな風が吹いても、この手を離さないと。


 これが正解で、間違いなんて知らない。


「稀莉ちゃん、好きだよ」

「知っている。私も好きよ、奏絵」


 それを確認するために生き続ける。


「えへへ」

「先にあんたが言って照れるんじゃないわよ」


 吹いた風が火照った顔にはちょうど良かった。

                               <第六部 完>

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