第30章 空さえ色褪せて⑤

 テレビからの音声が虚しく響く。


『――上陸した台風は猛威を振るい、各地に大きな影響を与えています』


 激しい風の音に、窓を叩きつける雨。


『九州では特に被害が大きく――』


 ニュースではさらに大変な状況が映し出される。高い波。飛んでいく看板。通行人の傘が骨だけになって、傘の意味をなしていない。

 

「稀莉ちゃん、座りなよ……」


 窓の外をずっと眺めたままの彼女に呼びかける。

 もう祈っても変わらない。予定通りならもう福岡に到着しているはずの私たちは、東京の家に留まったままだった。

 イベントは明日だったが、土曜の今日の時点でイベントの中止が決まった。前日入りの予定で早朝から空港の予定だったが、この嵐の中、飛行機を飛ばせるはずがなく、空港に行く前に中止の連絡がきた。上陸した台風は四国、関西を通過し、深夜、明日の朝には関東にやってくるらしい。明日一番に飛行機に乗るのも無理というわけだ。

 仮に私たちだけ博多に行けても、会場に辿り着けないリスナーがたくさんいるだろう。それに九州だって大きな被害を受けている。会場付近が安全な状態かもわからない。

 前日にイベント中止を決めた、スタッフの判断は正しい。この混乱の中で行うべきではない。私達だって理解している。

 天変地異には抗えない。

 飛ばないものは飛ばない。できないものはできない。強行して何かあっては駄目なのだ。


「何でこうなるのよ……」


 でも、割り切れない。

 稀莉ちゃんがやっとこっちを向いた。


「衣装を一緒に選んだ。どんなイベントにするか必死に悩んだ。こうしたらリスナーが笑ってくれるかなと考えた。奏絵とも、スタッフともたくさん打ち合わせしたわ」


 その顔には感情がない。


「全部パーよ」


 仕方ない。どうにもできないんだ。


「無理なのは無理だよ。私たちが悪いわけじゃない」

「わかっているわよ。誰も悪くない」


 誰の責任でもない。こうしたら良かった、あの時ああしていたら、などない。


「悪くないから、この感情の行き場がないの」

「稀莉ちゃん……」


 どこにもぶつけられない感情を、嵐が吹き飛ばしてくれたらいいのに。でも飛ばすのは良いことだけだ。

 イベントは延期ではない、中止だ。来週やりましょう、また来月に!と変更することはない。会場には会場の都合があるし、私たちやスタッフにだってスケジュールがある。リスナーだってそうだ。この日のために皆が準備し、楽しみにしていた。この日しかなかったのだ、他の日などない。

 「作ったグッズは通販で発売することになる」と植島さんから連絡が入ったが、いったいどれだけ売れるのだろうか。やっぱり「イベントの記念で」、「せっかくだから」で買うのではないか。赤字も覚悟だ。受注生産ではない。つくったものを戻すことはできない。次回のイベントに持ち越しても売れるかはわからない。


「稀莉ちゃん、落ち着いてご飯にしようか。晴子さんがお昼にって、つくってくれたものがあるよ」


 楽しみにしていたのはリスナーだって一緒だ。この空を見ながら、無慈悲な音を聞きながら、落ち込んでいるだろう。

 

「お腹すいてない」


 すぐに気持ちも切り替わらない、か。稀莉ちゃんに近づき、手に持っていた携帯を見せる。


「ねえ、稀莉ちゃん。リスナーさんたちから番組SNSにたくさんコメントきているよ」


 博多のイベント中止に、悲しむコメントが大半だが、私たちを励ましてくれるコメントも多く見られる。


『次も待っています』

『仕方ないですよね。お二人、スタッフさんは悪くありません』

『前もって九州にいましたが、私は無事です。中止残念ですが、早く来ていたリスナーたちと夜集まってオフ会することになりました!』

『中止の辛い気持ちも、番組を聞き返すことで救われます。これっきりラジオはやっぱりいいな』


 皆、優しい。傷ついているのは皆も一緒だ。なのに、私たちに力をくれる。何もできない私たちに言葉をくれる。繋がっているんだ。この悲しみは一人じゃない。


「嬉しいわね」

「うん、リスナーも悲しいはずなのに温かいね」

「うん、皆も一緒なのね」

「リスナーさんたちが無事だといいな」

「そうね……、それにイベント来る人だけじゃなくて、皆が無事だったらいい」


 リスナーさんを心配し、台風の被害が少ないことを祈るしか今はできない。


「稀莉ちゃんが元気じゃないと、皆心配するよ。食べよう」

「……わかった」


 やっとテーブルに座り、お昼ご飯を食べる。

 口を動かしながら、ふと視線をそらす。ソファーには、今日着るはずだった衣装が置いてあった。着る意味を失ったその服はどこか悲しそうに見える。


「一緒に着たかったな」


 私が衣装を見ていたのに気づいたのか、稀莉ちゃんがそう言葉をこぼす。


「着ようか?せっかくだから一緒に着よう」

「……ううん。着ても余計虚しくなるだけだわ」


 それでも着てみようよ、なんて言えなかった。無理やり切り替える必要はない。言葉でいくらでも言えても、気持ちはすぐに変われない。

 私だって強がっているが、心はへこみっぱなしだ。

 どうしてこんなにうまくいかないのだろう。

 イベントができない。皆と笑えない。

 ファンも喜ばせられない。

 問題は何も解決しない。思いもよらぬ変化など、イベントが開催されなければ起きない。

 稀莉ちゃんの役は増えず、条件は達成できない。

 そして、……終わる。

 終わるだろう。何も変わらずに終わる。


 場所がなければ、伝える時間をつくってもらえなければ私には何もすることができない。

 私は声優だ。選ばれなきゃ、用意されなきゃ輝けない。

 あまりに無力で、自分が嫌になる。


 でも、この嵐の中で叫んだって何にもならなかった。

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