第30章 空さえ色褪せて③

 彼女が泣き止むまでけっこうな時間がかかった。

 床に寝っ転がっていた状態から復活するも、そのまま稀莉ちゃんを放ってはおけず、二人で部屋でずっとアニメを見ていた。

 会話もなく、ぼーっと、ただただ眺めていた。

 一時的でも忘れたかったのだと思う。

 いつの間にか眠ってしまって、気づけば朝だった。どっちが先に寝たのかはわからないが、先に起きたのは私だった。

 左手で目を擦りながら、呟く。 


「……あのまま寝ちゃったのか」


 テレビは消えている。自分で消したのか、それとも晴子さんが消してくれたのだろうか。背伸びをしようとしたら右手が不自由なのに気づく。

 手が握られている。繋ぎっぱなしだったのか。アニメを見ながら稀莉ちゃんと繋いだ手はずっと離さず、朝を迎えていた。眠っているが稀莉ちゃんの手を握る力は強い。

 「嫌だ、離れたくない」と悲しそうな顔で言った彼女の顔を忘れられない。


「はっ」


 視線を感じた。

 急いで左を向くと、稀莉ちゃんの部屋の扉が開いていた。


「おはようございます、吉岡さん」


 そこにいたのは、携帯をこちらに向け構えている晴子さんだった。


「は、晴子さん!?」

「朝チュンですか」

「な、何も悪いことはしていません!」

「知っています」

「なら、撮らないで!」

「大丈夫です、写真ではありません。動画です」

「余計タチが悪い!」


 私たちの会話がうるさかったのか、稀莉ちゃんが「うぅん……」と小さく声を出しながら、目を覚ます。


「おはよう、稀莉ちゃん」

「ふぁ……おはよう、奏絵」


 まだ眠そうだ。ちゃんとベッドで寝なかったので睡眠の質は低い。

 泣いて、赤くなった目は寝ても治っていない。

 私たちの何も解決していない一日が始まる。




 今日は互いに午後からレコーディングの日だった。こんな赤い目をして大丈夫かな?と思ったが、あくまで音声だけなので問題なく仕事はこなせる。スタッフたちは心配するかもしれないが、「そこは季節外れの花粉症でごまかす」と稀莉ちゃんは言い放った。

 午前は時間があったので、二人で街に出かけることになった。

 『これっきりラジオ』の福岡でのイベントがもうすぐなので、そこで着る衣装を選びに来たのだ。今回はTシャツをつくらないということで、せっかくなら二人で着る物を合わせようとなった。


「かわいい服着たい」

「え、私も同じの着るってことだよね」

「いいじゃん。カワイイ奏絵みたい。そうだロリィタファッションにしようよ」

「いやいやいや、無理。さすがに無理。そんな需要私にない!」

「大丈夫、ここにあります」

「あるな、絶対に似合わない!!」


 昨晩のことは話さない。お互い核心から避けた、いつも通りの会話。どこかぎこちない。

 泣いてスッキリした気はするが、けど現状は何も変わらない。

 せめて今は楽しむ。

 逃避だとはわかっている。現実から目を背けている。

 でもイベントは間近で待ってくれない。楽しみにしているリスナーたちだっているし、私たちも楽しみなのだ。笑顔で迎えたい、沢山笑って皆を笑顔にしたい。



 お店に入りながら服を選ぶが、なかなか決まらない。


「買うってなるとハードル高いよね」

「そうね、イベントで一度着た服は他で着づらいから困る」

「そうそう、イベントって写真残ったりするじゃん。また同じの着て、レパートリー少ないと思われるのは嫌だ。そこまで気にするファンは少ないと思うけど、こっちは気にしちゃうよね。写真見返して、『あ、これ同じの着ているじゃん!』ってたまになる」

「そうね……、そういう意味だとイベントTシャツって便利だったのね」


 イベントに出るのだから、少しでも自分を良く見せたい。それはイベントだけじゃなく、オーディションでも同じことだ。


「オーディションで落ちた服って着づらくない?」

「私は今まで制服が多かったから」

「ずるい!めっちゃ印象に残るじゃん」

「高校生特権だったわね。でも私もこれからそう悩んでいくのかも」


 今日はオーディションだ、何着ようか、と服を選ぶも、「あ、これはこないだ落ちたやつ……」、「これ選考結果こなかったな……」、「派手すぎてめっちゃ浮いた……」など苦い思い出がつきまとい、選ぶのにかなりの時間を要してしまう。

 それにファッション代は馬鹿にならない。イベントの度に、撮影の度に変えようとすると足りなくなる。


「お金なかったから、事務所の先輩とかに洋服のおさがりをよくもらったな」

「あー、そういう手もあるのね」

「すっごい助かるんだよ。上京して、大学通ってでバイトもできなかったから先輩方にはほんとお世話になった」

「でも、おさがりじゃ、『あれ、この服〇〇さんも着ていたな』とかなるんじゃない?」

「そこは上と下の組み合わせを変えれば何とかなる」

「ワンピースは無理じゃない?」

「そういう時は諦める」

「潔いわね」

「まぁたまに服が被ることはあるし、そこまで気にするファンは少ないでしょ」


 今では私が事務所の後輩に服のおさがりを渡している。先輩から受けた恩は、自分から後輩に。そうやって恩返しがまわっていく。助け合いだ。


「私も奏絵のおさがりほしい」


 私の話を聞いて嫉妬したのか、頬を少し膨らませて、彼女は訴える。


「身長違うじゃん」

「伸びるから!」

「もう伸びないでしょ」

「着たいったら着たいの!」


 じゃあ家に帰ったら着てみようかで解決した。鏡を見て、服の合わなさにショックを受ける稀莉ちゃんを想像すると、悲しい。そもそもアラサーと、19歳の服が一緒であっていいはずがない。いや、年齢不詳気味な声優業界なら全然ありなのか?


「イベントの衣装決まらないね……」


 5店舗まわったが、決め手がない。ペアルックとはいかないまでも、同じ色、似たよう見た目で調整しようとするとなかなかない。


「奏絵も行ったけど、買うとなるとハードル高いわよね。さすがにイベント1回のための衣装にするのももったいないし」

「……そうだ!それならいいところあるよ。ここからも近いし」


 そういって連れてきたのは、ファッションレンタルショップだ。


「なるほど、これならあまり悩まないわね」

「そうそう、瑞羽から教わったんだけど便利なんだよー」


 レンタル料も服を買うよりは断然に安い。普段使いできないものでも、レンタルなら思い切って着ることだってできる。

 「これがいいかも」、「これかわいい」など服を探す。けど、今日はそろそろタイムオーバーだ。

 

「ネットでもあるから、そっちでまた見てみようか」

「そうね、まだイベントまでは少し日数あるし。せっかくなら面白い服着たい」

「面白い服ね……」

「派手な色がいいわね」

「私も着られる服で」

「ファンがびっくりするようなの着るわよ」

「善処する気ないじゃん……」


 苦笑いしながらも、1回だけなら私も多少は許容しようという気持ちだ。イベントの写真は残るが、それも記念だ。イベントができるだけで嬉しいことなのだから、思い切ったことでもしよう。

 今の苦悩を少しでも晴らすために。



 そんなこんなで買わずにショッピングは終了し、互いに違うレコーディングスタジオへ向かっていった。

 少しだけ気持ちが楽になった気がする。

 逃げ、だ。

 いずれ決断する日は来る。何とかしなければいけない。


 けど今は、少しでも稀莉ちゃんの笑顔が見ていたい、楽しいイベントにしよう。

 去る小さな背中を見つめながら私はそう思ったのだった。

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