第30章 空さえ色褪せて
第30章 空さえ色褪せて①
照り付ける日差しが私を責め立てるかのように、痛い。
梅雨も明け、夏がやってきた。事務所に台本を取りに行くと、マネージャーがちょうど会社にいて、話しかけてきた。
「吉岡さん、こんちはーっす」
「こんにちは」
明るい茶髪以上に軽快な口調、この人が私のマネージャーの片山君だ。ほとんどボタンを開けていたシャツは、最近は上までしっかりと閉めるようになった。進歩?何にせよ、率直に話してくれる人なので、あまり気遣いせず、慣れてからは気楽だ。
「そうそう、先週のオーディションのヒロイン役の一人受かったすよ」
世間話のテンションでさらっと重要なことが告げられる。
「本当ですか!?よかった~」
他の2人のヒロインの役も教えられるが、知らない声優さんだった。携帯で検索するとどうやらどちらも去年デビューした声優さんらしい。相変わらず声優の数は増え続けている。共演でもしないと同業者の名前すらなかなか覚えられない。それは制作側、視聴者側も同じだろう。名を覚えてもらうだけで価値がある。
「エンディングは声優さん3人の曲で吉岡さんも歌うっす。で、キャラソンも出すらしいんで頑張りましょうっす」
「ははは、大変ですね。ちゃんと計画しないと……」
「そっか、新アルバムの制作もしているんすよね?」
「そうです。でもこっちも頑張ります!アニメイベントで歌いたいですね~」
「おそらくあるっすよ。期待してやっす」
「はい!」
2作品の台本を受け取り、リュックにしまう。2冊なんで重くはないが、それでもサイズはあるので大きめの手提げや、リュックになりがちだ。それでなくとものど飴や化粧品など常備しており、何かと荷物は多くなる。
事務所を出て、アフレコ会場に行くのに地下鉄に乗る。通勤ラッシュは過ぎた11時台なので人は少なく、席は空いている。
「はぁ……」
座るとため息が勝手に出てきた。
役が受かったのに、嬉しいのに、100%の気持ちで喜べない。これが稀莉ちゃんだったら……と思うのは失礼だ。
今は、稀莉ちゃんと喧嘩状態だ。
稀莉ちゃんがメインじゃないからと役を降りようとし口論して以来、まともに話していない。あれから3日は経っているが、軽く挨拶しただけで、会話と呼べるものは一切ない。
まず朝起きると、稀莉ちゃんがいない。いつもなら一緒に朝ご飯食べてから大学に行くがテスト週間ということで早く家を出ている。図書館で勉強している、というもっともらしい理由を晴子さんから聞いているが、本当かどうかはわからない。
なら夕飯を一緒に食べようと思うが、私は私でちょうど次のアルバムをつくるので忙しい。だいたい夕方からレッスンで、家に帰ると23時がまわる生活が続いている。
すれ違い。
でもそれは偶然ではなく、意図的なものだ。
「……」
反対側の席の窓にうつる私の顔はさえない。
3日間話してないだけで、心が荒んでいると自覚する。一緒に住んでいるのに、会えない。会おうとしない。
傷つけたのは私だ。でもそれは間違いでもない。それは稀莉ちゃんも知っている。だからこそ、お互いに謝れない。
電車広告の、『人生のすべてがうまくいく10の方法』に目を奪われるほどにどうかしていた。
× × ×
本日のアフレコは抜き録りで私一人だったので、すぐ終わってしまった。3時間はかかると思っていたが、30分も経っていない。腕時計を見ると、歌のレッスンまでかなり時間はあった。
どうかな、と思った。でも足は進んでいた。
どうかしていたのだと思う。
着いたのは、女子大。
そう、稀莉ちゃんが通う大学だ。校門に立つ守衛さんに止められるかと思ったが、中にはすんなり入れた。
何だかいい匂いがする気がする。お嬢様学校なので、普通の大学よりお淑やかで、落ち着いた感じの人が多い気がする。いや、内情までは知らんけど。
さて、どこにいけばいいのだろうか。
来たのはいいが、どこに行けばいいかはわからない。高校までならクラスがあり、学年で教室はわかるが、大学ではそうはいかない。全教室を覗き見る暇など、さすがにない。
そもそもだ。
私は大学の稀莉ちゃんのこと、全然知らないな……。何を勉強して、どんな授業を受けているなんて私たちの会話にない。大学の話はラジオでたまに触れられるだけで、ほとんど無いのだ。大学で何があった、友達と何処いった、この授業が大変、学食で何が美味しい。そんな些細な会話さえない。
思えば、私たちの話は仕事のことが半分以上占めている。ともかく彼女には遊ぶ時間などないのだ。アニメの収録だったり、歌の練習だったり、イベントの打ち合わせだったりなど、仕事で満載だ。少し空いた時間さえ、私と出かけるのに使われる。
それを良いのか、悪いのか決めるのは彼女だ。そもそも学びに来るところで、遊びに来ているわけではない。
でも、
なんだか、キラキラしているな……。
歩き疲れて、構内の日陰のベンチに座りながら女子大生を眺める。性別が男性だったら完全に不審者だっただろう。入ってくる会話は恋や、サークルや、芸能人やファッション。アニメや声優の話をしている人はいない。
10代や20代の女の子たちの中で、明らかに私は浮いている。
それは見た目だけではなく、気持ちが違うのだ。毎日が楽しくて楽しくて仕方がないという表情、今が最高!と断言できる若さに目を背けたくなる。
私だって、楽しくて仕方がない。
はずだった。
この仕事は楽しい。達成感もある。ステージに立つときは誰よりも輝いていると感じる。アニメのエンディングクレジットで名前を見たら、私はここにいる、生きていると感じる。
けど、それでも日常は色々な感情に押し潰されそうになる。先の見えない不安、役の合否に一喜一憂する日々、期待からのプレッシャー。その日の失敗を何度も反省し、悪夢は何度だって見た。
「……ここで私は何をしているんだろう」
このキラキラの中に溶け込む自信はない。場違いで、私は異物だ。
本当何をしに来たのだろう。ちょうど良く稀莉ちゃんに遭遇することもないし、もう今日は大学にいないかもしれない。
それに会ってどうする?まともに話せるのか?家じゃなくて、大学でなら話せると思ったのか?
稀莉ちゃんの姿を見たかった?でも大学で楽しむ稀莉ちゃんを見たら私はショックを受けたかもしれない。私がいなくてもいいじゃんって。稀莉ちゃんには居場所がちゃんとあるんだって。
「……出よう」
30分もせずに、後にした。
× × ×
「吉岡さん、今日は全然気持ちがのってないですよ?」
必死に歌っているつもりだったが、見破られる。歌のレッスンが始まってすぐに、牧野先生に注意された。
「わかるもんですか?」
「わかるもんですよ、歌は何よりも気持ちだから」
「……ですよね」
逆も然りだ。声が出る時ほど、気持ちが上がってくる。
「そんなんじゃ全国まわれませんよ」
「いや、全国ツアーの予定はないですけど」
「三都市まわったのだから、次はもっと大きくでしょ。まずは気持ち」
「はい!」
声だけでもまずは元気よく。
……でも、どうなんだろうね。
何度も注意されながらもレッスンを終え、今日も家に着いたのは23時過ぎだった。
「ただいま!」
声だけでも元気よく、笑顔で決めた。帰ってきたよと示すために、自分はいるよと必死に証明するために。
けど、そこにいたのは稀莉ちゃんではなく、晴子さんだった。
「おかえりなさい、吉岡さん」
机にはラップされた料理が置いてあった。
「ごめんなさい、遅くまで待ってもらって。ご飯助かります」
「本当は出来立てを食べていただきたかったのですが」
「いやいや、十分すぎるほどです」
晴子さんの優しさが胸にしみる。だから、つい甘え、
「晴子さん……」
「なんでしょうか」
「ごめんね。もう無理だよね」
弱音を吐いてしまう。
でも、そんな私に怒りも、悲しい表情もせず、いつも通りの優しい顔で、
「それを決めるのは私ではありません。稀莉さんと、吉岡さんです」
と突き放す。
「励ましてくれないんだね」
「私は仲間じゃありませんから」
「あんなに両親から庇ってくれたのに」
「私は優しくありません」
答えを出すのは自分と、彼女だ。「助けて、ハルえもん!」とずっと頼ってばかりでは駄目なのだ。ご飯を食べる前に自分で話そうと、一度座った席から立ち上がる。
「吉岡さん。稀莉さんは今日は24時までは起きているはずです。リアルタイムであなたが出ているアニメを見る日なので。そろそろ終わる時間ですね」
「……ありがとうございます」
廊下に出て、ドアをゆっくりと閉める。
「……やっぱり優しいじゃん」
暗闇の中で呟いた声はちょっとだけ明るくて、私の背中をそっと押してくれた。
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