第28章 曖昧オフライン⑥

 部屋で一人机に向かう。

 オーディション原稿に赤ペンで記載していく。「ここは強く」、「儚そうに」、「元気いっぱいで」。自分の中でキャラを確立させる。まだ見ぬキャラの、声が吹き込まれていないキャラを自分の中で作り上げる。


「……これでいいのかしら」


 でも不安は払拭できない。キャラに正解などない。漫画や小説の原作があれば作品を読み解くこともできるが、それでも監督、音響監督、制作サイドのイメージが私と合うとは限らない。

 けど何もしないのは駄目だ。


「主演をとるんだから」


 メインの役がもらえない。ゲストや、ちょい役なら春番はあったが、夏番はそれすらない。

 自分でも焦っているのを感じる。

 私の単なる実力不足ならそれでいい。けど、原因は別にもある。


「絶対影響しているわよね……」


 大学生になって、19歳になって、ランクが変わった。ジュニアランクではなくなったのだ。

 声優はランク制でギャラが変わっていく。新人声優は3年間近く、ジュニアランク扱いで、私もそうだったのだが年度更新でランクが変わった。

 出演料が安く、知名度を上げるためにどんどん仕事に出る時期は終わったのだ。それは悪いことではない。単純に収入があがる。たくさん仕事を取るのではなく、選り好みすることもできる。

 ジュニアランクの間に仕事もラジオもこなし、自分で言うのも何だが、知名度はかなりあるだろう。演じた役も好評だ。一度使ってもらった監督に、もう一度呼んでもらえるなんてことも増えてきた。

 でも、主演はとれていない。

 

 調べなきゃいいのに、受けたオーディションのアニメのページを調べてしまう。私が受けた役におさまっているのはまだあまり聞いたことのない声優さん。新人声優だ。

 そう、私はたぶん新人声優たちに負け続けている。

 けど、それが実力かどうかはわからない。


 私と新人Aさんが同率票だった場合、制作サイドさんはランクの高い私より、ジュニアランクのAさんを選ぶだろう。そのお金の分、わき役を実力あるベテランさんで固められたり、制作費に使えたりするのだ。ビジネスなので同じ実力、印象なら安い方がいい。当然の考えだ。

 なら、同率票にならないように、私でなければこの役はできない、私じゃなければいけない、そう思わせる必要がある。

 しかし、それは結果を見ると今のところうまくいっていないことがわかる。もっと飛び抜ける必要がある。圧倒的に上手くなる必要がある。

 私は、もう新人声優ではない。

 わかっている、理解している。でも現実は非常だ。


 それでも、母親からの条件がなければこんなに焦らなかっただろう。役が貰えない最悪のタイミングで条件が突きつけられたものだ。それを見越して母親が仕掛けてきたのだとしたら、タチが悪い。


「はぁ……」


 マイナス思考で、集中力が途切れる。

 台本を閉じ、椅子から立つ。


 忍び足で廊下を移動し、奏絵の部屋の扉をそっと開く。鍵もかかっていなく、中は真っ暗だった。

 聞こえるのは奏絵の寝息だけ。


「お邪魔します……」


 小さな声でそう言い、扉を閉める。音を立てないように、彼女のベッドへ近づく。穏やかな表情が見え、思わず微笑んでしまう。

 そっと手を伸ばし、その寝顔に触れる。


「ふふ、子供みたい」


 触れる距離にいる。手が届く空間にいる。

 正直、我慢なんてできない!!条件を達成してからって1年は長すぎる。


 でも、それでも我慢するんだ。

 今は触れるだけでいい。彼女との未来を選ぶために、耐える、耐え続ける。

 この穏やかな寝顔は私だけに見せるもの、その優越感で私は「負けない」と再び心に誓った。



 ゆっくりと奏絵の部屋から出る。


「夜這いですか?」


 突然の声に大声を上げそうになった。扉の近くに晴子がいた。


「ち、違うわよ!?」

「感心しませんね」


 厳しい表情で私をたしなめる。でも私は怯まない。


「悪いの?」

「いえ、悪くないと思います。私的にもイチャイチャしてくれて問題ありません」


 回答は拍子抜けで、ほっとする。


「でも、理香様との取り決めは守ってもらいます」

 

 それも束の間、思い出させてほしくない『条件』を口にする。


「私が頑張っていないっていうの?」

「頑張っているのは知っています」


 頑張っているのは知っている。

 けど、結果が出ていないのも気づかれている。母親にもきっと連絡しているだろう。晴子は敵ではないが、味方でもない。


「そう」


 感情に出さないように、短くそれだけ答え、部屋に戻った。

 奏絵の寝顔を見て切り替えたはずなのに、悔しくて、なかなか寝付くことができなかった。



 × × ×

 稀莉ちゃんが部屋から出ていったのを確認し、ゆっくりと目を開ける。


「夜来て、寝顔見られて、髪触られて、肌に触れられて、あの子は何をしにきているんだ……」


 気づいていないと思っているだろうか。リスクも承知の上なのか。色々と限界なのかもしれない。

 稀莉ちゃんは寂しいのか。普段の私には言えないことがあるのか。

 思わずその場で目を開けて、問いただすこともできたが、そうはできない。


「この関係は曖昧だな……」

 

 恋人のつもりだけど、恋人になりきれていない。同居しているけど、きちんとした同棲ではない。

 二人でいられればそれでいい。それでいいはずなのに、お互いどこかでセーブをかけ、我慢している。

 明るい未来のために、といって今を我慢している。

 今は今しかなくて、楽しまなければいけないはずなのに。


 近い、触れられる距離にいるのに、遠い。

 楽しいのに、どこかに陰りがある。


「何とか……しないと」


 でもそれはただ約束を守るために頑張るだけで、正解なのだろうか。

 私と、彼女の今後。でも未来だけじゃなく、今の私たちも重要だ。なら、どうしたら……。

 そんなことを考えていたらいつの間にか眠りについていた。



 次に意識が戻されたのは、朝になってからだ。


 ピピピピ……。


 携帯の音がする。

 目覚ましかと思い、手を伸ばすと、電話だった。

 事務所からの電話かと思い、慌てて出る。


『あ、出た。奏絵、元気?』

「その声、なんだ、母さんか」


 久しぶりに声を聞いた。母親からの電話だ。


『何だって、何よ。少しは電話よこしなさいよ』

「ごめん、忙しくってさ」

『知っているわよ。最近CDも出したんでしょ』


 良く知っていることで。今まで声優の仕事に否定的だと思っていたが、実家で私が出演したアニメのディスクなどを発見して以来、母親への印象も随分変わったものだ。

 けど、朝なのでぶっきらぼうなのは変わらない。


「で、何の用事?」

『今、東京にお父さんといるの』

「そうなんだ。……はぁ!?東京にきている!?」


 心の準備をする前に、物事はそっちからやってくる。

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