第28章 曖昧オフライン④

 収録を終えたエレベーターの中で彼女が口にする。 


「疲れた……」

「うん、2回収録って終わったあと心と体に来るよね……」


 稀莉ちゃんの言葉に同意する。長時間のアフレコ収録より色々とすり減る感じがする。「自由に喋ってください!」って言われた方が考えることが多く、逆に大変なのだ。


「たまに3本連続収録しているラジオ番組あるよね」

「よくやるわ。3本目何も言葉が出てこない自信がある」

「ねー、今後ないといいな」


 扉に近い稀莉ちゃんが『開』ボタンを押してくれたので私が先に出る。入口の警備員さんに会釈し、外へ出るとまだ雨が降っていた。

 手に持っていた傘を開くと、すかさず先に稀莉ちゃんが入ってくる。


「まだ入場許可していないんだけど」

「年間パスよ」


 年度末で更新されるんだろうか。そんな心のツッコミについ微笑みながら、同じ傘に私も入って駅へ向かう。収録の帰り道ということで同じ傘に入っても不自然じゃないだろう……、自分に甘い気がするがそれでいい。行きは我慢している分、帰りはせめて一緒に。


「……疲れたね」

「……うん」


 疲れたのもあるが、ラジオや打ち合わせで話しつくしたので出てくる言葉は少なめだ。それに今は同棲もしているので、話す機会も多く、今までのように会ったらたくさん語りつくすということはない。

 雨の音が聞こえる。でも、この静けさも嫌じゃない。

 昔だったら話題が尽きないようにと考えただろうが、今は落ち着いた雰囲気も好きだ。ただ二人でいられれば心はそれだけで温かい。


「このまま帰る?」


 疲れてはいるが、提案をする。時間はまだ余裕がある。せっかくの二人の時間だ。このまま帰るのはもったいない。


「うーん、少し買い物とか?」

「雨降っているからあんまり荷物は増やしたくないよね」

「服や靴を買う天気ではないわね」


 なら何だろうか。雨で気軽に楽しめる場所。それでちょっとデートっぽいところ。


「……思いついた、きっと楽しい所」

「どこ?」

「稀莉ちゃんはまだあまり行ったことないと思うところ」



 × × ×

 首を傾げる彼女を連れてきたのは、デパートだ。


「デパート?」

「そうデパート、その中でも今日行くのは1階」


 さすがの稀莉ちゃんもデパートには来たことあるだろう。でも1階はただ素通りして、じっくり見たことはなかったはずだ。

 開放的で、高級感あふれるエリア。


「デパコス!」

「なるほど、確かにゆっくり見たことないわ」


 デバートコスメ。デパートや百貨店で購入することができるコスメのことで、薬局や雑貨店のプチプラと対局で、ブランド物が多く価格は高めだ。つい最近まで高校生だった稀莉ちゃんはまだあまり来たことが無い場所であろう。

 普段はほぼすっぴんで勝負できる若さと潤い、それにお嬢様学校だったので校則も厳しく化粧の話題は少なかったらしい。イベントに出る時には稀莉ちゃんも化粧はするが、それはメイクさんがやってくれるもので彼女は普通の学生さんよりコスメに疎い。

 

「ワクワクするわね」


 でもそこは女の子だ。魔法のアイテムが揃う場所にときめきは隠せない。大学生になり、よりお洒落に興味を持つようになったのでなおさらだ。

 デパート1階のエリア。年頃の女の子にとって、ちょっとした憧れの場所。それもなかなか一人で来られない敷居が少し高い所なので、私が連れて来てちょうど良かっただろう。

 稀莉ちゃんが私の腕をぐいぐいと引っ張る。いい笑顔だ。


「すごい、たくさん!」

「気になるのあったら、コスメカウンターでお試ししてみようよ」

「コスモカウンター?」

「宇宙から反撃はされない」


 簡単に言うと、気になる化粧品を無料で試せるところだ。ビューティーアドバイザーさんの接客を受けられ、色々と相談にのってくれる。


「試したら買わなきゃ駄目じゃない?」

「大丈夫だよ。ハッキリと断っちゃって」

「ムズイ。先に奏絵やってみて」

「そうだね、最初はそうだよね。わかったよ」


 よく買うブランドのところへ歩を進める。気になるのを探し、お店のお姉さんに話しかける。


「このコスメは今試せますか?」

「はい、もちろんです。こちらへどうぞ」


 席へ案内され、稀莉ちゃんも後ろからついてくる。


「妹さんも横でじっくり見ていいですよ」

「はい♪」


 妹扱いされ、何故か上機嫌で答える彼女。顔は全然似てないと思うが、確かに友達、ましてやカップルには見られないだろう。

 タッチアップ前に簡単なクレンジングで落としてもらう。


「普段はどんな風ですか?」

「あんまり派手なのは選ばないですね」

「今日もそのような感じで」

「はい、自然な感じで、でも意志は強い感じ出したいです」

「わかりました」


 私と綺麗なお姉さんの会話を、「へー」、「ふ~ん」、「なるほど」と言いながら女の子がこちらを見ている。……ちょっと気恥ずかしい。メイクされる姿はイベント前、撮影前に見られることもあるが、こうまじまじと観察されたことはない。

 やがて終わり、自身の変化を鏡で確認する。


「わー、きゃー、お姉ちゃん綺麗」


 私が感想を言う前に稀莉ちゃんから褒められる。……悪ノリだ。


「本当に綺麗ですよ、お姉さん。モデルの仕事でもされていますか?」

「いやー、モデルはさすがに……です」


 言葉を濁す。二方向から褒められるとさすがに照れる。「お姉ちゃん綺麗!カワイイ!世界一!」と横から声が聞こえるのを精一杯聞こえていないフリをする。


「どうですか、雰囲気がより明るくなったと思いますよ」

「いいですね、すごく。……買っちゃおうかな」


 断り方を教えるはずが、つい財布を開いてしまう。仕方ない、本当に良いと思った物は買っとくべきだ。買わぬ後悔よりも、買った後悔の方がマシだ

 商品を手にし、その場を稀莉ちゃんと離れる。


「見ていて楽しかったわ。人の化粧を見るの思った以上にいいわね、勉強になる」

「じろじろと見すぎだよ」

「だって、わーこうやって奏絵がより綺麗になっていくんだ~と嬉しくて」

「よりって」

「元々綺麗だわ」

「あー、わかった、わかった、ありがとう。方法はわかった?」


 稀莉ちゃんが力強く頷く。


「よし、じゃあ稀莉ちゃんもタッチアップしてもらおう」

「アウトになってから、進塁すること?」


 野球用語ではない。何故、野球の言葉はわかったのだろうか。


「今のようにお試しすることだよ。何処かを選んで……」


 選ぶ前にお姉さんに声をかけられる。


「学生さん向けでキャンペーンやっています。よかったらどうですか?」

「へー、いいかも」

「この子、初めてデパコス試しに来たんですよ。良かったら色々と教えてください」


 お姉さんも満面の笑顔で対応する。


「はい、ぜひ。どういったのをお試ししたいですか?」

「うーん、そう言われるとなかなか」

「そうですね、ではどう綺麗になりたいですか?」

「意中の人がもっと私に夢中になるように綺麗になりたいです!」


 噴き出しそうになるのを堪える。


「あらあら、お客様恋をしているんですね」

「はい、大恋愛です!」

「羨ましい限りです。お姉さんもご存知で?」

「はい、うちの姉もすごくご存知です」

「そうなんですね。お姉さんも応援してあげて下さい」


 や、やめい。心の準備なしに、急にぶち込まないでほしい。意中の人、大恋愛の対象はどう考えても私で、当然ご存知なわけで。


「もっと綺麗になっちゃいましょう」

「はい、メロメロにしちゃいます!」


 疲れていたはずなのに、ラジオの収録より元気な声で彼女は返事をしたのであった。

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