第六部
第28章 曖昧オフライン
第28章 曖昧オフライン①
PC画面にパラパラ漫画のような、切り貼りした映像が流れる。
「金平糖が満タンになったね、ご苦労様」
「約束通り、これで願いを叶えてくれるんだよね!?」
その映像を見ながら、声を発するのは私と彼女。
「ああ、そういう約束だったね」
「忘れたとは言わせないわ」
これはアフレコの練習で配られる、コンテを繋いだカッティング、仮編集した映像だ。ほとんど白黒で、最低限の動きしかわからず、キャラの口パクはない。台詞タイミングに、キャラの名前が書かれた台詞ボールドが表示されるだけだ。
でも慣れたもんで、ほぼ完成した映像に声をあてるより、未完成の素案レベルの映像の方がやりやすかったりもする。絵が出来上がっていると「きちんと合わせないと!」というプレッシャーが半端ない。仮に声優の声を優先した場合は、絵の方が修正になってしまうのだ。キャラの表情がつかめないマイナス要素もあるが、それも慣れてくれば想像で補うこともできる。
それにアフレコ会場で「やっぱり台詞変更しようか」、「このセリフ無しにしちゃいましょ」、「セリフ追加で!」といったこともあるので、こうやって未完成の映像の方が良いこともある。そういった意味ではアフレコといいながら、プレスコの要素も含んでいるといえよう。
まぁ現場、作品によって本当に様々で、どんな状況でも対応しなくちゃいけない、そういう仕事だ。
「騙したのね!?」
「力を使ったのは楽しかっただろ?」
手に持つのはアニメの台本だ。表紙は少し硬めにできており、番号が振られている。あらかじめ制作側で通し番号を入れ、番号づけして渡しているらしい。流出、転売防止策だろうか?作品を通して基本的に同じ番号が私の所にやってくる。スポーツチームの背番号みたいでちょっと嬉しくなったりもする。「今回のチームは22番か~」、「39番でサンキューだ」とかとか。表紙に名前を書く人もいるが、私は恐れ多くて書けない。
「私はお前を許さない……」
「ああ、良い表情をしているよ」
私、吉岡奏絵は声優である。
売れない時期が長く続いたが、ラジオを始めてからその状況は変わり、アニメの仕事、また歌手としも最近は活躍できている。ただ順風満帆だったわけではない。幾多の試練、苦悩が私、いや私たちにはあった。
「諦めたらどうだ?」
「私はくじけない、から」
最後の台詞を彼女が言い、映像が終わる。
「ふぅー」
「お疲れさま」
一息つき、水を口に含む。
アフレコ会場は成果を見せる場所であるため、こうやって家での練習はかかせない。
「このキャラは闇が深い性格だと思うから、もっとテンション違うと思うの」
「もう少し暗く、低い感じ?」
「そうね、もっと恨みがこもった感じというか」
「あー、なるほど、怨霊のような感じかな」
「うーん、怨霊か、そうかも」
で、普通なら一人で練習するが、私の隣には10代の女の子、稀莉ちゃんがいる。佐久間稀莉、今をときめく女性声優だ。
私のラジオの相方で、私に憧れて声優になった子で、声優としてライバルでもある。
そして今は、『同棲』相手である。
「稀莉ちゃんは四色ボールペン派なんだね」
「自分で考えた案は青色で、当日の音響監督の指示は赤色で、緑色はその他ってことで分けているわ。奏絵は……真っ白ね」
見られた私の台本は、何も追記していない。
「昔は、蛍光ペンで自分の台詞を真っ黄色にしたけど、逆にそれで満足しちゃって覚えられなくて……」
「わかるわ。色塗るだけで、暗記した気になっちゃうのよね」
「それに自分の台詞だけに必死じゃ駄目だとわかってね。周りの台詞も聞いて、流れでやらないと自然な言葉は出てこないと気づいたんだ」
「……成長したわね」
「年下に言われたくない!」
29歳と19歳。アラサーの私とは10歳の年の差であるが、私たちに壁はなく、いや最近は壁がなさすぎて密すぎる、甘い蜜すぎる?のだが、仲良く暮らしている。
そう、ひとつ屋根の下で暮らしているのだ。今は同じ部屋で練習している。当たり前のようで、普通ならあり得ない光景。
「『……』ってどう声に出したらいいか、わからないわよね」
「あー、台詞にはそう書かれるけど、実際アドリブだね。『うっ』とか『あっ』とかに置き換えないと声にのらないし」
「せめてどういう感情なのか書いてほしいけど、それは読み解け、理解しろ!ってことなのよね」
「わからない時は素直にここはどういう感情ですか?って私は聞いちゃうけどね」
私たちは約1カ月前から同棲している。
「二人ともご飯ですよー」
「「はーい」」
と言いながら、もう一人一緒に住んでいる人がいる。
声の主は柳瀬晴子さん。
稀莉ちゃんの実家で働いていた家政婦さん、オタク的にいえばメイドさんで、今は私たちのお世話係、いや監視役とでも言えばいいだろうか。
「今日のご飯は何ですか?」
「グラタンとミネストローネです」
「「わーい」」
「私、いつの間に二人も子供を産んだんでしょうか……」
「ごめんなさい、子供の方が年上で」
はしゃぐのも仕方がない。同棲?を始めてから、食事が前とは違って至福の時なのだ。
晴子さんは私よりも年下であるが、さすがメイドさん、料理も家事も抜群にできる人で、お世話になりっぱなしである。
この疑似同棲生活も晴子さん無しでは成り立っていないだろう。感謝しきれない。
「「いただきます!」」
「はい、召し上がれ」
「美味しい!」
「ありがとうございます。吉岡さん」
毎回栄養バランスが良く、味もお店で出しても可笑しくないレベルだ。もうコンビニ弁当、総菜生活には戻れっこない。この一カ月ですっかり胃袋も掴まれてしまった。
「こちらこそ、毎日本当にありがとうございます」
「ふふふ。吉岡さんがいる光景も不思議じゃなくなってきましたね」
ドキドキ同棲生活が始まった5月も終わり、今は6月の梅雨の時期だ。
「奏絵、明日の仕事は?」
「朝から収録。って、カレンダー見ればわかるよね?」
同棲しているとはいえ、稀莉ちゃんは大学生で、学業と仕事の両立が大変で、合う時間は少ない。ちょっとした空きでも一緒にいられるように、オンラインのカレンダーで仕事の予定を共有しているのだ。
「もう!知っているけど聞くのよ!奏絵は相変わらず乙女心がわかっていないわね」
「ご、ごめん。うーん、なかなか二人が合う時間はないね……」
収録現場も都内とはいえ、移動には時間がかかる。どれも遅刻はしていけないが、特にアニメの収録は多くの人が関わるので早めに着くようにしている。余裕を持ったスケジュールが求められるため、自由に使える空きは少ない。それでなくともキープ、仮押さえのスケジュールが多く、予定が常に変わる毎日だ。
「やっぱりラジオの収録後が1番スケジュール合うよね」
ラジオというのは、私たち二人が担当している「吉岡奏絵と佐久間稀莉のこれっきりラジオ」のことだ。当然同じ現場で、同じ時間で終わるので、時間の都合が1番良い。
「収録は明日だね。早く終われば時間ありそうだし、何処か行こうか」
料理を食べ終え、晴子さんは台所でお皿を洗っている。「私が洗います!」と毎回言うが、「役者さんのお手にそんなことはさせられません!」と反発され、やらせてくれない。ありがたいが、私の家事スキルは向上しない一方だ。
そんな晴子さんに聞こえないように稀莉ちゃんは小さな声で話しかける。
「奏絵さん、何か、私に言うことがあるんじゃないんですか?」
「えっ……」
急に敬語になると、嫌な予感しかしない。
また何か、いつの間にか、しでかした?お、思い浮かばない。なかなか休みが取れず、とれても一日中の休みがないため遠出はできていないが、それでもショッピングや映画など二人の時間は多い。さっきのアフレコの練習も仕事ではあるが、立派な二人の時間だ。家でも一緒にいることが多い、……寝室は別だけど。監視の目もあるので、た、確かにイチャイチャ成分は薄めかもしれないが、これは稀莉ちゃんと母親との約束もあるので仕方がないのだ!と必死に言い聞かせる。
なら、何だ?
答えは彼女の口から出てきた。
「同棲、付き合っての1カ月記念です」
「な、なるほど」
「何がなるほどなの!?一緒に住んで1カ月の大切な日がもう少しでしょ!」
怒られているが、全くピンとこない。
うーん、1カ月記念とか気にしちゃう女の子だったか。改めて稀莉ちゃんが感情の重い女の子だということを思い出す。真ん中バースデーは言われなかっただけ、マシなのかな……。
しかし、私はさらに油を注ぐ。
「……絶対怒ると思うんだけどさ」
「何よ」
「思ったんだけど、私たちって付き合っているんだっけ?」
「はい!?」
本気で睨まれた。怖い。必死に弁明する。
「聞いて!聞いてください!そう、確かに一緒に住んで、稀莉ちゃんの両親にも挨拶をし、けじめをつけにいった。確かに、冬の桜の下で大学生になったら彼女になってくださいって言った。高校を卒業したら一緒に住もうか、とも言った。言ったんだ」
恥ずかしい言葉は何度も言った。思い出すだけでも赤面してしまう台詞の数々。
一度は離れ離れになったが、私のライブに稀莉ちゃんがサプライズで登場し、感動的な再会もした。外堀も埋めに埋めた、埋められた?イベントでの公開告白。自宅訪問。ラジオでのイチャイチャ度の加速。お姫様抱っこ。キ、キスだってした、してしまった……。
でも、
「私きちんと付き合って、って言ったかな……?」
「……」
そう、色々とすっ飛ばしているのだ。もちろん気持ちは決まっていて、付き合っているようなものだが、だが、同棲前に言葉にはしていない、いないのだ!
衝撃の事実。実質付き合っているが、彼女と彼女だが、言葉にはしていない―。
「ぃぃなさぃよ」
「え」
「今すぐここで付き合ってください!って言いなさいよ!」
「ちょっと待って」
「何、言えないっていうの!?この同棲生活はまやかしだっていうの!?」
「そんなことない、楽しくて、嬉しくて、好きで、でも」
「でも!?」
「う、うしろに晴子さんがいるから」
ゆっくりと稀莉ちゃんが振り返る。
静かに話していた声はヒートアップし、途中から丸聞こえだっただろう。
「私にはお構いなく、会話続けてください」
満面の笑みなのに、怖い。
「は、話せるかー」
「むしろまだ言ってなかったのですか、吉岡さん。とんだヘタレですね」
「や、やめて!グサグサと心にくる」
「そうよ、ヘタレ!ここまでしたのだから、早く責任取っていいなさいよ!」
「ムードも、情緒もへったくれもない!」
「やけにロマンチストですよね、吉岡さんは」
「さらにえぐらないで~!」
そう言いながらも楽しんでいる自分がいる。
今日も騒がしくて、夢のような生活が続く。
同棲に際し、稀莉ちゃんの母親から提示された厳しい条件はある。
稀莉ちゃんは1年で主演5本。私は料理ができるようになり、青森の両親に挨拶、要は稀莉ちゃんとの関係を認めさせる必要がある。
とても厳しく、達成は難しい。
それでも私、私たちなら乗り越えられる。今までのように乗り越えられる。
「もう仕方ないわね。明日のラジオのコーナーで告白コーナーを設けるわ」
「それは絶対に嫌だ!」
そう思っていたんだ。
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