第27章 直線系グラデーション③
表参道から地下鉄に乗っていこうと思ったが、意外と乗り換えが多いということで、2人でタクシーに乗り込んだ。
向かう先は、稀莉ちゃんの父親と母親とメイドさんがいる佐久間家。
車から降りることはもうできない。
隣を見ると、稀莉ちゃんも緊張している。車内での会話は少なく、タクシーのラジオの音声だけが沈黙を埋めていた。
「大きいっ」
タクシーは迷うことなく、辿り着いてしまった。
2回目の来訪となるが、大きすぎるお屋敷にまた驚いてしまう。
「ここ日本だよね?慣れないな……」
「ほら、いくわよ」
「ちょっと待ってよ、心の準備が。セーブ、セーブさせてよ!」
「セーブポイントは現実にないわよ!」
最もなツッコミを受け、稀莉ちゃんに引きずられ、佐久間家の門をくぐる。
監視カメラから見られていたのだろう。家の玄関扉に着く前に、声をかけられた。
「お待ちしておりました。吉岡様」
メイド姿ではないけど、今日はエプロンをしていた。
柳瀬晴子さん。
佐久間家で働く家政婦さん、メイドさんだ。
「お久しぶりです。晴子さん」
「ええ、またお会いでき、嬉しいです。本日は気合いの入った格好ですね」
「そうですかね?ありがとうございます」
言われてみれば、オフィスカジュアル風味で、ジャケットを羽織っているので、スーツ姿ではないにせよ、フォーマルな格好になってしまっている。意図したわけではないが、幸か不幸か、挨拶の服装にはピッタリだ。堅苦しくなく、けど緩くない。朝の私はここまで計算していたのだろうか。ラーメンに、温泉の格好ではないだろう、これ。
「お母さんも、お父さんもいるのよね」
「稀莉さん、残念ながらお父様は急な仕事が入ったとのことで、先ほど出ていかれました」
「そうなの?」
「そ、そうなんですね~」
ほっとし、少しだけ気持ちが軽くなる。
「お父様からは、『なんでこんな時に仕事が入るんだ、くそおお。娘の大事な瞬間に立ち会えないとは世界を恨む。立ち会いたかった。一度、吉岡さんに会ってみたかった。今度イベント行くから、絶対に!』、とのことです」
残した言葉が熱すぎる。
「そんなこと言ってないでしょ」
「え、嘘ですか?」
「会いたかった、は嘘じゃないですよ」
「本当は何て言ったのよ、晴子」
「式には呼んでくれ」
「いやいや、お父さん!?」
「お義父さんって気が早いですね、吉岡さん」
「違う、たぶん漢字が違います!!」
うふふと笑う姿に、嘘か本当かわからなくなる。表情から、どっちなのか読めない。さすが佐久間家のメイドさん。強者だ。
そんな強敵なメイドさんが口を開き、本当のことを告げる。
「稀莉のこと、稀莉の選択を私は信じている。そう、ご主人様は言い残していきました」
信じている。
口にするのは簡単だが、本心からそう思うことは難しい。
親として、「信じている」と思え、言葉にできることは誇らしいことだ。
「そう」
興味無さそうに返事する彼女の顔も、どこか明るい。
しかし、私の顔は暗くなる。
足を止める。
「着いちゃいましたね……」
稀莉ちゃんの母親がいるであろう、リビングの扉の前に着いた。
この先にラスボスが待っていると思うと、足が竦む。
見かねた稀莉ちゃんが私を励ます。
「大丈夫よ、ここはうちなのよ。ライブ会場でも、アフレコ現場でもないの」
「稀莉ちゃん家だから困るんだよ……」
正直、今までのどのイベントよりも1番緊張している。台本のないラジオの収録の方がマシだ。
けど、明るい要素もある。
私は、稀莉ちゃんの母親に嫌われてはいなく、むしろ感謝されているぐらいだ。
前回、稀莉ちゃんとテーマパークのパレードを見るために、佐久間家へ訪れたのだが、稀莉ちゃんの母親からは好印象だった。やたら歓迎ムードで、パレードを承諾してもらうだけのはずが、デートの後宿泊の許可ももらってしまった。
今、思い返しても超展開すぎる。
帰りが遅くなるなら、隣接するホテルに泊まれば安心じゃない。
可笑しい解決方法だった。結局、実行するはめになったのだけど。
ともかく、稀莉ちゃんの母親に悪い印象はもたれていない。厳しい面もあるが、仕事にも理解のあるお母さんで、稀莉ちゃんのことにも理解のある母親だ。
初対面のはずだったお父さんもいないので、心配は少ない。ドラマやアニメで見た「娘はやらんぞ!」的なイベントは起きないのだ。ちょっと期待していた、とか思ってないよ?
「……」
「奏絵?」
足は震えるが、想いは揺らがない。
「大丈夫だよ、稀莉ちゃん」
彼女を見て、微笑む。言葉ではなく、頷いて答えた。
何も怖くない。
そして、扉を開けた。
「ようこそ、吉岡さん」
そう、声をかけたのは、佐久間理香さん。
稀莉ちゃんの母親で、映画やドラマに数多く出演し、たくさんの名誉ある賞をとっている大物俳優さんだ。
「お邪魔します。お母さん。あ、こちらつまらないものですが」
「あらあらご丁寧にありがとう。晴子、受け取って」
「はい、理香様」
「お母さん、今日は話があって、ここにきました」
「あら、そうなの。稀莉から、今日はオフでしょ?家にいること!って念押しされていたから、何だと思ったら、あらあら。立ち話もなんだから、席に座って、座って」
稀莉ちゃんが手前の席に座ったので、私はその隣の席、お母さんの対面の席に座るしかない。
まわって、お母さんの隣に座る、という選択肢はさすがにないよな。
「失礼します」
「面接じゃないんだから、かしこまらないで」
「いえ、そんなことは」
面接の方がよっぽど緊張しない。面接というよりは面談?親子面談?
「紅茶とコーヒー、どちらがいいかしら」
「お、お構いなく」
「そんなわけにはいかないわ」
「ありがとうございます。それではコーヒーでお願いします」
「稀莉は紅茶でいいわよね」
「ううん、私も同じコーヒーで」
晴子さんが飲み物と、美味しそうなクッキーを持ってきて、話の場は整う。
悪くない。歓迎ムードだ。
あとは、私から切り出すだけ。
何から切り出す?
まずは、お付き合いをさせてください、といえばいいのか。
それとも、それは事実として、同棲を許可してください、といえばいいのか。
はたまた、けっ……、それは違うよね、さすがに。
「吉岡さん」
先に口にしたのは、 混乱する私ではなく、稀莉ちゃんのお母さんだった。
「どこまで本気なの?」
「え」
柔らかな空気が、一瞬で張り詰める。
本気。どこまで本気なの?
突然の台詞に、思わず「え」ともらしてしまった。
「吉岡さんがここに来た理由は、だいたいはわかっているわ」
「えーっと、はい。ご想像の通りだと思います」
わかっているなら話が早い。
けど、稀莉ちゃんの母親にすでに主導権は握られてしまい、こちらから切り出すことはできない。
場が支配された。
予兆もなく、一言で、すべてを持っていってしまった。
まともに戦ったら勝てない。
そう、思わせてしまうほどの、圧。
「愛の在り方も、昔とは違って様々な形が認められる時代だわ。国によっては、法が成立し、日本もパートナーシップ制度を認めている区もあるわ。着実に変わっていっている」
時代は変わってきている。
多様性を認め、それぞれの生き方を尊重する。人々の考えは変わり、未来は変化していく。
「でも、それでもまだ甘い。ねえ、吉岡さん。どういうことだか、本当にわかっている?」
わかっている。わかっているつもりだ。
でも、「わかっています!」と元気に答えれられない。
「まず、私達、親としては、やはり孫の顔が見たい。当然の気持ちよね。自然の摂理で、道理。親として、当然の感情よね」
痛い。正直、そこに対するアンサーはない。
今後の医学に期待します、別に子供がいなくてもいいじゃないですか、なんて軽々しく言えない。
「それは、あなたの親も同じよ。吉岡さん、青森のご両親に、この子と一緒に住みますって大真面目に言えるの?」
……言えるだろうか。
いざ口にして、私の両親はどういった顔をするのだろうか。いい顔をするはずがない。諦めてくれるだろうか。それとも必死に止めてくるだろうか。
「それに認められる時代になってきたとはいえ、世間はそんなに優しくない」
その通りだ。
皆が優しいわけではない。
「ほのめかす、営業ではないのよ?本気だと知ったら、離れるファンもいるかもしれない。気持ち悪いと思う人もいるかもしれない」
現状、ラジオリスナーも、「百合だー」、「尊い」と言ってくれてはいるが、いざそれが『本当』だと知ったら、同じ言葉を口にしてくれるだろうか。中には、同じように喜んでくれる人もいるかもしれない。けど、それと同時に批判する人、煙たがる人も、離れていく人も出てくるだろう。
「同棲していると知ったら、仕事が減る可能性もあるわよね。同性が好きと知られたら、アニメのキャスティングもされなくなるかもしれないし、イベントに呼ばれなくなるかもしれない」
そうだ、仕事にも関わってくるのだ。
バレなきゃいい。隠していけばいい。
でも、バレる可能性だってある。事務所にちゃんと説明しなければいけない日も来るかもしれない。
同棲がバレたらどうする?最初は、話題だからと面白がってキャスティングするかもしれないが、長くは続かないだろう。それにトラブル、問題を抱えている声優をわざわざ選ばない。いるだけで、火種になる。
嫌がる声優さんもいるかもしれない。こっちがそんな目で見ていないとわかっていても、意識はしてしまうだろう。共演拒否だってありえる。
「それに稀莉はまだ10代よ。まだ早い。焦る必要はないんじゃないかしら。大学を卒業してからでも、いいんじゃないかしら」
大学を卒業するまでは長いが、待っていられる期間だ。
せめて20歳になってからだっていい。今である必要はない。
「ふつうじゃないのよ、その選択は」
稀莉ちゃんのお母さんがきっぱりと告げ、場は沈黙する。
ふつうじゃない。
ふつうではない選択。
勢いで来たとはいえ、甘かったと言わざるを得ない。
お母さんの言葉はどれも正論で、間違っていない。当然の考えだ。
圧倒的に、私たちが間違っている。
ズレているのは、私たちだ。
そんな中、沈黙を打ち破ったのは、隣の彼女だった。
「わかった、お母さんの話はわかった。私、この家を出ていくわ!」
「き、稀莉さん!」
さすがの晴子さんも慌てて止めようとする。
が、稀莉ちゃんは止まらない。
「駆け落ちよ、駆け落ち!」
「それも甘い考えよ」
それでも、感情的になった彼女を、お母さんは軽く受け流す。
「駆け落ちしてどうするの?声優の仕事はできなくなるわ。バイトもしたことない小娘が急に働けるの?」
「う、そ、それは」
「声優になった、好きにやらせた。稀莉、どこまであなたの我儘を許せばいいの?あなたはまだ子供なのよ?」
「子供じゃない」
認めたのは、母親だ。
稀莉ちゃんが声優をやれているのは、稀莉ちゃんの努力もあるが、両親の支えあってこそだ。
私の力だけでなれた。とは言えない。周りの力があるから、なれたのだ。
「うるさい、黙って」
「稀莉!」
「稀莉ちゃん、落ち着いて」
一触即発の空気を、なんとか止める。
勝てる気がしない。
稀莉ちゃんも、何を言っても敵わないと思ったからこそ、感情的になったのだろう。駆け落ちなんて言葉を持ち出してまで、本気度を伝えたかった。
でも、勝ち負けじゃない。
私は、勝ちに来たんじゃない。
認めてもらうためにきた。少しでも理解してもらうためにきた。
だから、私は言葉にする。
思っていても通じないから、ゆっくりと形にする。言葉に変え、伝わるように努力する。
「理香さん、あなたの考えは至極真っ当な考えです。何も間違っていません。たぶん、私もあなたの立場なら同じことを言うと思います」
隣の稀莉ちゃんが、「そんな……っ」といった悲しみの表情に変わる。
違う、悲しませるために言葉にしたのではない。
左手で彼女の手を握る。
私は、この手を離さないと決めたんだ。
「でも、もう私は、ふつうじゃないんです」
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