第25章 本物の空⑤

 迷いがなかったわけではない。

 圧倒的な実力差を、あの日見せつけられた。

 大好きなはずなのに、自分の力が及ばないことで、嫌いになりかけた。


 でも、私は選んだ。

 彼女が救ってくれた。守ってくれた。私のために尽くしてくれた。

 やっぱり彼女がいなきゃ、私は駄目だ。

 彼女がいたから、今の声優としての自分がいる。

 そして、彼女がいるから、これからの自分がいるんだと思う。




 普段の現場移動なら、マネージャーや、事務所の人が現場まで車で送ってくれる。でも、今日は自分の力で行きたかった。

 マスクに、伊達メガネをかけ、変装。電車に乗るのは慣れていないけど、見上げる路線図は宝の地図で、新宿から数駅の移動も、私にはちょっとした冒険みたいで楽しかった。


 なんとか間違えずに目的地の駅に着くことができた。

 チケットを手に持ち、会場入り口へ向かう。彼女から事務所にチケットは送られてきたが、私は貰わなかった。抽選応募で無事に当たり、すでにチケットは手に入れていたのだ。

 自分で買ったチケットで行きたい。自分の意志で選びたい。ライブに行くなら、きちんと対価を払いたかった。それに彼女の歌を聞いたら、関係者席で大人しく座っていられる気がしないのだ。


 会場に入り、フラワースタンドの写真を撮る。

 会社や、番組や、関係者からのお花だけではない。何個も、何個もファンからのフラスタが届いていた。彼女を応援する人がこんなにいる。彼女の歌を好きな人がこんなにもたくさんいる。ファンの想いの大きさが伝わる。彼女への応援が、好意が、自分のことのように嬉しい。

 ……彼女をこんなに好きなのは、私だけでいいけど。


 席に座る。

 1階席だが、20列目でけっこう後ろの方だ。まだファンクラブもできていなく、CDに先行抽選券も無かったので、完全なる抽選。良席がとれるかどうかは完全に運だった。悪くはないけど、良くもない。表情までは視認できないだろうが、それでも迫力は十分に伝わってくるだろう。

 

 ……落ち着かない。席に着くも、落ち着かない。

 座ってからまだ10分しか経っていない。開演まで、あと30分以上ある。流れるBGMは彼女の歌には関係なく、心穏やかに過ごすことができない。期待と不安が入り混じり、軽く吐きそうだ。

 落ち着くために、再びロビーへと向かった。


 ホール外に出ると、少し気分が落ちついた。

 売り切れの多い、グッズ売り場を眺めていると、声をかけられた。


「あれ、佐久間さん?」


 変装しているのに、簡単にバレる。

 けど、お世話になったこの人ならバレるのも仕方がない。


「お久しぶりです。牧野先生」

「10代に先生って言われますと、学校の先生みたいですね」

「私には、学校の先生以上に先生です」

「そうですか。仕事が無くなったら、音楽の先生を目指そうかしら」


 牧野先生とのレッスンは辛かった。それは先生のせいではなく、自分のせいだったのだが、あの日々は良い思い出とは言えない。

 けど、今なら堂々と言える。 


「牧野先生、またあなたの指導を受けたいです」


 もう逃げたりはしない。

 情けも、甘えもなく、先生の全力の指導を受けてみたい。


「佐久間さん、歌は好きですか」

「……わかりません」


 歌は好きだ。けど、心の底から大好きかと言えると疑問符がつく。歌のために、全てを投げ出せるかといえば、NOだ。


「歌は手段です。気持ちを伝える、道具。別に歌じゃなくたっていいです。感情を伝えるのは、歌じゃなくたっていい」


 正直な気持ちを、自分の言葉でゆっくり、ゆっくりと探しながら、口にする。


「でも、歌が1番伝わるから。メロディに乗せて、人々を震わせることができるから。残念ながら、今の私では人の心を変えることはできません」


 今の私には無理だ。

 けど、できると信じている。だからここにいる。


「確かめに来たんです。歌の力を。彼女の力を」


 彼女が変えてくれた。そして、また変えてくれる。


「私はみつけたい。また、みつけたい」


 あの時のきらめきを。あの日以上の、輝きを。自分の中の、

 

「好き、を確かめに来ました」


 牧野さんがクスリと笑う。


「誰への、と問うべきでしょうか?」

「答える必要ありますか?」

「愚問ですね」

「ふふ」

「凄いですね。私は何人も折れた人を見てきました。立ち向かえない人を見てきました。佐久間さんは強い。あなたの気持ちは強い。私からお願いしたいです。ぜひまた先生をさせてください」

「ありがとうございます」

「羨ましいほどです、その感情は。そうだ」


 そう言って、嬉しそうな顔で牧野先生が、近くのスタッフを呼ぶ。何やら話し、スタッフさんがインカムで何処かに確認をとる。やがて、スタッフさんがOKマークを出し、牧野さんが私の所に戻ってきた。


「どうかしたんですか」

「面白いことを考えました」


 そう言って、小さな声で、私に作戦を伝える。


「どうですか?」

「絶対に楽しいですよね?でも、それなら……」


 逆に私から提案する。

 

「驚くと思いますよ、凄く」

「喜んではくれますかね?」

「困惑する姿が目に見えます」


 かくして、ライブが始まったのだ。



 × × ×

 最初の曲を聞いた瞬間、鳥肌が立った。

 違う。あの時とは違う。

 また、上手くなっている。練習場とは、レコーディングとは違う。CDの曲とも全くもって違う。


 彼女は、ステージの上で光り輝く。

 眩しすぎて、目を背けたくなるほどに。

 

 その圧倒的な才に、私は惹かれる。

 凄い。凄すぎる。

 かっこいい。

 やっぱりヒーローで、ヒロインだ。

 彼女は、光。


 もう目は逸らさない。どんなに眩しくても、見続ける。

 もう、見失ったりなんかしない。

 

 歌う姿はラジオの時とはまるで別人だ。

 「さん」付けしたくなるほど、かっこよくて、私はまた惚れてしまう。

 

「聞いてください!今日のライブ前の食事、高級焼肉弁当に、大人気カレーだったんですよ!」

 

 ……でもトークを聴いていると、やっぱりラジオの人と同じ人だと思う。


「お水美味しい?えー、水道水よりは美味しいですかね。正直、ビールが飲みたい」


 何なの!?ライブの素晴らしさをぶち壊すような、この気の抜けようは!

 だから、だから、この人は、もう……。


「青森の両親に東京のライブチケットを送ろうと思ったんですよ。そしたら、母親は福岡に、父親は大阪に来たんで、東京はいかないよ、と言われました。いや、言えよ。何で、予告なしに来ているの!?びっくりですよ。よしおかんのおかんが、福岡に来ていたなんて……」


 笑いが起き、会場の空気が温かくなる。

 私も自然と笑顔になってしまう。


 本当、仕方がない人だ。

 カッコいいだけじゃない、憧れだけじゃない。

 彼女は笑顔にしてくれる。私を誰よりも笑わしてくれる。

 だから、私は彼女のことが好きなんだ。


「えーっと、次の曲に行きますよ?」


 今度は私がもっと笑顔にしてあげるんだ。



 × × ×

「「アンコール、アンコール」」


 彼女の持ち歌は全て終わったが、なおもアンコールの声が響く。

 会場の皆が、彼女の再登場を待ち浴びる。


「佐久間さん」


 スタッフに声をかけられ、立ち上がる。

 牧野さんに提案され、「面白い」と思った。が、彼女のライブの中で、ファンの一人が特別視されるのはどうか、とも思った。

 彼女のライブだ。私はわき役で、必要ない。

 けど、彼女は言ったのだ。

 『君だけのために歌う』と。『私をみつけて』と。

 『私だけをみて』と。


 私は、その言葉に答える。

 彼女だけを見る。彼女の想いにこたえるために、しっかりと見つけてあげなくちゃいけない。例え、それがズレていたとしても、批判されるようなことだとしても、私は、伝えるんだ。


 彼女が3階席から登場し、会場が一気に盛り上がる。

 間奏の度に、迫りくる緊張。

 そして、彼女が1階席にやってきた。

 近くで聞く彼女の生の声。


 私が夢中になったアニメの主題歌。

 私があの日、憧れた空音の声。

 

 そして、大好きな人。

 

 涙をこらえるのに、必死だった。

 聞きたかった歌。聞きたかった声。会いたかった人。

 泣かない。彼女に会う時は、笑顔だ。笑顔で会うんだ。


 歌が終わり、演奏が流れる中、光へ向かう。


 眩しさの中、気配を感じた。

 誰よりも近くにいたのに、遠くにいってしまった。

 でも、もう終わりだ。今日で終わり。そしてここからまた始まる。


「みつけたよ、奏絵」


 私が奏絵の1番近くにいるんだ。

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