第25章 本物の空③

 福岡、大阪とライブは終わり、残すは4月1週の土曜に開催される東京のライブのみとなった。あっという間にライブツアーも終了だ。

 この日以降は、まだライブの予定はない。

 今年中にアルバムを出す話はあるが、まだ何も決まっていない。詳細は、東京のライブ後に詰めていくとのことで、実際に出すのは早くて夏、普通に考えて秋、冬になるだろう。

 それまで待っていられない。

 ここまで引き延ばしてきたのだ。

 たぶん、今日が運命の分かれ道なのだろう。


「吉岡さん、リハオッケーです」

「はいー」


 立ち位置や、マイクのチェック、流れを確認した。お昼のリハも終わり、あとは開演を待つだけだ。

 誰もいない観客席が、夕方満席になるのだ。

 ……席埋まるよね?当日券ないって聞いたから、空席無いよね?


 スタッフが捌け、私だけが舞台に取り残される。

 前を見据え、芝居がかった台詞を述べる。


「私は手にするのだ」


 稀莉ちゃんには、事務所を通して関係者席用のチケットを渡した。

 チケットが取れなかった、ということはない。


「何を?」


 シャボン玉のように触れたら割れる、空虚なものを手にしようとしている。

 仙台で、彼女の歌う姿を見た。

 彼女はもう歌える。魔法に頼っているとしても、歌えている。

 もう大丈夫なんだ。


「平穏を?」


 自分の都合のいいように書き換え、解釈する。

 空飛びのイベントで、彼女は私の歌を聞いた。

 その後も笑って、トークできていた。

 大丈夫なんだ。もう平気なんだ。


「平和を?」


 願いを本物に変えようと、必死に欺く。

 来てくれる。

 きっといる。

 私の歌を聞いてくれる。見てくれる。


「心の安寧を?」


 でも、と不安に思う私もいる。

 来ないかもしれない。

 私の歌を聞いても、彼女の心に響かないかもしれない。

 何も変わらないかもしれない。


「今までを?」

 

 それでも、私はここに立つ。

 稀莉ちゃんと、元通りのラジオをするために。


 答えは、今日の夜にはわかる。

 ……うだうだ悩んでいる暇はないんだ。

 

「頑張れよ、何時間後かの私……」


 消えそうな声で、未来の私にエールを送った。



 × × ×


 控室に戻ると、いい匂いが充満していた。


「これは、いったい……?」

「あ、吉岡さん。お疲れ様。お昼きたみたいですよ」


 部屋の中にいたのは牧野先生だ。

 歌のレッスンの契約のはずだが、こうやって現場まで来てくれる。私の事務所のマネージャーの給料を代わり払ってあげたいほどに、尽くしてくれる。感謝してもしきれない。

 そんな彼女が向く先に、高級焼肉弁当と、有名カレー弁当があった。


「ど、どうしたんですか。これが私の最後の晩餐になるんですか!?」


 さっきまでのナイーブな気持ちはどこへやら。食欲に勝てない私がいるのでした、まる。


「大げさですね」

「いやいやいや、叙々〇に、オーベル〇ーヌですよ!?前、食べました。別々に食べました。けど、両方がいっぺんに来るなんてできすぎですよ!?盆と正月とクリスマスと花見が一緒に来ちゃってますよ!?」

「あんまり食べ過ぎないでくださいね。残しても大丈夫ですので」

「食べきります!!」


 牧野さんがあきれ顔で見ているが気にしない。長い戦いになるのだ。エネルギー補給大事、すごく大事。

 お弁当を開けると、さらにいい匂いが部屋中に広がった。


「いただきます!」


 さすが芸能人も喜ぶといわれる弁当だ。あまりの美味しさに笑顔がこぼれる。


「大丈夫そうですね」

「はい、お腹はしっかりと満たされますね」

「そういうことではなく!」


 牧野さんも私とレッスンを重ねるうちに、ツッコミがうまくなっている。

 ライブに向けた食欲の話ではない?


「……どういうことです?」

「普通、ライブツアーの最後のライブって、ド緊張する人か、慣れきってしまって余裕な人か、どっちかなんですよ」

「そうなんですねー」

「吉岡さんはどちらでもない」


 ド緊張していないし、余裕でもない。


「というか、ライブはオマケぐらいに考えている。で、怖いのがその意識で、完璧以上を叩き出してしまうんです」


 図星、とまではいかないが、その通りだ。

 ライブのことはしっかりと考えている。けど、思い浮かぶのは彼女のことばかり。

 しかし、買い被りすぎだ。そこまで私は完ぺきではない。


「がっかりさせないでくださいね。お客さんを、私を、佐久間さんを」


 牧野さんの怖い顔に、「はい……」としゅんとする。


「ごめんなさい、心あらずで」

「と、まぁ厳しいことを言いましたが、あなたは全部自覚しているでしょう。少しだけ心に留めてくれればいいです」


 急に明るいトーンになり、先生は言葉を続ける。


「誰のためだっていい。自分のためだって、お金のためだって。最高のパフォーマンスを見せてください。あなたならできちゃいます」


 自分勝手でいいのだ。

 それで、最高のパフォーマンスが出せてしまうのだ。


「はい。できちゃいますかね?」

「弱気にならない!」

「はい、強気の吉岡奏絵でいきます!」


 よろしい、とばかりに笑顔になる先生だった。



 カツは食べていないけど、渇を入れられ、休憩タイムとなった。

 満腹の影響か、ぼけーっと何も考えず、天井を見上げていると、ノックの音がし、明るい風が入ってきた。


「参上したわ!」

「あー、どうも、唯奈ちゃん」


 関係者が激励するために、こうやってイベント前に来ることもある。応援が力になり、見慣れた顔がよいリラックスとなるのだ。


「何よ、元気ないじゃない?」

「スイッチ切っていたの。ご飯食べたばかりでね。それに、これからスイッチをガンガンにオンにするんだから、省エネ中」

「ふーん、そういうもんかしら?」


 あまり理解を得られていないようで。


「唯奈ちゃんはライブ前ってどうしている?」

「うーん、だいたいゲームしているわね」

「へー、スマホでポチポチとか」

「だいたい格闘ゲームか、レースゲームね」

「意外と本格的!?」

「スタッフやマネージャーを呼んで4人プレイ」

「もうパーティーだよ、それは!?」

「熱が入って、つい大声を出して、よく怒られる。そうね、そういう意味では同じかもね。ライブって意識しない。イベントってことを忘れる。スイッチを入れるのは開始10分まえぐらいでいい」


 でも、ゲームのスイッチは入れる、と。


「ところで、稀莉は来るの?」

「……聞いていない」

「ふーん、そう。私も知らないけど。私から聞くのもあれでしょ。てっきりあんたは聞いていると思ったのだけど」


 来るの?と聞きたいが、そんな勇気はなかった。

 行けない、と返事が来たら、歌えない自信がある。


 トントン。

 さらにノックの音がし、もしや稀莉ちゃん!?仙台の再来!?と思ったが、入ってきたのは、植島さんだった。


「お疲れー。あー、ごめん。先客がいたか」

「もじゃもじゃおじさん!」

「え、植島さん、そんな面白い呼び方されてるの!?」


 驚愕の事実である。

 えー、でももじゃもじゃとはちょっと違うような、ぼさぼさの髪だし。ぼさぼさおじさん?さすがに失礼で言えない。


 また扉が開いた。


「吉岡さん、お疲れっすー」


 珍しくうちの事務所のマネージャー、片山君も来た。え、今日雪降らないよね?4月だけど、突然降らないよね?


 さらに開かれたままの扉から、通る声と、可愛い声が聞こえてくる。


「よー、かなかなお疲れー」

「かなえしゃん!」


 声優の東井ひかり、ひかりんに、ほわほわした癒し系な女の子、新山梢ちゃんがやってきた。


「お、大将、やってる?」


 「飲み屋の入店か?」というボケをかましたのは、同じく声優の大滝咲良、さくらんだ。

 これは何の同窓会だろうか。そう思うほど、人が集まり、どんどん増えていく。

 ラジオを始める前まで1人だった。いや、事務所の人や友達はいたけどさ。

 それでも、こんなに仲間は、友はいなかった。

 全部、ラジオをやったからできたものだ。


 でも、1ピース足りない。

 大きな、欠けてはいけない1ピースがない。


 ひかりんがひと際大きな声で発する。


「じゃあ、円陣くもっかー」

「そういうのって、ライブ関係者とやるもんじゃない?」


 冷静なツッコミも、わちゃわちゃした雰囲気のこの場には無意味だ。


「いいよ、やろう」


 私の掛け声に、皆で円をつくる。

 

「掛け声は何がいい?」

「『これ』、で手を下げて、『っきり』で手を上げるとか?」

「これっきりは違くない?『これっきり』、『ラジオー』でいいよ」

「いや、ラジオのイベントじゃないし」

「もう、えいえいおーで」


 「えー、それは違くない?」と声が上がるも、妙案は浮かばず、シンプルな掛け声のまま行くことになった。


「今日のよしおかんのライブの成功を祈って、掛け声いくよー。せーの」


「「えいえい」」

「「おー」」

 

 青春って感じで、すごくいいなと思った。

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