第24章 サヨナラのメソッド⑦
稀莉ちゃんに電話をすると、すぐに出た。
ちょうど仕事と仕事の合間だったらしい。
「急に電話してごめんね。話したいことがあるんだ」
『ごめんねは、私の方よ。奏絵ばかりに背負わせちゃっている』
駆け足ながら、経緯を話した。
これっきりラジオがこのままだと打ち切りになること。
私に空飛びの少女の仕事が来たこと。
そのことで、事務所と揉めたこと。
ラジオスタッフさんたちが、苦しい思いをするくらいなら終わらせてもいい、と言ってくれたこと。
色々あった。言葉では伝わらないほど、複雑な感情があった。
『第一に、私が悪い』
「そんなこと!」
『そんなことあるわ。すべては私が招いたことだといっても過言じゃない。けど今は謝っている暇すらない。時間がない。立ち止まっちゃいけない』
「うん、そうだね、前を向かなくちゃいけない」
彼女の言う通りだ。謝るのは後でいくらでもできる。
謝るために、謝ってもらうために電話したのではない。
「だからさ、私は言うよ」
思いを形にするために、私は言葉にする。
「私は、これっきりラジオを終わらしてもいい」
どうなったっていい。
ラジオだって、マウンテン放送でやらなくたっていい。
事務所だって辞めて、違う事務所に移ったっていい。
私には、稀莉ちゃんがいればいい。
「稀莉ちゃんの声が聞きたい。稀莉ちゃんといたい。君さえいればいい。いつかまた稀莉ちゃんとラジオをやれたらいい」
『うん』
「……そう思っていたんだ。それでいいと思っていたんだ」
彼女だけで、いい。
それで良かったはずだ。
なのに、そんなことはなかった。
ラジオを支えてくれたスタッフとサヨナラしたくない。今まで聞いてくれたリスナー、ファンから離れたくない。温かい環境、居心地の良い場所にずっといたい。彼らの思いに応えたい。
空飛びの少女だって、そうだ。
私はもう空音じゃない。空音だった。昔のことだ。
けど、稀莉ちゃんの今の空音も大好きだ。それに昔からのファンの声もやっぱり嬉しいんだ。空音がいるから、私がいる。空音がいるから、稀莉ちゃんがいる。
どんな仕打ちを受けようとも、空飛びの少女を嫌いになんてなれるはずがない。
困っているなら、見捨てられない。私には関係ないと、見過ごせない。
それは事務所だってそうだ。
裏切られた。守ってくれなかった。
あの日、この事務所に受からなくても、どこかの事務所が拾ってくれたかもしれない。今もなお、ここにいる必要はないのかもしれない。
けど、私を見つけてくれた。見つけてくれたんだ。
一発屋だったけど、クビにならず、事務所に居続けることができた。私の復活を待ってくれていた。役のオーディションに受かった時は一緒に喜んでくれた。仕事が取れた時は、自分のことのように喜んでくれた。
今、声優でいられるのは間違いなく、事務所のおかけだ。
その感謝の気持ちは消えない。嫌いになんてなれない。
「私は、捨てられない」
彼女だけでいいはずなのに、他のことを捨てられない。
思い切って捨てられない。
『奏絵。生きていく上には、捨てなきゃいけないことってあるよ』
「そう、だね」
『私だって捨てている』
「うん」
『普通の高校生活、部活動、バイト、旅行、進路、たくさんのことを捨てている。自分が選んだことで後悔してないけど、でもたまに思うんだ。違う選択肢があったんじゃないかって。普通の佐久間稀莉でも良かったんじゃないかって』
私だって、“普通”に憧れる。
10代の彼女なら尚更だろう。
友達と寄り道をして、クレープ食べて、タピオカを飲む。
部活動を気楽に楽しむのもいいし、真剣に優勝を目指すのもいい。部活をやらずにバイトを頑張るのだっていい。
恋をして、喧嘩をして、泣いて、笑って、迷って、青春を過ごす。
楽しいだろう。普通は楽しい。普通が楽しい。
『でもね、私は誰よりも楽しい人生を歩んでいると自負するわ』
そうだ。
こんなに楽しく、過酷で、毎日が変化の連続で、感情が揺さぶられる人生は他にない。
『10代で大人と張り合って仕事をしている。たくさんの人に声を届けている。多くの人を笑顔にしている。他の人じゃできないの。私だから出来ている』
他の人間は、こんな普通じゃない人生を歩めない。
稀莉ちゃんだから、私だからできることだ。
『そして、奏絵に恋をしている』
「う、うん」
『恋だけで、すべてが明るい色に変わる。辛いことがあっても、奏絵がいる。捨てることも、諦めることもあるけど、奏絵がいる。それだけで幸せ』
私だけで、いい。
私がいれば、すべてがプラスになる。
『でもね、やっぱり私も奏絵と同じ気持ちよ。捨てられない。そうね、仕事も、スタッフも、ファンも、作品も、どんなことがあっても捨てられないの。文句もあるよ、悲しい時だってあるよ。けど捨てることはできない。だって、私は我儘だもん。いいじゃない、色んなことを望んで、明るい未来を望んでも』
幸せ。でも、捨てられない。
「そうだよね、我儘でいいんだよね」
『そうよ、奏絵に会うのをこんなに我慢しているのに、暗い未来なんて嫌よ。この半年、奏絵と過ごすはずだった貴重な甘々な日々を犠牲にして、耐え忍んでいるのよ。ハッピーエンド以外許されない』
半年。けど、彼女と私にとって長すぎる時間だった。
待っているのは、最高の景色以外許されない。
『私は、あなたと明るい未来を歩きたい』
私も、稀莉ちゃんといる未来を歩きたい。
暗い道じゃない。ライトで照らされた眩しい舞台。
そのためには、彼女だけでは駄目だ。
『だから、奏絵言うわ。これっきりラジオを守って。空飛びの少女を守って』
無茶だ。無茶を言う。
けど、彼女のことなら信じられる。どんなに騙されても、どんなに窮地に陥っても、彼女は私に色を与えてくれる。彼女の言葉が、どんな難敵だって倒す武器となる。
『そして、私を守って』
その言葉だけで、私はまた走れる。
みっともない私だけど、君の魔法で強くなれる。
「わかったよ、大好きな君のために全部守るよ」
お別れする方法なんて知らない。
サヨナラの方程式なんていらない。
会議室に戻る前に、事務所に電話を入れた。
マネージャーの片山君が出たが、私だとわかるとすぐに社長に変わった。
『空飛びのことは考え直してくれましたか』
謝罪の後に、本題に切り替わる。
「私としては」
私の答えはすでに出ている。
「ごめんなさい、この仕事はお受けできません」
『そうか……、どうしてもか』
「事務所の言いなりになりません。委員会の思惑にも乗りません。放送局の圧力にも屈しません。私は、私の意志で明確に仕事を断ります」
社長が絶句する。
そして、私の決意を述べる。
「だから断った後でいいます。受けるんじゃありません」
受けるんじゃない。私の意志でやる。私の、私たちの気持ちで変える。
「私が空飛びを救います」
冬が終わり、忙しすぎる春がやってきた。
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