第23章 踏み出した今⑤

 ライブ後、帰りの新幹線まで時間があったので唯奈ちゃんと牛タン屋さんに入った。二人でライブの感想を話すのは楽しく、思えば彼女とこんなに打ち解けられたのは初めてかもしれない。

 

 ご飯の後は、お口直ししたいとのことで、商店街の方で甘いものを探した。


「ずんだシェイクが有名みたい」

「1月にシェイクは寒いかな」

「じゃあ、あれはどう?」


 唯奈ちゃんの目線の先には、たい焼きさんがあった。けっこう列ができており、有名なお店みたいだ。

 うすかわたい焼きと、生たい焼きの2タイプがあり、あん、カスタードクリーム以外に、ずんだ味がある。さすが仙台だ。


「ずんだ味でいいよね」

「仙台にせっかく来たからにはそうね」


 おばちゃんから受け取ったたい焼きは温かく、冷えた手にはちょうど良かった。

 お店の前は混んでおり、駅前のベンチで食べることにした。


「初めて食べたけど、ずんだいけるわね」

「思った以上に甘いけど、かといって凄く甘くもなく」

「何、あんた、グルメリポーターでもなるの?」

「まだまだ声優をやめません!」


 言った拍子で、ライブ前のことを思い出す。

 そういえば、ライブ前に、唯奈ちゃんが私に何か言いたがっていた。

 唯奈ちゃんに尋ねると、罰が悪そうな顔をした。


「忘れたと思っていたのに……」

「珍しく神妙な顔をしていたからさ」

「まぁ、言うわね。ラジオがつまらないと貶して、ごめんなさい。あんたは凄い声優で、凄いラジオパーソナリティ。そして凄い歌手」


 唯奈ちゃんも褒めてくれた。私の歌が上手いとほめてくれた。


「私はあなたの歌を聞いて、驚いたわ。驚いた。それと同時にね」


 人通りがそれなりに多い、暗がりの中で彼女は語る。

 その顔は、稀莉ちゃんとは違った。怯えた、私に恐怖した稀莉ちゃんとは違った。


「私は嬉しかったんだ。あんたはライバルになれる。歌でもライバルになれるって」


 笑顔だった。


「敵わないとは思わない。負けるとは思わない。でも脅威だと思った。けどねそれが嬉しいの。正直、競争相手がいなくて寂しかった。私が世界一すぎて、つまらなかったの」


 傲慢で、自信家な女の子。

 だからこそ、唯奈ちゃんは揺らがない。そんな声優、歌手なんてなかなかいない。この子は強い。10代にしてどれだけの苦労と、努力を重ねてきたのだろうか。


「面白い子だね、唯奈ちゃんは」

「よく言われる」


 唯奈ちゃんが立ち上がり、私を見下ろす。


「宣戦布告よ」


 彼女は不敵に笑い、


「私は」


 吉岡奏絵に宣言する。


「負けない。負けないわ」


 私だって負けるつもりはない。

 声優としてだって、歌だって、恋だって。

 私も立ち上がり、目線を合わせる。私の方が少し高い背。でも彼女の存在は大きい。

 

「ライバルとして認めてくれたってことだよね?」


 ラジオの時は、冗談交じりだったかもしれない。

 けど、今は私のことを、本気のライバル、同じ舞台に立つ敵として認識してくれる。光栄で、嬉しくて、そして私の中の何かが燃える。


「ええ、そうよ。絶対に負けない」


 彼女が手を差し出す。

 私も笑みを浮かべ、強く握り返す。

 小さな手。でもこの手を持つ女の子は稀莉ちゃんと同じく、高みを目指す手だ。

 世界一は大げさかもしれないが、声優界一、日本一を目指すライバル。

 私だって、負けない。負けてやらないんだから。

 私は意気込み、今日という日に感謝する。仙台に来て良かった。唯奈ちゃんと一緒に来れて良かった。


「あーーーーー」


 声が聞こえた。

 驚いた声。

 その声は、私ではなく、手を握る唯奈ちゃんの声でもない。

 その声は私たちに向けられたものだった。

 私たちの変装を見破ったファンではない。

 よく聞いた声。あまりにも聞きすぎた声。


 冬なのに、顔から汗が噴き出る。

 恐る恐る振り返ると、彼女がいた。


「あ」

「え」


 一瞬で、顔が青ざめた。

 稀莉ちゃんが、そこにはいた。


「何でいるの?」


 稀莉ちゃんに問い詰められる。

 会いたくて、会いたくてたまらなかった。

 ステージに立ち、彼女の歌う姿に涙した。彼女への気持ちが強まった。


 けど、今じゃない。今じゃなかった。

 

 会わないと約束したわけではない。ここにいてもいい。ライブを観に行くのは禁止されていない。いや、そこまで話していなかったけど。

 目の前の唯奈ちゃんも慌てていた。


「稀莉、こ、これは違うのよ」

「稀莉ちゃんが心配で、頑張っている姿みたくて。み、見て、このTシャツ、ライブに行った証拠だよ?」


 中のインナーを見せ、必死に言い訳するも、鬼の形相をした稀莉ちゃんには響かない。


「どうして二人でいるの?奏絵がどうして唯奈と一緒なの?」

「稀莉、これはわけがあって、別によしおかんと何かあったわけではなく」

「うるさい、唯奈は黙って」

「はい、黙ります。私、橘唯奈は黙ります!」


 さっきまでの傲慢で、強気な世界一の女の子はいなかった。

 怖い、稀莉ちゃんが怖すぎる。


「で、二人はいつまで手を握っているわけ?」

「へ」

「あ」


 言われて、やっと気づく。

 稀莉ちゃんの突然の襲来で、手を離すことを忘れていた。慌てて離すも、時すでに遅し。

 稀莉ちゃんは、仙台の街中に響くかと思うほどの大声で叫んだ。


「浮気現場だ―――――――――!!!」


「ち、違う!」

「違う、違うから!」


 さて、どこからが浮気なのだろう。

 告げずに、二人で会うのがアウトだったら、これは浮気なのか?


「違わない?」

「よしおかん、否定しなさい!違うでしょ。新幹線乗って、ライブに行って、牛タン食って、ずんだ味のたい焼き食べたぐらいでしょ?」

「デートじゃん!完全にデートじゃん。私だって、奏絵とたい焼き食べたかった、ずんだパーティーしたかった」

「稀莉ちゃん、ずんだパーティーって何?」

「今はそこに突っ込んでいる場合じゃないでしょ、よしおかん」

「伊達さんに刀を借りてくるわ」

「伊達政宗さんも急に来られたら困るよ!?」

「歴史上の人物でしょ、伊達さんは!」


 収拾がつかない。周りからも注目され始め、今すぐにでも逃げ出したい。

 けど、逃げられる気がしない。

 さらに怒り心頭の稀莉ちゃんが私を問い詰める。

 

「私とキスしたのは嘘だったの?」

「う、嘘じゃない」

「ねえ、吉岡さん。キスってどういうことかしら?」

「怖い、顔が怖い」


 もう1人、鬼が現れた。唯奈ちゃんの顔が怖すぎる。

 先ほど、手を繋いで、ライバル宣言をしたのが遠くの過去に思える。今は、村を滅ぼされた勇者が宿敵のラスボスを睨むかのような目をしている。いや、知らんけど!

 というか唯奈ちゃん、詰め寄らないでほしい。さらに稀莉ちゃんに誤解される!怖い。稀莉ちゃんの顔が怖い。あっ、髪切ったんだね、可愛いねと褒める隙さえない。

 会いたかった。今すぐにでも稀莉ちゃんに会いたかった。

 けど、この瞬間ではなかった。


 アニメ制作の現場は修羅場というが、こんな修羅場は初めてだった。

 いや、何十年働いた巨匠でもこんな修羅場は経験するはずがないって!

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