第22章 私をみつけて⑥

 会場のBGMが止まり、お客さんたちがざわつく。

 いつものジングルが流れ始め、音楽に合わせ、手拍子が起こる。


「行くよ」


 隣にいる稀莉ちゃんに呼びかける。

 彼女は「うん」と小さく頷き、一緒にステージへ飛び出す。


「皆、こんばんはー!」「こんばんはー」


 わーとステージの端から端まで移動し、皆に手を振る。

 本日2回目のステージだが、お昼とは違う。節目となる大事な、最後の時間。


「佐久間稀莉と」

「吉岡奏絵がお送りする……」


「「これっきりラジオ~」」


「夜の部、開演です!」


 お客さんの歓声と拍手が会場全体に響き渡る。

 何事もなかったかのように、夜の部は始まった。

 席は、全部埋まっている。当日券はなく、事前に完売。

 これっきりラジオの二人を、もう一緒に見れないかもしれない。もしかしたら最後かもしれない。そういった声もあり、チケットは入手困難だったとの話だ。

 嬉しい気持ちな半面、ここまでついてきてくれたリスナーさんでさえ、不安にさせてしまっている現状に、申し訳なさを感じる。昼の部の稀莉ちゃんの涙は、余計に彼らを心配させてしまっただろう。


 昼の部同様、明るいコーナーもあったが、夜の部は、何かとしんみりする場面が多かった。

 特別コーナーとして、1年間を振り返る企画もやった。イベント前のアンケートから思い出を振り返った。また収録ごとに毎回SNSに載せている写真をピックアップして、当時のエピソードを説明した。懐かしさに胸が締め付けられた。

 あっという間だった。大切な時間は、あっという間すぎた。


「皆さん、盛り上げてくれてありがとう!後は、歌を残すのみとなりました」


 観客から、「えー」、「今来たばっかり―」、「終わらないで―」と声が届く。


「ありがとうございます。私も終わりたくないです。ずっとこの場で笑っていたい。稀莉ちゃんと笑っていたい」


 隣の稀莉ちゃんは笑っていない。笑えていない。

 リスナーもはたして心から笑えたイベントだったのか、わからない。


「寂しいです。一人にはなりたくない」


 植島さんと、稀莉ちゃんと話し合い、歌のパートは最後の挨拶の後、本当の本当の最後にしてもらった。

 また歌で稀莉ちゃんが崩れて、最後の挨拶まで駄目になってしまったら不味い。稀莉ちゃんと話す前に、植島さんは私だけにそう言った。

 「吉岡君も賛成してくれ、歌は最悪無しになってもいいから、最後の挨拶はしっかりと言って欲しい」と。

 リスナーの気持ちや、スタッフの気持ちを考えると、植島さんの言葉は最もだ。開催する側として間違っていない。

 違う、私は違う。

 稀莉ちゃんが落ち込んだまま、終わらせてたまるか。


「でも、必要なことだと思っています。私たちが成長するために、これっきりラジオがもっと良いラジオとなるために」


 稀莉ちゃんを一人にはさせない。傍にいられないとしても、離れたとしていても、一人にはさせない。


「リスナーの皆さん、これからもこれっきりラジオは続きます。私は守っていきます。また、笑顔で会いましょう」


 私の挨拶が終わり、拍手が起こる。

 次は稀莉ちゃんの挨拶だ。


「私も寂しい。本当はお休みなんてしたくない。また会いたい」


 出てくるのは、不確かな願望。


「皆と、楽しく笑いたい」


 第1回目で公開告白をした、大胆不敵な彼女はもういない。


「今日はありがとうございました。この日を忘れません。本当にありがとうございました」


 短めの挨拶が終わり、拍手とともに、ステージから捌ける。

 衣装の変更はないので、焦る必要はないが、歌う準備が必要だった。


 BGMが流れる。

 私たちの歌の準備の間に、今までのこれっきりラジオの写真を流しているらしい。写真の度に、「わー」、「おー」といった声が聞こえる。

 けど、いつものイベントに比べれば、皆静かだった。この瞬間を、この時間を、しっかりと胸に刻んでいたんだと思う。


 目を閉じると、たくさんの思い出が蘇る。

 初めての収録。失敗した掛け合い。病院で聞いた収録には大きな勇気を貰った。グッズの紹介は楽しかったな。お便りを選ぶのは毎回楽しかった。リスナーさんの名前を次第に覚えていった。お便りが来るたびに嬉しかった。初めてお便り送ります、の言葉も嬉しかった。時間が足りなくて、お便りを全部読めないのは辛かった。SNSでラジオの感想をみて、ニヤニヤした。お渡し会で、リスナーさんから直接言葉を貰うのは嬉しかった。

 ラジオ、たかが30分のラジオ番組だ。こんなに私たちに夢中になってくれるのは幸せだ。リスナーさんが誇らしかった。

 

 ぱっと、目を開ける。

 止まらない。

 思い出に、染み入っている場合ではない。

 進むんだ。


 奥を見る。稀莉ちゃんはそこにいた。

 舞台袖で縮こまる彼女の元へ向かう。


 ゆっくりと足を踏み出す。

 

 世界が終わってしまう前に、世界が変わってしまう前に、私は告げる。

 空音、力を貸して。


「……そうだね、ごめんね空音」


 あなたに頼るのはもう終わりだ。

 私を、吉岡奏絵を信じればいい。自分を信じてあげよう。

 その力は君がくれたから。君との日々がくれたから。

 私は、君を救う。


「稀莉ちゃん、まだ怖い?」


 しゃがんでいる彼女が私を見上げる。潤んだ瞳。怯えた表情。

 翼の折れた、飛べない女の子。


「怖い」

「そうだよね、怖いよね」


 イベント前までは、大丈夫だと思っていた。完全とはいかないまでも、きちんとイベントはこなせると思っていた。歌えると思っていた。お渡し会で勇気をもらった。その後の水族館と、プラネタリウムで想いを伝え、決意は固まった。心は変わった、強くなった。

 そう思っていた。甘かったのだ。

 闇は簡単に消えてくれない。見えた光を、すぐに覆ってしまう。


「もう、わからない。わからないよ……」


 彼女の頭の中で、様々な感情が渦巻く。稀莉ちゃんだって、頑張りたい。成し遂げたい。

 でも、上手に息ができない。暗い水の中から上がってこれない。泳げば泳ぐほど、沈んでしまう。空を飛ぶどころではない。


「稀莉ちゃん」


 膝をつけ、しゃがむ彼女をまっすぐに捉える。

 彼女が私を見る。やっと視線が合った。


「私は、歌うよ。歌う」

「う、うん」


 リスナーのため。ファンのため。アニメのため。お金のため。生きるため。

 自分のため。成長のため。夢のため。

 全部違う。


「君だけのために歌う」


 え、と驚いた顔。


「ここはイベント会場だけどさ、関係ない。たくさんのお客さんが来ているけど、彼らのために歌うんじゃない。君だけのために歌う。だから、稀莉ちゃんも余計なこと考えずに、私のことだけ考えて、歌ってほしい」

「そ、そんなことできない。歌えば、色々なことを考えて、足が震えて、心が怖気づいて……」


 舞台袖でスタッフもいる。

 観客席ではリスナーたちが私たちを待ちわびている。

 でも、関係ない。

 彼女だけいればいい。余計なことは何もいらない。全部捨てればいい。

 希望も、絶望も、闇も、光も全部消してしまえばいい。

 彼女と、私だけでいい。


 真っ直ぐに見つめる。

 おまじないにも似た、呪い。魔法にも似た、誓い。

 

「私のことだけで、いい」

「え」


 そっと顔を近づける。

 大きく開いた瞳。止まった息。確かな感触。初めての繋がり。

 重なる想い。


「……」


 合わさった時間は永遠で、私達二人だけの時間だった。


 触れた唇をゆっくり離す。


「他の人なんて気にしなくていい。余計なことなんて全部捨ててしまえばいい。私だけでいい。私だけを見て」


 私は、告げる。


「そして、私をみつけて」


 感触がいまだに残る。消えない。消えることはない。

 目の前の女の子も、真っ赤な顔をしていた。


「また私をみつけて欲しい。私を見て、また憧れて欲しい。そう思えるように、私は輝くから」

 

 私だって、顔が熱い。


「大丈夫だよ、稀莉ちゃん。稀莉ちゃんは空音だもん。私の空音だから。飛べる、飛べるさ」


 高ぶる気持ちおさえず、言葉を続ける。


「きっと辛いこともたくさんあるよ。でも私はずっと隣にいる。お休みしちゃうけど、会えないし、見えないかもしれないけど、私はいるんだよ。嫌がっても、嫌っても私は隣にいる。また笑って会うんだ。一緒にだって、住む。喧嘩するかもしれないけど、そしたら仲直りすればいい。嫌いと思うこともあるかもしれない。でもそれ以上に好きをあげる」


 私は、君との未来を歩きたい。

 それが、私の揺るがぬ夢。

 一緒に歩いて、それで色々とオマケがついてきたらいい。


「だから稀莉ちゃん。私だけをみて」


 もう一度、優しく口づけする。

 私を忘れさせない。

 私だけでいい。何もいらない。

 色々なことは考えずに、まっすぐに私だけをみてほしい。

 私も稀莉ちゃんだけでいい。


 いまだ放心したままの彼女の手を掴む。


「行こうか」


 手を引っ張ると、彼女は立ちあがった。

 大丈夫、大丈夫だ。


 彼女は涙を拭い、真っ赤な顔をして、「馬鹿」と言って、

 そして、私に笑顔を見せた。


 手を繋いだまま、光の先へ向かう。


 稀莉ちゃんとのラジオは終わる。

 彼女との関係もいったん終わる。


「さようなら、稀莉ちゃん」


 少女だった彼女への、お別れ。

 ぽつりとつぶやいた言葉は、ステージ上に登場した、私たちへの歓声にかき消される。

 手を繋いだままの彼女が私を見て、微笑む。

 私は頷き、稀莉ちゃんから口を開く。


「いくわよー!」

「最後いくぞー、これっきりじゃない!」


 私は、また彼女にみつけてもらうために歌う、歌っていく。

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