第22章 私をみつけて⑤

「それでは、この後はお待ちかねの番組テーマ曲を披露です!」


 奏絵がそう言って、いったんステージから一緒に捌ける。

 心臓が脈打つ。

 ドクン、ドクン。

 足が震えている。視界もおぼつかない。


 でも、立たなきゃ。

 ステージに立って、歌わなきゃ。


 これが最後。本当に最後になるかもしれないイベントだ。

 まだ夜もある。

 けど、見てくれるお客さんは、お昼で最後の人もいるかもしれないんだ。

 私の、精一杯を見せるんだ。


 奏絵は、私に言ってくれた。

 私に会えたから、変われたと。私が、憧れだと。


 彼女の期待に応える。憧れの私でいる。

 皆の期待に、奏絵の期待に応えて、


 ――応えて、どうなるというのか。


「違う」


 頭の中の言葉を必死に否定する。

 一時的にお休みにするけど、まだ続けるんだ。1年後、また会うんだ。私は成長するんだ。待ってくれるファンのために頑張って、奏絵とまた一緒にラジオをして、笑い合うんだ。


 ――本当に成長できると思っているの?


「やめて」


 奏絵が、私の憧れが言ってくれたから。

 1年後、私は待っている。走りづけて、待っている。

 そう言ってくれた。奏絵は待ってくれるんだ。

 

 ――駄目な私を本当に待ってくれるのか?


「稀莉ちゃん、大丈夫?」


 心配そうな顔をした奏絵が私を見る。

 「本当に待ってくれる?」という言葉を飲み込む。

 待ってくれる。待ってくれるに決まっている。私は奏絵を信じている。大好きな奏絵を信頼している。


 ――お前は、吉岡奏絵が嫌いだ。


 そうだ、その通りだ。そんな自分もいる。奏絵を妬む自分もいる。自覚はしている。でもそれ以上に彼女のことが好きで、何もしないで立ち止まっている自分が嫌いだ。


「稀莉ちゃん……」


 奏絵が私の名を呼び、手を握る。

 私、私は――。


「吉岡さん、佐久間さん、そろそろお願いします」


 スタッフに呼ばれ、ハッとする。

 休む暇なく、心落ち着く間もなく、時間は来る。


「い、いくわよ、奏絵」


 言葉だけは虚勢を張るが、声が震えている。

 奏絵は何も言わず、頷いた。


 イントロが流れ、ステージへ向かう。


「おおおおお」


 登場する私たちを、お客さんたちは歓声で出迎える。

 観客はその場に立っている。ペンライトを振っている人もいた。

 

 揺れる光に、心がふらつく。

 最初は、奏絵のパートだ。


「今日もあなたを笑顔にする番組をお届け~♪」


 会場の空気が変わるのを感じる。

 息を呑む。

 観客の一瞬の沈黙。

 隣にいる私でさえも、改めて驚いてしまう。


「おおおおお」


 リスナーもどよめき、驚きの声を上げる。

 圧倒的に、どうしようもなく、上手い。

 『やっぱり稀莉ちゃんは歌いたいんだよ』

 そう、私は奏絵になりたかった。この人のように大きな存在になりたい。ステージの上で輝いていた、空音になりたい。私も、憧れとなりたい。


 ――憧れには、一生追いつけないとしてもか。

 

「聞けば、どこだってパレード~♪」


 何とか、自分のパートの歌い出しを口にする。

 かろうじてだ。


 プラネタリウムを見ながら、彼女は言った。

 『私は決めたよ。歌う。アーティストデビューする』

 彼女は、私を奮起させようと挑発した。

 『だから、私に負けずに着いて来てね』


 負ける。いや、負けてもいいんだ。

 追いつけるわけがない。いや、追いつけなくてもいいんだ。

 憧れに届かなくたっていい。


 でも、それじゃあ、私は何でここに立っているの?

 

 歌詞が、飛んだ。


「もっと近づきたい、もっと喋りたい♪それならお便りを送ろう♪」


 すかさず私のパートを、奏絵が代わりに歌う。

 CDを聞き込んでいる人は違和感を感じたかもしれないが、多くの人は気づいていないだろう。表面上は間違っていないようにフォローする。

 さすがだ。敵わない。私は自分のことさえ上手くできないのに、彼女はフォローできる余裕がある。


 サビに入れば、ある程度ごまかしがきく。二人で歌うパートだ。

 でも、歌うことに集中しすぎて、ワンテンポ振り付けが遅れる。


「これっきりじゃない♪」

「っれっきりじゃない♪」


 次は振り付けに気を取られ、歌が遅れる。

 修正しなきゃ、調整しなきゃ。

 焦れば、焦るほど、余裕がなくなっていく。


 前方を見て、下を向くと、画面にカンペが出ていた。

 『笑顔、笑顔』


「っ……」


 私は、何をやっているのだろう。

 誰に向かって歌っているのだろう。リスナーに向けて、精一杯歌うじゃなかったのか。

 やっぱりだ。


 『私は、信じている』

 ごめん、奏絵。私は自分を信じられない。

 私は、うまく歌えない。


 × × ×

 散々だった。

 何度もミスし、振り付けも間違え、いまだ表情は強張ったままだ。


 歌のパートが終わり、そのままお昼の部の最後の挨拶となる。

 まずは、奏絵からだ。


「皆さん、どうだったかな。稀莉ちゃんとのデュエット最高だったよね!?」


 観客から、「わー」と歓声が上がり、大きな拍手が送られる。

 駄目。こんな温かい気持ちを受け取る出来じゃなかった。

 私が足を引っ張り、台無しのステージとなってしまった。


「夜の部もよろしくねー。では、次は稀莉ちゃんから挨拶!」


 奏絵の挨拶も耳にあまり入らず、私の番となる。


「今日はありがとうございました。その、突然、ラジオをお休みすることになり、ごめんなさい」


 お昼の部は楽しもう、という植島さんの言葉を守れなかった。私は、笑えていなかった。


「私の、力不足な私のせいです」


 涙が零れながら、退場する。

 リスナーからは心配する声が聞こえたが、リスナーの顔を見て、「大丈夫!」と答えることはできなかった。

  

「稀莉ちゃん、お疲れ様」


 舞台袖で彼女に抱きしめられ、涙がいよいよ止まらなくなる。


「ごめんなさい、ごめんなさい」

「頑張ったよ、稀莉ちゃんは頑張った」


 一言も責めない、彼女の温もりが辛かった。


× × ×

 稀莉ちゃんが泣き止むまで、10分ほど抱きしめたままだった。

 彼女に夜の部は歌わないことも提案したが、答えは返ってこなかった。


 落ち着いた稀莉ちゃんを、ロビーまで連れていった。

 たくさんのフラスタが飾られていた。


「綺麗なお花がたくさんだね」

「そうだね、たくさんの人の声がするわ」


 フラスタを観て、稀莉ちゃんは少し元気になった。

 でも、また歌ったら傷ついてしまうだろう。


 リスナー以外にも、同業者からもたくさんのお花が届き、飾られていた。

 まるで、最終回、卒業記念かのように。


 ……終わらせない。

 事態は最悪だ。稀莉ちゃんがこれ以上傷つくことになるなら、イベントを中止にした方が良いだろう。せめて歌だけでも無しにした方がマシだ。


 でも、私は止めない。

 稀莉ちゃんは、どうして歌えない?

 私が上手い。私が憎い。自分に自信が無い。上手くやろうとしすぎている。私が好き。私が嫌い。憧れに押し潰されそうになっている。夢を見失った。目的の喪失。不安。心配。恐怖。リスナーの期待。スタッフの想い。

 いくらでも考えられる。思い浮かび、すぎる。あり、すぎるんだ。


 だから、私は実行する。

 ……良くないことだと思う。このタイミングではないと思う。

 でも稀莉ちゃんを救いたい。それだけは確かで、それしか解決方法が無いなら、いくらでも私は彼女の力となる。


 夜の部の開催時間は、迫っていた。

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