第21章 繋いだ手⑤
これっきりラジオ収録の前に、植島さんと二人で話す時間を設けてもらった。
「どうでしょうか、植島さん」
私の提案に、決断に、植島さんは目を丸くする。
「君はそれでいいのかい、吉岡君?」
「はい、決めました」
迷いのない言葉に、植島さんが頭を抱えた。
「身勝手な提案をしてしまい、ごめんなさい」
「違うんだ。申し訳ないのはこちらだ。私が早く答えを出すべきだったんだ。君に、決断をさせてしまった」
それは私も同じだ。稀莉ちゃんに辛い決断をさせてしまった。私だって何もできなかったんだ。自分が招いたことなのに、何も動けなかった。
けど、もう立ち止まる私でいたくない。
「それでどうでしょうか。無茶なお願いだとはわかっています。難しいとは思っています」
「わかった。話はわかった。でも、佐久間君の意見も聞かないといけない」
「それはわかっています。大変でしょうね、説得するのは」
素直に納得することはないだろう。
けど、彼女をわからせるしかない。
植島さんが立ち上がり、紙コップのコーヒーをぐいっと飲み干す。話はひとまず終わりだ。そう思って、私も立ち上がろうとした時、植島さんが口を開いた。
「なあ、吉岡君。佐久間君が、アーティストデビューの話を断ったのは聞いたかい?」
「はい、聞きました」
事務所を通して、正式に断ったと彼女の口からきいた。桜を見ながら、嬉しそうに夢を語った彼女はもういない。稀莉ちゃんの夢を、私が黒く塗りつぶした。
「でもね、もう1つ話はあったはずだ」
「あ」
確かに聞いていない。
彼女は言った、アーティストデビューと、もう1つの話が来ていると。
いや、わざわざ言っていないだけで、もう断っているかもしれない。これから言うつもりだっただけかもしれない。
でも、空はまだ曇っていない。
「彼女は諦めてないんだと思うんだ、私は」
植島さんの意見は、希望的観測にすぎない。
ただ、その可能性は、私の提案を後押しする。
「君の考えを尊重するよ。色々と大変なことになると思うけど、気にするな。それは決断できなかった、私たちに任してくれ」
優しい口調で、植島さんが語り掛ける。
この人がいたから、『これっきりラジオ』がある、大切な場所になることができたんだと、改めて認識する。
「ありがとうございます」
私は一人じゃない。彼女だって一人じゃない。
だから、救いに行くんだ。
彼女の手を握って、向かう先が見えなくても、駆け出すんだ。
***
奏絵「今日はまずお知らせです!」
稀莉「しっかりと聞きなさいよ。これっきりラジオ2回目のイベントの場所が決定しました!」
奏絵「東京!」
稀莉「東京!」
奏絵「そう、リスナーのみんな、ごめんなさい。2か所で開催予定だったんですが、色々な事情により東京のみの開催となりました」
稀莉「期待していた地方の方々、ごめんなさい」
奏絵「それと7月開催予定だったのですが、6月末開催となりました。7月に予定押さえていた人もごめんなさい。昼の部、夕方の部の2部制となります」
稀莉「チケットの応募は来週発表するわ。来週もかかさずに聞くのよ」
奏絵「6月初旬にお渡し会で、6月末に番組イベント。盛りだくさんの1カ月だね」
稀莉「そうね、頑張らなきゃね。梅雨の時期だけど、雨に負けてらんない」
奏絵「じめじめせずにいきましょー」
稀莉「では、このコーナーよ」
奏絵「よしおかんに報告だー!」
稀莉「こちらのコーナーでは、よしおかんに相談したいことをリスナーさんが送り、よしおかんに聞いてもらうコーナーです」
奏絵「新年度特有のお悩みが今回は多かったね」
稀莉「そうね、新しい学校に、新しい職場。新しい環境に戸惑っているリスナーが多かったわ」
奏絵「そんなお悩みリスナーをスッキリさせちゃうよ!」
稀莉「よしおかんにできるかしら。では、こちら。ラジオネーム、『じわっち5号』さん。吉岡さん、佐久間さん、こんにちやっほい。今年の4月で社会人5年目となりました。うちの部署にも新人が数人入ったのですが、その新人とのコミュニケーションに悩んでいます。何を話したら良いのか、わかりません。オタクの自分にとって、アニメ、声優以外の話題は難しいのです。新人とは仲良くしたいのですが、何を話したら良いかわからないので、お昼になかなか誘えません。頼れる、何でも話せる先輩になるために、若い子が受ける話題、何かありませんか?ぜひご教授ください。よろしくお願いします」
奏絵「うぉ、めっちゃふつおた!」
稀莉「はいはい、ふつおたは破りません」
奏絵「破らないのかーい」
稀莉「破ると掃除が大変、と番組スタッフに注意された」
奏絵「違う。ためらう理由違うっ!」
稀莉「今年からは地球に優しい声優になるの」
奏絵「う、何だか物足りなくて、息苦しい」
稀莉「で、新人君?新人ちゃん?と何を話せばいいのかって」
奏絵「うーん、とりあえず天気の話じゃないかな」
稀莉「無難すぎる。それにすぐその話題は終わるわ。今日いい天気だね。そうですねーって」
奏絵「そこから話を広げるんだよ。天気がいいといえば、そうだね、何故空が青いか君は知っているかい?光が散乱しているからだよ。レイリー散乱っていってね、大気にある粒子に光が」
稀莉「めんどい、めんどくさすぎる先輩!」
奏絵「えー、食いつかないかな」
稀莉「何のアニメの影響?うん蓄ばかりの人は嫌われるわ」
奏絵「うーん、じゃあ仕事の先輩なんだから仕事の話?」
稀莉「お昼休憩中も仕事の話をされたら、たまったもんじゃないわね。せっかくの休憩なのに休めないのは辛い」
奏絵「僕が新人の頃はね……」
稀莉「急に自分語りしてくる先輩も辛い!」
奏絵「じゃあ、ここは自分たちに置き換えて考えてみよう。私たちは何の話で盛り上がっているっけ?」
稀莉「服や、映画の話や、グルメや……」
奏絵「うーん、何だか普通だね。あとは何だろうか」
稀莉「アニメの話に、声優の話に、漫画の話」
奏絵「うん、やっぱり自分の得意分野がいいよ。『じわっち』さんもオタクな話題で攻めてみよう!」
稀莉「急に先輩が、女性声優の話をし出したら困りすぎる!」
奏絵「ぐへへ、最近の推しは稀莉ちゃんという10代の声優でね。もう若くて、可愛くて、ぐへへへ」
稀莉「そんな先輩いりません!」
***
イベント縮小は、収録前に植島さんから私たちに発表があった。彼女も仕方がないと思ったのだろう。何も言わず、素直に頷いた。
イベントが1か所になったことは、ラジオでお知らせすることになったが、暗い雰囲気にはならなかった。
いつも通りだった。いつも通りに思わせた。
普通だけど、普通じゃない。
いつも通りだけど、いつも通りじゃない。
ラジオの前のリスナーは気づくか、わからない。けど、やっぱり変わってしまったんだ、と私は痛感する。
でも、まだ前哨戦だった。これからが本番。
完成した曲をラジオで流す、というメインテーマが残っていたのだ。
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