第21章 繋いだ手②

 稀莉ちゃんのレコーディングが中止となったのは、私が原因。

 先生が直接そう言ったわけではない。

 でも、私の実力が、彼女を傷つけ、追い込んだ。例えそれが稀莉ちゃんの思い込み、勘違いだとしても要因は私だった。

 

 知ってしまった現実に、足取りも重くなる。

 先生に事実を教えられ、すっかり私の怒りは何処かに行ってしまい、帰路につく。

 いまだ、私に歌の才能があるなんて信じられない。

 いっそ、夢だった方が気楽だ。


 稀莉ちゃんに会いたい。稀莉ちゃんの声が聞きたい。

 けど、今の彼女は望んでいないかもしれない。いや、今だけじゃないかもしれない。これからも、未来永劫、彼女は私を必要としないかもしれない。


「っ……」


 涙をこらえる。最悪の結末は考えたくない。それに今辛いのは私じゃなく、彼女だ。私が泣いている場合じゃない。


 家に着き、明かりのついていない部屋に寂しさを覚える。

 こんな時、同期の瑞羽に相談しても迷惑だろう。「実は私、歌の才能があったの」なんて、同業者にとって嫌味だ。なら、実家の親に電話する?理解してくれるはずがない。こういう時は事務所か。ただもう夜も遅い。明日、直接行って、相談すると決め、気持ちを安定させる。

 1番聞きたいのは、君の声。

 そんなのわかっている。けど、応じてくれるはずがない。

 彼女の頼りになりたい。頼られる自分でありたい。そうやって、自分を保ちたい。

 自分の弱さを痛感する。

 

 携帯を持つ手が震える。

 電話はしない。メッセージを残す。

 『牧野先生から聞きました。一度、話をしたいです。連絡待っています』と。

 来ない。きっと返って来ない。

 それでもわずかな可能性に縋る。

 

 冷蔵庫からビール缶を取り出す。久しぶりにアルコールに頼る。

 プシュッ。開けた音が虚しい。

 口にするも、爽快感がない。


「あー……」


 意味もない言葉が体に響く。

 いつの間にか床に寝転がり、意識を失っていた。



 陽の光に眩しさを覚え、目を開ける。

 嫌な夢を見た気がした。

 まどろむ意識の中で、携帯電話を開く。

 彼女からは連絡がなかった。

 夢ではなかった。

 

 

 藁にも縋る気持ちで、事務所へ向かう。話を聞いてほしい。わかってほしい。私に答えを教えて欲しい。私に稀莉ちゃんを救う、力が欲しい。元の私に戻りたい。

 扉を開けると私のマネージャーの片山君がいた。


「吉岡さん、ちょうどいい所に!聞いて下さい。すげー、すげーっすよ」

「何ですか?」

「すげー話で驚いちゃいますよ。まじぱないっすから」


 相変わらず、見た目と言葉がチャラい。


「教えてください」

「アーティストデビューの話っす」


 早い。早すぎる。

 話を聞くと、牧野先生が、彼女の伝手で、レコード会社に昨日収録した曲を送ったらしい。で、早速2つのレコード会社からのアプローチ。

 やはり昨日の彼女の話は、嘘ではなかったらしい。

 彼女は見逃さない。私の意志など関係なく、アーティストにする気だ。その気にさせるつもりだ。あの人は本気だ。


「すごいっすねー、やっちゃいましょうよ、吉岡さん!」


 片山君が舞い上がるのもわかる。事務所にとっても大きな仕事だ。

 けど、私の気分は高まらない。


「保留にさせていただけますか?」

「えー、マジっすか。もったいない」

「……今は、集中したい仕事があるんで」


 嘘だ。

 来週収録するアニメの台本を受け取り、相談もせずに、すぐに事務所を去る。

 私が望まなくても世界は変わってしまった。昨日あった世界は、もうここにはない。

 

 事務所から帰宅すると、家でDVDを見ていた。

 何もする気は起きないが、何かしていないと余計なことを考えてしまう。

 再生したのは、好きなアーティストの武道館ライブ。


「……」


 ただただ表情を変えずに、画面を見つめる。


 もし、ここに私が立つなら、

 私が舞台の上で歌うなら、

 どんな気持ちだろうか。楽しいのだろうか。嬉しいのだろうか。面白いのだろうか。


 今日も彼女から連絡が返って来なかった。




「ふぁ~……」

 

 電車のつり革を持ち、ついつい欠伸がでる。

 あの後、家にあるライブDVDを片っ端から見続け、ほとんど眠ることができなかった。

 ガラスに反射する、自分のだらしない顔を見て、安心する。

 こんな私がなれっこない。あのDVDの人たちのように輝けるはずがない。



 駅から少し歩き、音響スタジオに辿り着く。 

 今日は、アニメの収録で、1話限りの役での出演だった。


「生徒会長、それは違う、違うぜ!」

「ほう、君は私に歯向かうのですか」


 少しの出番でも、自分の演技だけをして、収録終わり!、というわけにはいかない。話の冒頭から、終わりまで、皆の演技を一通り見て、一部分のためだけに私の声を吹き込むのだ。抜き録りなら一人で済むが、こうやって皆で演じるのは時間がかなりかかる。でも話の雰囲気を掴みやすいし、掛け合いでの方が自分の演技はやりやすい。

 それに今は何かをしている方が落ち着いた。家でぼーっとしているより、人の演技を見て、声優だということを再確認する方が心には重要だ。

 そう、私は声優でいい。声優であれさえすればいいんだ。


「お疲れ様でしたー」


 予定よりも早めに終わり、ブースから出る。

 ブースの前はちょっとした休憩所となっている。

 そこに彼女はいた。


「稀莉ちゃん……」

「奏絵……」


 彼女も偶然出会うと思っていなかったのだろう。人の前だというのに、『よしおかん』呼びではなく、名前を呼び捨て。

 元気はなく、ちょっとだけ痩せた気がした。


「連絡返さなくてごめんなさい」

「うんうん、私こそごめんね」

 

 ぎこちない。

 

「時間ある?」

「ちょうど収録が終わったところ」

「私も」

「うん」

「少し外で話そうか」

「わかった」


 1年積み上げてきたものも、たった1つのことで脆くも崩れ去る。

 


 ちょうど近くに公園があり、腰を落ち着け、彼女と話す。


「今日はね、空飛びの少女のアニメの収録があったの。2話目」

「そうなんだ、もう収録が始まったんだね」


 かつて私が主役の空音を務めた『空飛びの少女』はリメイクとして新作が決定していた。スタッフもキャストも総入れ替えで、空音は目の前の彼女が務めることになったのだ。


「2話目というと、訓練学校に入ったばかりのころの話かな?」

「そう、そうよ。空音がね、うまくいかなくて落ち込んじゃうの」

 

 覚えている。空音が訓練学校に入って、今まで独学でやってきたものと違い、戸惑い、周りから浮き、一人落ち込む話だ。

 それは、今の彼女の境遇にピッタリで、


「稀莉ちゃん、ごめんなさい」


 謝らないわけにはいかなかった。

 でも、何と説明していいのか悩む。


「私が余計なプレッシャーになったんだよね。歌手になりたいと思っている稀莉ちゃんの前で無神経だった。うまくいかなくて心配だったんだよね。大丈夫、稀莉ちゃんなら歌える。歌えるよ」


 別に無神経でも何でもない。励まして何になるんだとも思う。

 けど、上手い言葉が見つからない。

 私の才能のせいで悪かった、なんて言えるはずがない。

 稀莉ちゃんの口が開く。


「奏絵、私はあなたのことが大好きよ」

「う、うん」

「かっこよくて、可愛くて、憧れ」


 でも、と彼女は続ける。


「あなたの歌を聞いて、嫌な自分に気づいてしまったの。嫉妬で収まらない感情に。そう、嫉妬じゃないの。もっと醜いの。私はどこかであなたを馬鹿にしていた。終わった声優だと思っていた。私が変えてやるんだ、支えてやるんだ!と驕っていた」


 言葉は止まらない。


「違ったわ。あなたは天才だった。私のなりたいアーティストなんてすぐになれる。そんなあなたが許せなかった」


 誰だってそういう感情は多かれ、少なかれ持っている。嫉妬。

 けど、どこかで諦め、許容し、飲み込む。

 しかし、それができないほど、私たちは近くにいて、プロの声優として譲れず、その機会を渡せず、距離は遠かった。

 

「矛盾しているのは、わかっているわ。この感情をうまく説明できないし、伝わると思っていない。そうね、奏絵を大好きな私も、嫌いな私も、私だってことがわかってしまった。そんな自分がいるってことに気づいたら、自分が嫌になっちゃった」


 彼女が力なく笑った。


「あなたに再会しなければ良かった。そう思ってしまう自分が、大っ嫌い」

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