第21章 繋いだ手③

 彼女の気持ちもわかる。私だって、上手な演技に嫉妬するし、可愛い容姿を妬み、私にない才能をうらやむ。

 わかる。

 わかるんだけど、この1年を否定する言葉を聞きたくなかった。


「稀莉ちゃん……、私は、私はどうすればいいの?」

「奏絵は変わらなくていい」


 情けない問いかけに、彼女は答える。


「色々考えたわ。確かに奏絵を嫌う部分は持っている。でも、私は奏絵が好きだから、その気持ちの方が大きいから。だからあなたが活躍する姿がみたい。私を置いていっても、飛ぶのが見たい」


 傷ついてなお、私を思う気持ち。

 でも、私は否定する。


「違うよ、稀莉ちゃんは違う。稀莉ちゃんを置いてなど、私はいけない。稀莉ちゃんは私を超えていく声優なんだ。ねえ、一緒に行こうよ」

「無理よ。私たちは一緒に行けない」

「諦めないで、頑張ろうよ」

「無理なの。私のアーティストデビューの話も辞めにしたわ。もう正式に事務所に断った。終わりなの、もう終わり。歌うのは、あなた。奏絵よ」

「嫌だ、私は歌わない」


 歌わないで、稀莉ちゃんと生きる道を選ぶ。ラジオで笑い合って、来年には一緒に住んで、色々な場所に旅行して、たくさんの思い出を作るんだ。

 それでいい。それ以上を望まない。

 歌わなくていい。歌なんて必要ない。


「やめてよ、やめて。これ以上私を惨めにしないで……。あなたは私を置いて、飛んでいくの」


 でも、もう壊れてしまった。壊れた針はもう一緒に時を刻めない。


「あなたはこの声優界を揺らがす、人間になるわ。私があなたに憧れて声優になったように、吉岡奏絵は皆の憧れになるの」

「ならなくたっていい。皆の憧れにならなくたっていい」


 話は一向に進まない。思いは交わらず、正解は出てこない。

 再会しなければ良かった?

 そんなことない。

 楽しい思い出のままでいられたら良かった?

 けど、そんなことは無理だ。私たちは出会って、一緒に時を歩み、なくてはならない存在となってしまった。


「じゃあさ、CD発売を辞めるの?」

「……」


 目の前の彼女の顔が強張る。


「それにラジオの収録だって、月に何回もあって、私と何度も会うよ」


 逃げられない。これっきりラジオが続く限り、歌の呪縛は続き、私の存在は毒となり続ける。

 そう、終わるまでずっと。


「それは……」

「ラジオを、これっきりラジオを終わらせるってこと?」


 厳しい言い方になる。稀莉ちゃんを虐めたいわけではない。けど、これだけは譲れない。例え、どんな結果になったとしても、この1年は否定したくない。一緒に積み上げてきたラジオをこれからも続けていきたい。


「それは、嫌だ……」


 彼女の言葉に少しだけ安堵する。


「勝手なお願いだけど、ラジオは終わらせたくない。ここでは、佐久間稀莉として笑っていられたの」

「ありがとう。でも、辛いんだよね。もう番組CDを発売することを決めてしまった。お渡しイベントだって、色々手配しちゃっていると思う」


 すべてが上手く行くと思って、事を進めすぎていた。

 たくさんの人に迷惑をかけることになる。けど、稀莉ちゃんと一緒にいられるなら、それでいい。彼女といられるなら、何度でも頭を下げてやる。


「一緒に植島さんやスタッフに謝ろうか。それにリスナーさんにもたくさん謝ろう。CD発売はやめよう。お渡しイベントも中止にしよう」


 あったことを、なかったことにする。現実から目を背ける。いいんだ、逃げたっていいんだ。一緒に謝って、一緒に手を取って逃げる。

 彼女が泣きそうな目で私をじっと見る。


「辛い、辛い。もう歌いたくない。でも失いたくないの」

「うん」

「大切な、場所だから」


 か細い声で精一杯話す彼女に、心が締め付けられる。


「CD発売中止に、イベント中止。それこそ、この番組が終わる、終わっちゃう。私が終わらせちゃう。そんなことしたら一生後悔する。やっと見つけたの、見つけられたのに」


 ごちゃ混ぜな感情。辛いことに耐え、なお前を向こうとする気持ち。


「歌う、私歌うから。辛いけど、全然上手くできないけど、それでも守るから」


 彼女は強い。けど、それは無茶な強さだ。


「仕事は投げ出さないから。たくさん泣いて、色んな気持ち、な、流すから」


 彼女は、どんな気持ちでいっているのだろう。

 私を蔑む気持ちに気づいて、歌うのが嫌になって、挫折した。それでも大切な場所を手放さないために、辛いことが待っているとわかっているのに飛び込む。


「稀莉ちゃんっ」

 

 彼女の辛い気持ちを少しでも和らげるために、強く抱きしめる。

 小さな身体。こんなに小さな子に、辛い思いをさせてしまっている。


「ごめん、ごめんね」

「違う、奏絵は悪くないの、悪くなっ」


 言いきれずに、涙が決壊した。

 声を上げて泣く彼女を、より強く抱きしめる。


 悪くないけど、悪い。

 何も解決していない。

 でも、彼女は立ち向かう。どれだけ自分が苦しい目にあおうとも前へ向かう。一度挫けたとしても、夢を諦めたとしても、自分を奮い立たせる。

 プロだから、声優だからというわけじゃない。

 彼女の場所を守るため。

 大切な場所となっていた、『これっきりラジオ』の時間をこれからも一緒に歩むため。

 歪な気持ちを抱えたまま、ラジオを続け、無理に歌い、自分を苦しめる。 


 泣く彼女の小さな背中を優しく擦る。


 ……本当にそれでいいのか?

 離れたくない。嫌われたくない。好かれたい。壊したくない。

 でも、私は、彼女のために―。

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