第21章 繋いだ手

第21章 繋いだ手①

 私は、ステージに立つ彼女から目が離せなかった。


「みんな、こんにちはー!」


 私が初めて参加したイベント。声優の生の歌声を始めて聞いた場所。彼女のトークは面白く、朗読劇の熱演ではキャラがその場にいる錯覚をするぐらいに感動したが、それ以上に歌声は圧倒的だった。今までで1番心が震えた。ずっと目が離せず、歌い終わった後、拍手をするのも忘れていた。

 今思うと、多少思い出補正も入っているかもしれない。

 けれど、あの日を境に、私は変わったのだ。

 彼女に憧れ、彼女を目標とし、


 そして今、吉岡奏絵は私の壁となった。




 言葉を失った。


『佐久間さんのレコーディングが中止となりました』


 瞬時に理解できなかった。

 いつもは冷静な稀莉ちゃんのマネージャーから、泣きそうな声で電話がかかってきた。只事じゃない。

 けれど、中止の事実しか長田さんは教えてくれず、私はお店の中に一人取り残された。

 はっきりとした事実は一つ。彼女はここに来ない。ならば、ここで待っている必要はない。


 すぐに足は動いた。

 前回から様子がおかしかった。夢への一歩ということで気負いすぎたのか、それとも緊張しすぎて声が出なかったのか。いずれにしても心配だ。

 まだ彼女が現場に残っているかはわからない。会ってどうなるのかも、わからない。けど彼女のために、何もできない私はもっと嫌だ。


 レコーディング現場には5分ほどで戻って来られた。

 けど、入口にいた植島さんに止められる。


「吉岡君」

「植島さん、稀莉ちゃんに何があったんですか!?レコーディング中止って稀莉ちゃんは大丈夫なんですか?」

「今日は帰ってもらった。マネージャーと一緒に車に乗ったよ」


 もうここにはいない。彼女には会えない。


「レコーディングは」

「だから、君の言った通り中止だ、申し訳ない」

「何ですか、植島さん。そんなしおらしいなんて植島さんらしくないじゃないですか」


 いったい何があったというんだ。植島さんは良くも悪くもドライで、仕事人だ。稀莉ちゃんに原因があったなら、彼女を怒るはず。こうやって落ち込むはずなどないのだ。


「……ごめん」

「教えてくれるつもりはないんですね」


 ただ謝るだけの植島さんをはじめて見た。イラっとした。


「ちゃんと話す。これは自分の責任だ。軽はずみ思いつきだった。番組をさらに盛り上げるためだった。悪いのは自分だ。吉岡君、佐久間君は何も悪くない」

「だから、教えてくださいよ!何で、皆教えてくれないんですか。何で、私に隠し事ばっかりなんですか。私だって、売れない声優かもしれないけど、これっきりラジオの仲間なんですよ。1年一緒に頑張ってきたじゃないですか。秘密にしないでください。教えてください」

「……すまない」


 でも、私の怒りは治まらない。私が知りたいのは、稀莉ちゃんに何があったのか。稀莉ちゃんが悲しい顔をしていないかってことだ。謝ってほしくてここに来たわけじゃない。


「もういいです。稀莉ちゃんの事務所に行きます。それが駄目なら家に行きます」

「吉岡君、それは」

「植島さん、私が話します」


 そこには歌のレッスンの先生、牧野さんがいた。

 植島さんも、牧野先生の介入に戸惑う。けど、自分ではどうしようもないと結論付けたのか、彼女に任せることにした。


「吉岡さん、こちらに来てもらえますか」


 先生の言葉に従い、付いていく。そこはさっきまでいたレコーディング会場だった。


「何も言わず、ヘッドフォンをしてください」

「はい」


 何がしたいのか、わからない。

 でも、素直に受け入れる。


 音楽が流れた。私達のテーマ曲のイントロ。

 今日、私がレコーディングした曲で、稀莉ちゃんがレコーディング中止となった曲。

 声が聞こえてきた。加工はされてない印象で、曲としては雑さがある。別の仮音源だろうか。先生が歌った?


「あれ」


 でも、一人分のパートしか歌っていない。

 それも私のパートだけだ。曲としては完成されていない。


「……」

 

 楽しそうに歌っていた。イキイキとした声で、楽しそうで、愉快で、聞いているこちらも笑顔になる。そんな良さがあった。

 誰かは知らないが、惹き込まれる。上手だ。先生の知り合いの歌手だろうか。素直に感心し、聞き惚れる。


「あれ」


 でも、違和感が、いや違う、知っている感じがした。

 そう、初めて聞いたはずの声なのに、知っているのだ。

 どうして、だろうか。もしかして有名な人なのだろうか。

 違う。

 高音の伸び、混じる息遣い。抑揚。ちょっとした癖。

 知っている。

 だって、

 動揺した。

 そんなはずはない。違う。

 けど、確信して聞くと、間違いようがなかった。


「私……?」


 これが私の声?信じられない。

 ヘッドフォンを外し、先生を見る。


「そうです、吉岡さん。これはあなたです。今聞かせた曲は、今日収録したあなたの声です」


 嘘だ。でも、本当だった。私が歌ったのだ。歌った記憶と感触が今も残っている。

けど、ありえない。これが本当に私だというのか。


「まだ加工も何もしていませんよ。組み合わせてもいません。練習で歌ってもらった1回目そのままです」


 技術の成果でもない。

 戸惑う私に先生が追い打ちをかける。

 

「吉岡さん、あなたを傷つけます。困らせます。ごめんなさい。でも私は、音楽に人生を捧げた人間です。見逃せるわけがない」


 先生の言葉に押され、頷く。


「あなたは天才です。どうして今までこの才能がバレなかったのか、誰も気づかなかったのか信じられません。橘さんの曲を吉岡さんが歌った日、私は急いであなたの今までのキャラソンを聞きました。なるほど、確かにキャラの声を意識しすぎて、あなた自身を出せていなかった。でも、それでも十分に旨かった。見る目がありません。聞く耳がありません。周りの人はどんだけ無能だったのか、これほどの才能を埋もれさせようとしたのか。どうして気づけなかったのか。呆れてしまいます」


 誰のことを言っているのだろう。私?私が天才?何を言っている?何を言っているんだ、牧野さんは、この先生は?


「先生、意味がわからないです。確かにレコーディングしたのを聞いて、びっくりしました。自分で言うのも何ですが、上手いと思いました。でもそこまで言われるほどの実力とは思いません」

「吉岡さん、何度も言わせないでください。私が今まで何人の人を送り出したと思っているんですか?あなたは自分が思っているよりも、はるかに歌の才能、実力があります。まだほとんどレッスンしていないのに、この才」


 恐ろしい、そう彼女は笑顔で言い、私に告げる。 


「声優にしておくのがもったいない」


 買い被りすぎだ。私は声優、あくまで声優でしかない。

 けど、先生の言っていることが本当だとしたら、

 

「吉岡さん、出会えてよかった。テーマ曲なんかで留まってはいけない」


 私は悩んでいた。


 私は声優としては、これ以上飛べないかもしれない。ラジオのパーソナリティをして、アニメの声優の仕事をして、もうそれだけで十分なのだ。


 そう思っていた。そう諦めていた。

 けど、そうではないとしたら、


「飛びましょう、高く、高く。私はアーティストとしての吉岡奏絵が見たい」


 違う。私は何かになることを望んでいない。私は選んだのだ。

 彼女と歩む人生を選んだ。


 稀莉ちゃんが隣にいればいい、稀莉ちゃんさえいれば私の人生は満たされる。


 そう、決意したのだ。

 そして、彼女は受け入れてくれた。それでいい。もう他に望む必要はない。


「ここまでが私の正直な気持ちです。ごめんなさい、いきなりこんなこと言われて困りますよね。でも私と彼女は気づきました」


 そうなのか?

 私は、羽ばたく稀莉ちゃんの隣にいればいいのか?空音になった稀莉ちゃんをただ変わらず見ているだけなのか?声優としてではなく、アーティストとしてでも頑張ろうとすっ、


「あ」


 気づいてしまう。

 先生の言葉が本当で、私の歌が上手で。

 そうだとしたら、アーティストを目指す彼女にとって、私の歌は、


「そして、その圧倒的才能が、佐久間さんを傷つけました」


 すべてが腑に落ちる。

 唯奈ちゃんの歌を私が歌った時の二人の反応。

 レコーディング前、暗い表情の稀莉ちゃん。

 一緒の会場にいるのに、お互いの目の前で歌わないレコーディング。

 そして、中止となった彼女のレコーディング。

 私の歌は、彼女にとって、


「本当にごめんなさい。私もそんなつもりはなかったんです。佐久間さんを潰す気はありませんでした」


 毒。


「でも、それほど、あなたの歌は眩しすぎるんです」


 そう、私が原因だったのだ。

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