第20章 一等の光⑥
歌うことは楽しかった。
レッスンを通じて、どんどん上手になっていくのを感じた。アーティストとしての第1歩。先生は優しく、丁寧に教えてくれたが、レッスンの内容は厳しかった。でも、それぐらいがちょうど良かった。そう簡単に歌手としてデビュー出来たら苦労いらない。
「この後、レッスンだと思うけど、本番のレコーディングは来週だ」
植島さんから発破をかけられるも動揺しなかった。このまま普通にレコーディングすれば終わる。歌詞は覚えた、歌もバッチリで、自信はあった。
私だって、唯奈みたいになれる。何も心配はいらなかった。
最後のレッスンの日、先生がある提案をした。
「では、今日は橘唯奈さんの曲を歌ってみましょうか」
そういえば、レッスンが始まってからも、奏絵の歌声はほとんど聞いてこなかった。基礎的な練習は一緒にしたものの、仕事や学校の都合で別の日にレッスンすることがほとんどだった。
それは先生もそうだったのだろう。今まではあくまで練習だった。だから、軽い気持ちで、ウォーミングアップ程度の気持ちで先生も提案をしたのだ。
まずは、私が歌うことになった。
「ダイスキ×スキップ!」知っている曲なので、歌いやすい。
「君へのステップが、ダイスキを加速するの♪」
けど、私は先生にけっこうダメ出しをされた。表情が固い、声が出ていない。けど私が望んだのだ、わかっていた。アーティストとしてまだまだやるべきことはある。いいことだ。もっと私は高められる。
「これを歌うんですね……」
奏絵が嫌々ながらマイクを持った。奏絵はどんな声で唯奈の曲を歌うのだろう。奏絵のちゃんとした歌声を聞くのは久しぶりだった。思えば、あの日の空音のイベント以来だったかもしれない。
「頑張るのよ、奏絵」
「うん、頑張るよ……!」
聞く前の私は馬鹿みたいにワクワクして、楽しみにしていた。
「一人眠れない夜 キミの声が聞きたくなる♪」
……え?
唖然とした。
そのワンフレーズだけで思い知らされた。血液がどくどくと音を立て、暴れる。
「暗い空の上走るのは、きっと君に会いたいから♪」
え、どうして。
心が追いつかない。体が悲鳴を上げる。
ここがレッスン会場ということを忘れる。
心臓がうるさい。
上手い。あまりにも、上手い。彼女の曲ではないのに、上手すぎた。
「さぁ引金を引くよ♪幸運をつかむために打ち抜くんだ♪」
それにあの時、会場で見ただけのはずなのに、身振り手振りもできていた。実際の振り付けとは違う。でも唯奈の曲を、まるで自分の曲のように違和感なく、披露した。
「……」
息も切らさず、歌い終わった彼女に、何も言えなかった。
先生も同じだった。立ち尽くす先生に彼女は詰め寄った。
「正直言ってください。そんなに駄目でしたか?」
「っと、その、上手でした」
先生も困っていた。ここまで上手いとは思っていなかったのだろう。先生も素直に褒めればいい。でも褒めなかったのは私のためだ。
ここまで圧倒的にレベルが違うとは、思っていなかったのだろう。私に気遣った。歌手になるんだ!と意気込む、低レベルな私を傷つけないために、配慮したのだ。
そう、理解してしまった時、
「ごめんなさい、お手洗いにいってきます」
私は、レッスン場から逃げ出した。
個室に入り、ずっと震えが止まらない。
「何で、何で」
どうしてあんなに吉岡奏絵は歌が上手いのだ。同じレッスンをしたはずだ。今まで彼女はほとんど歌の仕事をしてこなかった。積極的に歌っていきたいとも思っていないだろう。
そして、彼女は自分の力を自覚していない。
「ずるい、ずるい、ずるいよ」
自分から汚れた言葉が出てきて、ハッとする。
吉岡奏絵は憧れの声優だ。
それは、昔だけの話ではなく、今でも憧れだ。
奏絵は凄い、奏絵がいれば楽しい、奏絵がいれば笑顔になれる。
私は奏絵が好きだ。
でも、
その続きの言葉を振り払う。
違う、違う、違う、違います、違うんだ、違うんだって。やめて、助けて。違うんだよ。
押し寄せる感情に、身体が耐えきれず、吐いた。
何とか気を持ち直し、レッスン場を覗くと、私が歌った唯奈の曲を奏絵が歌っていた。
やっぱり上手だった。私とは全然違った。私の歌なんてお遊びだった。
もう今日は歌えないことを悟った。
「すみません、急に仕事が入って。今日は帰ります。本当にごめんなさい」
奏絵は心配したが、先生は止めなかった。先生もわかってしまったのだろう。私が奏絵との実力差を自覚し、挫け、逃げたと。
歌うことが楽しくなくなった。
途中で帰って延期となった、私と先生だけの最後のレッスンを後日行った。
レッスン場について、開口一番、私は先生に尋ねた。
「どう思いましたか、吉岡奏絵の歌を」
先生も誤魔化すことはできないと思っただろう。素直に評価を述べる。
「凄いと思いました。最初教えた時の彼女は確かに少し歌ったことのある素人だったんです。体力もあるし、音感はあるなーと感心はしていましたが、それだけでした。現に、普通の歌のレッスンをしている分には、彼女の実力はわかりませんでした」
けど、違った。
「吉岡さんは橘さんの曲を歌って、化けました。完全に、完膚なきまでに自分の曲としました。真似じゃありません。あれは橘さんの曲であって、橘さんの曲でありませんでした。1曲だけじゃありません。2曲目もあまりに完璧に、下手したら原曲を超える実力を発揮しました。そして、このラジオの曲も」
先生の言葉が詰まる。
「正直に言って下さい」
「……佐久間さんとは圧倒的にレベルが違います」
わかってはいた。自分が現実を促した。
でも、言葉にされるとくるものがあった。
「佐久間さんも下手じゃありません。私だって何人も声優さんを教えてきたんです。上手なグループに確実に入ります。でも、吉岡さんは違います」
先生も私と同じ感想だった。
「何で、あんな人が今まで歌ってこなかったのかが不思議です」
「……わかりました」
心が折れた音がした。
歌うのが辛くなった。
嫌でも比べられる。彼女の隣に立つ限り、嫌でも実力差を突きつけられる。
でも、レコーディングはすぐだった。
レコーディング当日、早めに来て、少しでも奏絵との差を埋めようと努力した。けど、全然届かないことは自覚していた。
先生も気をつかってくれたのか、レコーディングは奏絵と別となった。
「あとでね、稀莉ちゃん」
彼女に小さく手を振って、返す。
何も言葉を返せない、小さな自分に嫌気が差した。
待機室で、待っている間も必死にもがいた。曲を聞き、歌詞を見て、どこを気を付けるか、どこに力を入れるのか、しっかりと再確認した。悪あがき、でも何もしないわけにはいかなかった。
先生が入ってきた。
「吉岡さんのレコーディングは終了しました」
「……そうですか」
30分も経たずに終了していた。あの実力だ。それもそうだ。
静かに立ち上がり、レコーディング会場に向かった。
レコーディング会場で、私は1つの提案をされた。
「先に吉岡さんが録りました。つまり、吉岡さんの声を再生しながら、佐久間さんがレコーディングすることもできます。どうしますか?」
迷った。でも、私はもう下であることは確定している。ならば、必死に食らいつき、少しでもしがみつく必要がある。
「お願いします」
私は彼女の声を聞きながら、レコーディングすることにした。
まずは練習だった。
彼女の声を聞きながら自分の声を出す。
ヘッドフォンから聞こえてくる声は、確かに奏絵の声で、私の知らないアーティストだった。
上手い。伸びるメロディに、イキイキとした声。
同じ曲を歌いながら、違う曲を歌っていた。
自分の声が途切れ途切れになる。
届かない。ここに届かない。どんなに頑張っても、届きっこない。
気づいたら、完全に声が出なくなっていた。
「ぁ、ぇ……」
そして、自覚してしまった。
吉岡奏絵は憧れの声優だ。
それは、昔だけの話ではなく、今でも憧れだ。
奏絵は凄い、奏絵がいれば楽しい、奏絵がいれば笑顔になれる。
私は奏絵が好きだ。
でも、でもだ。
私はどこかで吉岡奏絵を馬鹿にしていた。
心のどこかで終わった声優だと思っていた。だから、ラジオ当初の私はどうにかして、元の彼女を取り戻してあげないと、そう思っていた。
その思惑通り、彼女はラジオで復活し、再び輝いた。
けど、それは私のおかげではない。
確かに私は彼女を焚きつけた。生意気な女子高生を演じ、奏絵が変わるように仕向けた。
けど、結局動いたのは彼女だ。ラジオをこうすればいいと提案し、実行し、私を導いた。時に失敗もしたが、引っ張ってきたのは彼女だった。
私は一人じゃ何もできない。
一人で上手くトークもできないし、何かになりきらなきゃ演技もできない。
吉岡奏絵は凄い。人間としても、声優としても、ラジオのパーソナリティーとしても凄いんだ。
そして、私が目指そうとした歌手としても。
吉岡奏絵は、遠すぎる光で、私は届かない。
自覚してしまった。気づいてしまった。
その光に憧れた。
たまたま見えなくなった光を下に見ていた。
そして、あまりに眩しすぎる光を、嫌悪した。
私は、吉岡奏絵が大好きだ。大好きで、愛していて、四六時中彼女のことを考えている。イベント会場で告白した、青森まで追いかけた、一緒に暮らそうと言われた時人生最高に嬉しかった。
でも、私は吉岡奏絵が嫌いだ。
自分の一部分に、そんな真っ黒な感情があることに気づいてしまった。嫌だ、そんな自分になりたくない。やめて、そんな自分は認めたくない。
けど、自覚してしまったのだ。私にないものを持つ彼女を、妬み、憎み、嫌いと思う自分を。
そんな自分を知った時、どうしようもなく涙が溢れて、私はその場に膝をついた。もうレコーディングどころではなかった。わーわーと地面に向かって、声にならない声を上げ、涙を落とし続けた。
行き場のない感情は止まらず、レコーディングは中止となった。
歌うことは、もうできなかった。
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