第20章 一等の光⑤

 レコーディングの日はあいにくの曇り空だった。夕方から雨が降るらしい。念のため、ビニール傘を持って、レコーディング現場へ向かう。


「おはようございます」


 レコーディング会場に着くと、先に稀莉ちゃんが来ていた。先生と何やら話をしている。直前までレッスンしていたのだろうか。

 彼女が私に気づき、声をかける。


「おはよう、奏絵」

「おはよう、稀莉ちゃん」


 表情はあまり明るくない。さすがの稀莉ちゃんも緊張しているのだろうか。こないだあったことは、先生と稀莉ちゃんに聞けていない。


「今日は二人とも期待しているぞ」


 ラジオの構成作家である植島さんもいた。余計なプレッシャーを本番前に与えないでほしい。

 一方で、レッスンしてくれた牧野先生も現場にいるので、安心だ。その先生から説明を受ける。


「レコーディングは別々に行います。交代で、一人は待機室で待っていてもらいます」

「あれ、そうなんですね?てっきりお互いの前で歌うと思っていたので」


 結局、最後のレッスンで、稀莉ちゃんの声でのテーマ曲を聞けなかった。どう仕上げてきたのか、楽しみにしていたのだ。残念。


「なるべく緊張しないように、余計なプレッシャーを与えないように、集中できるように、最少人数でやります」

「そうなんですね。承知しました」

「わかりました」


 そう言われては仕方がない。稀莉ちゃんも了承する。


「早速、吉岡さんからレコーディングしたいと思いますが、準備は大丈夫ですか」


 そして、レコーディングは私からだった。


「少しだけ声出しさせてください」

「ブースの方でやってもらいましょう」


 牧野さんが先導し、私は後をついていく。ひとまず稀莉ちゃんとはいったんお別れだ。


「あとでね、稀莉ちゃん」


 「わかった」という合図か、「頑張れ」というエールか、彼女が小さく手を振って送り出す。やっぱり元気がないな、心配だ。

 でも、今は自分の心配だ。

 喉の調子は良い。緊張もしていない。よく寝てきた。心配事も今は忘れる。よしっ。

 重い扉を開け、ヘッドフォンをする。目の前には大きなマイク。


「声出し、通しでの練習、本番、の順番でいきましょう」

 

 こくんと頷き、承諾する。

 声出しとして、テーマ曲が流れる。ここは自由に歌っていいとのことだ。


「あー、あーー、あーーー」


 うん、しっかりと声が出ている。稀莉ちゃんにお勧めされた高いのど飴を買い、舐め続けた甲斐があったというものだ。


「では、練習いきますね。練習といっても録音しているので、こちらの声がCDで使われる可能性もあります」


 つまり、練習と言いながら本番というわけだ。覚悟は決まった。

 

「お願いします!」


 メロディが流れる。何度も仮音源を聞いた。家でも、電車でも、お風呂でも。歌詞を見ずとも、自然と言葉が出てくる。

 そして嬉しさも溢れる。私の声が、私たちの作った歌詞が一つの音楽になり、販売されるのだ。アニメだって色々な人たちの努力の結晶だが、テーマソングはより私たちの影響が大きい。

 私たちが歌うから意味がある。


「これっきりじゃない♪」


 私たちだから、歌になる。

 

× × ×

 練習も終わり、特に休憩を挟むこともなく、1回目の本番も終わった。

 

「はい、吉岡さんOKです。終わりです」

「え、終わりでいいんですか!?」

「特に問題ある箇所なかったです」


 力は出し切ったつもりだ。けどこれで終わりでいい、と言われると不安になる。


「あの、いちお、念のためでいいんで、もう1回歌ってもいいですか?」


 スタッフたちが相談し、オッケーが出た。


「すみません、お願いします!」


× × ×

 「ありがとうございました」とお礼を言い、部屋から出る。

 2回目の本番も終わり、私のレコーディングは終了となった。

 あっという間で、あっけない終わりだった。やり残したことはない、なんて言えるほど自信はない。けど、今の私の全力は出し切れた。うん、悩んでも仕方がない。あとはプロが、私の声を上手く編集して、加工してまとめてくれるはずだ。

 私がこれ以上できることはない。


 廊下を歩いていると、稀莉ちゃんのマネージャーに出会った。眼鏡女子の長田さんだ。


「こんにちは、長田さん」

「お疲れさまでした、吉岡さん」


 長田さん一人で、椅子に座っていた。


「稀莉ちゃんは一緒じゃないんですね?」

「佐久間さんは、そこの部屋で待機しています。この後、吉岡さんがいた場所でレコーディングとなります」


 指さした先に彼女がいる。

 緊張しているだろうか?大丈夫だろうか?稀莉ちゃんなら大丈夫だよね?

 でも心配だ。

 けど、


「今は会わない方がいいですよね?」

「ええ、そうですね。集中していると思いますんで」


 私が声をかけることで、気持ちがぶれるかもしれない。歌は感情に左右される。稀莉ちゃんなら大丈夫、そう信じるしかない。


「ひとつお願いしてもいいですか?」

「はい、いいですよ」

「外の喫茶店で待っているので、レコーディング終わったら連絡ください、と稀莉ちゃんに伝えてくれますか?」

「はい、わかりました。レコーディング後、確かに伝えておきます」

「ありがとうございます」


 レコーディング後、プチ打ち上げをしよう。クリームのたくさんのった甘いパンケーキを食べるんだ。そしたら元気のない、お疲れ気味の稀莉ちゃんも笑顔を見せてくれるだろう。女子はお砂糖でできている。甘さは笑顔のエネルギーだ。

 扉を開け、外に出る。雲は分厚く、スッキリとしない空だった。

 こうして私のレコーディングはひとまず先に終了したのであった。



 帽子に眼鏡の姿で、喫茶店でカフェオレを飲んでいる。

 稀莉ちゃんが来たら追加で注文するつもりで、料理はまだ頼んでいない。今は時間つぶしで、予定帳とにらめっこしている。怒涛のレッスンの日々が終わったので、少しだけ空白が続く。

 けどCD発売に、お渡し回、そして実際に歌うであろう番組イベントが待っている。それに夏以降のアニメの仕事を取っていくため、何個もオーディションを受けたり、事務所にデモテープを送ってもらったりしなければいけない。束の間の休息だ。バイトを辞めたのだから、しっかりと声優として稼いでいかないとね。


 ブルル。


 机に置いていた携帯電話が震える。

 レコーディング終わったのかな?


「あれ」


 着信は稀莉ちゃんではなく、マネージャーの長田さんだった。


「どうしたんですか、長田さん?」

『……です』

「すみません、よく聞こえなくて」


 長田さんの声が震えていた。


『佐久間さんのレコーディングが中止となりました』

「え」


 グラスの氷が溶け、カランと音を立てた。

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