第20章 一等の光④
Tシャツに、下はジャージのレッスン着になり、レッスン場に入る。
「レコーディングに向けて、最後の練習です」
歌のレッスンの先生、牧野さんも真剣な表情で、気が引き締まる。
「といっても、イベントでもきっと歌うことになりますから、また会うことになりますね。今日で鬼教官とおさらば!とはいかないです」
「いやいやいや、牧野先生のこと、ちっともそんな風に思っていないですから」
レッスン内容は厳しいが、声を荒げることもなく、丁寧に教えてくれる優しい先生だ。ハードだけど、ハートフルな先生。牧野さんはずっと敬語で、私たちを雑に扱わない。
「レコーディングと、実際に歌うことは別です。特にグループで歌うのは全く違う。レコーディングは個別に収録する、一人での勝負です。二人の歌声は後で上手く合わせてくれます」
学校や仕事があったりで、稀莉ちゃんと一緒にレッスンできたのは数回だ。ほとんどのレッスンが、別々だった。こうして稀莉ちゃんと練習するのも1週間ぶりだ。レコーディングはそれでも何とかなってしまう。二人の息を合わせる必要はない。
けど、イベントで実際に歌うとなると話は別だ。本番のレコーディング後も、簡単な振り付けを覚える必要があるなど、まだまだ課題は多い。
「では、今日は」
でも、まずは個人の問題だ。いよいよ最後の練習が始まる。
「橘唯奈さんの曲を歌ってみましょうか」
思わずズッコケそうになる。
「あれ?」
「えー、唯奈の曲?」
「完成した曲を歌うんじゃないですか?」
「この後歌いますよ。でも二人とも仮音源を聞きこんじゃいましたよね?」
「ええ」
「もちろんよ」
だからです、と先生が言葉を続ける。
「用意された曲を、そのまま歌うのでは緊張感が足りません。良くも悪くも、慣れが出ちゃいますね。なので、いったんリセットしてもらいます」
そのために唯奈ちゃんの曲を歌う。
「それに、二人とも怖い顔していましたから。おそらく植島さんに何か言われたんですね。ウォーミングアップと気分転換も兼ねて、別の曲を楽しみましょう」
先生には何もかもお見通しというわけだ。
「では、曲を流します。まずは聞いて、その後歌ってもらいます。あ、さすがに歌詞は渡しますよ?」
とはいえ、ぶっつけ本番だ。1回聞いて、その後歌う。ウォーミングアップの肩慣らしとはいえ、レベルは高い。
先生が機械を操作し、曲が流れる。
イントロですぐわかる。この曲はライブでも聞いた曲だ。
「「ダイスキ×スキップ!」」
稀莉ちゃんと声がハモる。
「あれ、二人とも橘唯奈さんに詳しいんですね。曲のチョイス間違えましたかね」
その後は口を挟まずに真剣に聞く。アップテンポで、可愛さ満点の曲。ライブでも、観客が大盛り上がりで、コールが1、2番に凄かった印象だ。
「では、まずは佐久間さんから歌ってもらいましょうか」
「私から?」
「頑張って、稀莉ちゃん!」
「もう!やるからにはやってやるわよ」
自分からじゃなくて、ラッキーだ。
稀莉ちゃんが立ち上がり、マイクを構える。牧野さんが「いきますよ?」と言い、スイッチを押す。
「君へのステップが、ダイスキを加速するの♪」
上手だ。1回目とは思えないぐらい、音程を外さず、リズムよく歌えている。
「気づいてよね、アイコトバ♪見つけてよね、コイゴコロ♪」
唯奈ちゃんの曲だが、歌う人で印象はがらりと変わる。
稀莉ちゃんの歌声には可愛さが詰まっている。等身大の女の子が、必死に歌っている。そんな姿を心の中で熱く応援してしまう。愛らしい。あれ、恋人フィルターかかっていませんよね?
「振り向いてよね♪」
パチパチ。曲が終わり、ついつい拍手してしまう。いいものを見させてもらった。
「稀莉ちゃん、良かったよ。凄く可愛かった!」
「ありがとう。でも難しいわね。息が続かない。よくライブでこんな早い曲歌えるわね。先生、どうでしたか?」
「ウォーミングアップですからね。リフレッシュできましたか?」
「はい、でもどうだったかをきちんと聞きたいです」
先生は渋々承諾し、講評を述べる。
「そうですね、良かったです。でも、もう少し可愛さを声にのせてください。それにラスサビの少し高くなるところ、きちんと声が出ていませんでした。あとは表情。歌っている時の表情が固いです。可愛い曲なんですから、もっと笑顔に、明るくしてください。レコーディングはいいですが、イベントでは顔見られますよ」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
手厳しい。十分良かったのに、このコメントだ。稀莉ちゃんも素直に受け止め、感謝を述べる、強い子だ。えーっと、私もこのカワイイ曲歌うんだよね、怖い。
「では、吉岡さん」
「はいっ!」
先生に呼ばれて背筋を伸ばす。
「吉岡さんには違う曲歌ってもらいますね」
「え、ええ、違うんですか!?」
「そうですよ。同じ曲だったら、二人目が楽じゃないですか」
ははは……。2番目でラッキーなんてことはなかった。やっぱり鬼教官かもしれない。
先生が合図し、曲を流す。
これもライブで聞いた曲だった。『Lucky Trigger!』。さっきの曲より、クールで、カッコいい曲だ。
「これを歌うんですね……」
リズム、変化、抑揚。正直、さっきの『ダイスキ×スキップ!』より難しいと思う。
「はい、行きますよ、吉岡さん」
「頑張るのよ、奏絵」
「うん、頑張るよ……!」
稀莉ちゃんに励まされ、気合が入る。
えーい、ともかくやってやる。あくまでウォーミングアップだ。下手でも、失敗でも関係ない。
立ち上がり、マイクを持つ。
「すぅー」
そうだ、唯奈ちゃんはこの曲を歌う前、手で顔を隠していたっけ。
イントロが流れる。歌詞が始まるところで顔をすっと上げ、前を見る。
「一人眠れない夜 キミの声が聞きたくなる♪」
よし、出だしは上手く入っていけた。
「暗い空の上走るのは、きっと君に会いたいから♪」
難しい。メロディに置いていかれないように食らいつく。でも、声はきちんと響かせて。
サビはより強調して、リズムを取って。
そうだ、もっとかっこよく、観客を魅了させて、
「さぁ引金を引くよ♪幸運をつかむために打ち抜くんだ♪」
歌詞に合わせて、手で銃を撃つ。あー楽しい!
「ふうー」
終わった、歌い切った。
高揚感に包まれる。初めて歌った曲だけど、カチッと歯車がかみ合った。これは癖になる曲だ。ステージ上の唯奈ちゃんはもっと楽しかっただろう。
「どうでしたか、先生、稀莉ちゃん?」
前を見る。反応はすぐに返ってこなかった。
「え?」
二人がその場に立ちつくしていた。
稀莉ちゃんは目をまん丸にし、その場で固まっている。先生も視線がキョロキョロと動き、落ち着きがなく、戸惑っている様子だ。
そんなに駄目だった?音外れていたかな?調子乗って、身振り手振りを真似したのは良くなかったかな?あー、もしかして歌詞を間違えてた?いや、練習だからいいよね?あくまでウォーミングアップだったはずだよね?
「先生」
私の言葉に、先生の肩がぴくっと跳ね上がる。
「正直言ってください。そんなに駄目でしたか?」
「っと、その、上手でした」
歯切れの悪い感想。それだけ、それだけなのか?本当に上手だったのか?
言葉を待つが、先生がそれ以上何も話そうとしない。
「ごめんなさい、お手洗いにいってきます」
そう言って、稀莉ちゃんは部屋から出ていってしまった。ますます意味がわからない状況だ。
先生と二人になったので、改めて問いかける。
「先生、そんなに私の歌が駄目でしたか?」
「駄目じゃない、良かったです。良かったんですけど……」
「良かったけど、何なんですか!これはあくまでウォーミングアップだったんですよね?」
つい語気が強くなる。
「そうです、ウォーミングアップ、ウォーミングアップだったんです。そのまま、そのままでいいですから」
このままでいいらしいが、釈然としない。
「あの、そうですね。佐久間さんが帰ってくる前に、吉岡さんも『ダイスキ×スキップ!』を歌いましょうか」
「はい、わかりました」
追試、ということだろうか。
イントロが流れる。
「君へのステップが、ダイスキを加速するの♪」
先生が、真剣な目で私を見ている。でもお構いなしに私は歌う。
「気づいたよね、アイコトバ♪見つけたよね、コイゴコロ♪」
この歌も難しい。早いテンポだけど、言葉が潰れないように、一語一語ハキハキと。そして、唯奈ちゃんはここのフレーズをとびっきりの可愛い笑顔で歌っていた。私も笑顔で、いい笑顔で決める。
「振り向いてよね♪」
歌が終わり、前を向くと、先生が拍手をする。
「わかりました、吉岡さん。良かったです」
褒められる。でも、言葉とは裏腹に先生の表情は暗い。
その後、稀莉ちゃんが戻って来たが、急に仕事が入ったとのことで、稀莉ちゃんの最後のレッスンは別途行うことになった。
急な仕事なら仕方ない。
けど、わからない、釈然としない。でも、必死に歌うしかなかった。
こうして不安が残ったまま、本番のレコーディングを迎えたのだ。
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