第19章 薄紅色のサイリウム②
私は、ステージに立つ彼女から目が離せなかった。
「みんな、こんにちはー!」
私が初めて参加したイベント。声優の生の歌声を始めて聞いた場所。彼女のトークは面白く、朗読劇の熱演ではキャラがその場にいる錯覚をするぐらいに感動したが、それ以上に歌声は圧倒的だった。今までで1番心が震えた。ずっと目が離せず、歌い終わった後、拍手をするのも忘れていた。
今思うと、多少思い出補正も入っているかもしれない。
けれど、あの日を境に、私は変わったのだ。
彼女に憧れ、彼女を目標とし、
そして――
今からライブですよ!感丸出しの私とは違い、稀莉ちゃんは髪を後ろで結び、黒のキャップを被り、伊達メガネをし、変装している。マスクはしていないが、帽子を深く被っているので、顔は見えづらい。けどライブを意識してか、ショートパンツに、タイツ、スニーカーと動きやすそうな格好だ。荷物もいつものリュックではなく、ミニバッグでコンパクトで、彼女なりに準備してきたのだろう。
「何、じろじろ見てるのよ」
上から下まで観察していたので注意される。変装服だとしても可愛い。ちょっとボーイッシュな格好だけれども、可愛い。うん、たとえダサい格好でも、可愛いと思っちゃうのだろう、私は。恋は盲目だ。
「今日も可愛いね!」
親指をグッと立て、そう言うも、「言葉が軽い!」と一蹴される。でも、口元が緩んでいるのは見逃さない。素直じゃない子だな、もうー。
「もう開場しているし、行こうか!」
「ええ、遅れてごめんなさい。行きましょう!」
「大丈夫、大丈夫。すぐそこだから」
駅から10分もせずに、会場に着く。会場からすぐ外は海であり、潮風が気持ちい。
「海が目の前なのね」
「ねー。凄い場所でやるね」
「あっちが千葉かしら?」
「うーん、きっとそうかな」
「ネズミの国は見えるかしら」
「ここからはさすがに見えないかな」
そんな他愛もない話をしながら会場入口に近づく。すでに開場はしているが、かなりの数のお客さんが外にいる。私たちは事前にチケットを貰っていなく、まず関係者入口へ向かう。
関係者だとわかってはいるものの、いざ入るとなると緊張する。関係者入口をくぐるとすぐにお姉さんがおり、挨拶される。どうやらそこが受付らしい。
「お疲れ様です。93プロデュースの吉岡奏絵です」
お姉さんが名簿から私の名前を探す。1ページ目になく、2ページ目に入ったところで私の名前が発見される。良かった、本当に招待されていた。
身分証も準備していたが、見せずに、「本当に吉岡さんですか?」と質問されることもなく、チケットを渡される。
「では、お楽しみください」
稀莉ちゃんも受付を済ませ、会場内へ進む。チケットを見るとどうやら2階席のようだった。ここからは一般の人と同じ場所を通るらしい。はぐれないようにと、ついつい彼女の手を取ってしまう。
「か、奏絵……!」
私の名を呼ぶも、手を離すことなく、私に付き従っていく彼女。
階段へ向かっていると、ひと際人が集まっているエリアがあった。
「あ」
お客さんたちが携帯やカメラを構え、写真を撮っている。
そこには、たくさんのフラワースタンド、通称:フラスタが飾られていた。
「ちょっと見てみようか」
時計をちらりと見る。開演までは30分以上ある。
写真を撮る人たちは、列をつくっているが、私たちはあくまで鑑賞するだけなので、間からちらちらと見せてもらう。
企業、番組からのきちっとしたお花から、ファンからの趣向を凝らした、イラスト付きの渾身の一作など、見ているだけで楽しい。
「あのイラストかわいいねー」
「唯奈に似てるわ、凄い」
「見てみて、あっちは黄色のお花で固めていて凄いなー。あー、なるほど、キャラの色モチーフのフラスタなんだね」
「うちの放送局のもあるわ」
へー、きちんとうちの放送局も送るんだ。そういえば私たちのイベントの時もあったな、あれ?
「ちょっと待って、梢ちゃんからのフラスタがある!」
「こ、こっちには『ひかりと彩夏のこぼれすぎ!』から」
顔を見合わせる。
「これって」
「うん、そうね、奏絵……」
お互い気づいてしまった。
「私たちもフラスタを送るべきだったよね?」
「そうね、招待もされたのよ」
やってしまった……。忘れたわけではなく、フラスタを送るという概念が存在しなかった。
「次回の私たちに期待しよう……」
「そうね、いい勉強になったわ」
ライブ初心者にフラスタは難しい贈り物だった。
階段以外にもエスカレーターがあることを発見し、2階へ向かう。2階の席図を見るに、2階席の真ん中、最前列だった。
「おー、すごい。よく見える」
俯瞰して見やすい場所だ。
関係者席は、関係者が立ち上がって観ることが少ないので、1階よりも2階以上の前の列であることが多い。もしくは一般席とは別のガラス越しの場所からだ。色々と考慮されているのだ。
周りを見ると、知っている音響さんや、スタッフさんがいる。マスクをしたままなので、いまいち顔がわからないが、きっと同業者の声優さんなんだろうという人に会釈し、席に座る。
「何だか、こっちが緊張するわね」
開演が近づき、席がどんどん埋まっていく。唯奈ちゃんのアルバム曲のインストがBGMで流れ、ファンは今か今かと待ちわびている。
「あ、かなかなに、きりのすけ!」
私をそう呼ぶのは一人だけだ。
「ひかりんじゃん!」
「誰がきりのすけよ!」
「あはは、ごめんってー」
東井ひかり。マスクをしているが、ショートカットの可愛い系の見た目は隠せない。少年ボイスが得意で、芝崎彩夏と一緒に『ひかりと彩夏のこぼれすぎ!』という下ネタ満載のラジオのパーソナリティをしている。
「二人も来ているとはねー、言ってよー」
彼女はちょうど私たちの後ろの席だった。
「ごめん、ひかりん。こっちも把握してなくてー」
「わかるー。誰を招待しているか、わからないから、正直聞きづらい。結婚式に呼ばれた?問題に通じるものがある」
呼ばれていない人に、『楽しみだねー』と言って、『あ、あの子結婚するんだ。私、呼ばれていない……、実はそんなに仲が良くなかったのか』現象。呼ぶ呼ばない問題。呼ぶは呼ぶで気を遣うのだ。
「それよりさ、かなかな。あんた、SNSで目撃情報出ているよ?」
「はい!?」
ほらほらと携帯を近づけられ、稀莉ちゃんと一緒に覗き込む。
SNSのタイムラインが表示されている。
『あれ、よしおかんだよな』
『唯奈様のライブによしおかんが乗り込んだらしい』
『律儀に物販並ぶなんて偉いなよしおかん』
『近くでみたよしおかんはオーラ違った。これからはよしお姉さんと呼びます』
『ラーメン食べているよしおかん見た』
『唯奈VSよしおかんが横浜で繰り広げられるのか』
『正妻戦争が開幕。頑張れ、よしおかん』
みるみる顔が青ざめる私にひかりんが注意する。
「よしおかんで検索しただけでこれだよ」
「けっこうバレている、ね」
「気をつけなさいよ、あんたも有名なんだよ。写真を撮られてはいないけど、ちゃんと変装をしないと」
「ご忠告ありがとう……」
幸いにも稀莉ちゃんと一緒にいたところは見られていないらしい。迂闊なことはできない。いやいや、私も有名になったもので……。
「まあまあ、楽しもうぜ。かなかなに、きりのすけ」
「だから、きりのすけは辞めなさい!」
「稀莉ちゃんって呼ぶと怒るでしょ?」
「穢れる」
「稀莉ちゃんは、以前お邪魔した『ひかりと彩夏のこぼれすぎ!』で何があったの!?」
関係者席も知り合いだらけで、プチ同窓会みたいな感じで楽しい。学校の同窓会に呼ばれたことはないので、実態は知らないのだけど。
こうして緊張も解け、私が緊張してどうするんだ!ということもあるが、橘唯奈の単独ライブの幕が上がったのだ。
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