第19章 薄紅色のサイリウム
第19章 薄紅色のサイリウム①
「あなたはどういった声優になりたいですか?」
事務所の面接の時にそう聞かれたのを今でも覚えている。
〇〇さんみたいになりたい。誰もが知っている声優になりたい。誰かの心に残る声優になりたい。キャラをイキイキと動かす声優になりたい。
答えはいくらでもあり、正解はない。私自身、質問は覚えているくせに何を答えたかは詳しく覚えていない。
そもそもだ。『声優』という仕事に正解はない。
声優の仕事は、アニメ、ゲームのキャラの声をあてるだけではない。
私が今、担当しているラジオ番組のパーソナリティ。外国映画の吹き替え。テレビのナレーションの仕事。
声でも、様々な媒体で活用されるのだ。
そして、そういった声だけの仕事にも留まらない。
時には、アーティストとしてライブ会場に立ち、歌う。
時には、役者として舞台に立ち、全身を使い、演技する。
時には、テレビに出演し、バラエティに出たり、クイズ番組に出たりする。それはもはや声優ではなく、タレントでもあるのだが、そういった声優がいるのも事実だ。
さらに、声さえ使わない仕事もある。
写真集の発売。雑誌でのインタビュー記事。
声優のアイドル化。それが加速するにつれて、声の仕事以外でも利益を生み、ビジュアル面でも評価されることが多くなっている。いや、むしろ声だけでは通じなくなっている現状だ。
声優とは、何だろうか?
私も、単に声だけでなく、ラジオのパーソナリティとして評価されているので、アニメに限らない声優の仕事を否定できない。
実力があっても、活かせないことが多い世界だ。チャンスが何処に転がっているかわからないし、何が自分に適しているかも、なかなかわからない。合っていると本人が思っても、間違っているかもしれないし、まだ花が開いていないだけかもしれない。
事務所が導いてくれる場合もあるし、自分で気づく場合もあるが、ほとんどは気づかずに終わってしまう。
声だけの芝居。
全身を使っての表現。
声さえ使わない仕事。
このようにカテゴリ分けすることすら、無意味なのかもしれない。それほど、今の声優は定義しづらく、仕事も多種多様だ。
けど彼女は声も、表現も、ビジュアル面も満たす人物と言えるだろう。圧倒的な才と、絶対的な自信。
橘唯奈。
そう、彼女なら声優界の天下をとれるかもしれない。
「こんなオシャレタウンでライブか……」
横浜のみなとみらいに降り立ち、東京に住んでいる私でさえ、異世界感に驚く。
近未来都市。
ビルが高い。建物の中の天井が高い。遊園地もあって、海もすぐに見える観光地で、ビジネス街。
名前の通り、海と、未来が融合した開放的な場所である。
もう少しオシャレをしてくるべきだったか、と後悔するも、今日のイベントには必要なかった。
唯奈ちゃんのライブに、私と稀莉ちゃんは招待されたのだ。
「せっかくならみなとみらいをデートしよう」と話していたのだが、稀莉ちゃんが事務所に行く用事ができたとのことで、私1人早めに到着したのであった。
開場16時、開演17時であるが、現在時刻は12時。早すぎる到着だった。
けど、早く到着したには理由があった。
物販。
ライブ前に、ライブグッズが販売されるのだ。
ライブに来たなら、物販でグッズを揃えるのが礼儀だ。……礼儀なのか?何にせよ、今後のラジオのイベントグッズの参考にもなるので、グッズ調査は重要だ。イベントの利益に、グッズの売り上げが大きく影響される、と前に番組の打ち合わせでも聞いた。良いアイデアは拝借させてもらおう、うへへ。
悪い顔をしながら、ライブ会場に辿り着き、物販の場所を探す。
物販はこちらと矢印があり、迷わず来ることができた。
だが、
「うわー、すごい列だ……」
けっこうな列だった。ざっと100人ぐらいはいるだろうか。
けど、開場までには時間があるし、諦めては早く来た意味がなくなる。「せっかくなら……」とお客さんたちに紛れ、同じ気分で列に並ぶ。「お、けっこう空いているじゃん」、「これなら1時間ぐらいだな」と後から並ぶお客さんの声が耳に入る。これでも意外と空いているらしい。物販ってすごいな。
並んで10分ぐらい。最初の位置よりはけっこう進んでいた。レジも複数あるからか、回転は悪くない。けれども後ろを振り返るとさらに列が伸びていた。スタッフさん、お疲れ様です……。
今日の私は眼鏡をかけているぐらいで、あまり変装はしていない。声優さんの多くは、大きなマスクをして顔を隠すが、私はあまりマスクが好きでない。だから、風邪を引くのだ!という指摘もあるかもしれないが、苦手なものは苦手なのだ。その分、精一杯のど飴を舐めている。他にも帽子を被ったり、サングラスをしたりする人もいるが、私の変装は最小限だ。大丈夫、そんなに声優オーラは出ていない。それに皆、唯奈ちゃんのために来ているのだ、私なんかいちいち注目しないだろう。
まだ列で待ちそうなので、どんなグッズが売られているか、携帯で再確認する。
Tシャツ。マフラータオル。リストバンド。ペンライト。パンフレット。ここら辺は定番どころだ。
ん?何だこれは?目の錯覚かと思い、もう一度画面を見るが、確かに売られていた。
『生写真』。
生って、何だ!?写真とはどう違うんだ!?
これが、3枚1セットで、全30種類あるらしい。
問題なのが、封入されている写真がランダム、ということだ。
コレクターの人はかなりのお金を使ったり、被ったのを交換したりしなければ、到底全種類揃えられないだろう。
さらに、問題なのが、レア封入ありということだ。唯奈ちゃんの直筆サイン入り写真がランダムで入っている。これは狙っても狙えない。
なかなかに購買意欲、コレクター魂を掻き立てられる商品と言えるだろう。恐ろしい……。いったい唯奈ちゃんガチ勢はどれだけお金を投資することになるのだろう。
しかし、これも唯奈ちゃんの可愛さだから、利益が見込めるから、できることだろう。私でやったら、まず売れない。『これっきりラジオ』で売ったとしても、稀莉ちゃんだけ喜ばれて、私のソロ写真が出た時は「うわーハズレだ!」と悲しまれるだろう。うん、辞めよう。私達のイベントグッズで生写真は絶対に辞めよう。
他にも缶バッジがあったり、クリアファイルがあったり、トートバッグや、モバイルバッテリーもあったりする。日常生活や仕事で使えるものもかなりあるなーと驚きである。普段から、好きな声優のグッズで固めたい、という人が多いのだろうか。これだけ充実しているとは思っていなかった。
色々と考えているうちに、私の買う順番が来た。まだ30分ぐらいだ。思った以上に早い。お姉さんに案内され、レジの前に行く。
「えーっと、TシャツのMサイズと、ペンライトください」
さらにメニューを見ながら悩む。裏のスタッフから「タオルがあと少しです!」という声が聞こえ、「これだけで良いか」という考えが揺らぐ。
「タオルもください。あとパンフレットも!」
衝動買いだ。なかなかにいい値段となるが、関係者席でチケットは無料で入れるのだ。これぐらい貢献しなければ、申し訳ない。
レジのお姉さんからお釣りと商品を受け取る。けど、それで終わりではなかった。
「8000円以上のお客様に特典で、チケットホルダーと、クリアファイルのプレゼントです」
「あ、ありがとうございます!」
なるほど、一定金額を超えると特典がつくのか……!オタクは特典、限定に弱い。5000円ぐらい買ったら、「もう3000円買っちゃうか、特典つくし、もったいない」という気持ちになる生き物だ。
「やるな、唯奈ちゃん……!」
実際はスタッフさんが考えているのだろうけど、オタク心理を突いた妙案だと思った。
物販を抜けると、ファンクラブに入会できるブースや、CD、映像商品の販売コーナーもある。どちらも会場限定で特典がつく。やめて、オタク君の財布はもう空っぽだよ!
そんなこんなで、物販を堪能したのであった。
開場間近になり、稀莉ちゃんから「そろそろ駅に着く」という連絡が入ったので、迎えに行った。
「奏絵、あんたそんなに唯奈推しだったっけ?」
「へ」
「鏡でも見なさいよ」
そういって、稀莉ちゃんが携帯で私を撮る。
「ほら」
ライブTシャツを着て、マフラータオルを首にかけ、ポケットからペンライトがはみ出た女性。
「なるほど」
「何がなるほどよ!」
みなとみらいにはふさわしい格好ではないが、イベントにはふさわしいオタクがそこにはいた。まぁ、私なんですけどね。
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