第16章 アオノ願い、赤色のセカイ⑦
「お魚おいしいっ!」
「お、青森の味がわかるかい?」
「悔しいけど、東京とは味が違う。新鮮!」
やってきたのは八食センター。
午前中は種差海岸で海を感じ、その後は蕪島で空を飛ぶ大量のウミネコを見てきた。せっかくなら蕪島神社の頂上まで行きたかったところだが、現在再建工事中とのことで特に祈ることはせず、ウミネコ鑑賞会を満喫し、後にした。
そして、お昼を食べに八食センターに来たわけだ。
「せんべい汁もなかなかいけるわね。最初はせんべいを汁物に入れるとか頭可笑しいと思ったけど」
「でしょ。柔らかすぎず堅すぎない状態にせんべいをするのが理想なの」
「詳しいわね」
「そりゃ、小さい頃から食べていますから」
私が育った味を稀莉ちゃんと味わう機会があるなんて思ってもいなかった。
新鮮な魚や、青森名物を堪能した後は、私の地元の弘前へ。
「せっかくならねぶた祭に案内したかったなー」
「今は真逆の季節でしょ、仕方ないわ。それに奏絵といればいつだってお祭りだから」
「私ってそんなに愉快?」
「いつでも楽しいってことよ!」
私だって稀莉ちゃんといれば飽きないし、楽しい。
そんなこんなで二度目の弘前駅に着く。昨日ぶりの弘前駅だ、短期間すぎる。父親と遭遇することはないだろうが、誰かに会う危険性もある。
そして、その心配は現実のものとなる。
「あれ、奏絵先輩?」
茶色の内巻きの髪型の女性が私を呼び止める。
誰?と最初は思ったが、徐々に昔の記憶が蘇る。当時は制服を着ていた。髪も黒くて、もっと長かった。私を慕っていた女の子。
「聡美ちゃん?」
「そうそう、そうですよ!わー懐かしいな。帰ってくるなら言ってくださいよー」
「いやいや、急な帰省だったもので」
中学時代、同じ部活だった後輩の子との再会。最後に会ったのはいつだろう。名前を呼ばれなかったら気づかず、そのまま通り過ぎていただろう。そんな曖昧な記憶。
「久しぶりですね」
「うん、久しぶり。綺麗になったねー」
「えへへ、そうですか。私もいい歳ですけれど、褒められると嬉しいですね。それでどうして弘前にいるんですか?」
「うーん、まぁ色々あってね……」
一言では説明しづらい。
「で、その子は誰ですか?」
ハッとし、繋いでいた手を慌てて離す。当然のように人前でも手は繋ぎっぱなしだった。
今は稀莉ちゃんとの旅行の真っ最中。
稀莉ちゃんはペコリと丁寧にお辞儀する。
「この子は……」
せっかくだからとお茶をすることになった。稀莉ちゃんには悪いが、聡美ちゃんと会うのは久々で、東京に帰ればもう会うこともほぼなくなる関係だ。稀莉ちゃんの了承も得たので、後輩がお勧めする、弘前公園近くの喫茶店に向かった。
少し距離はあったが、アニメに出たこともある場所とのことで、私と稀莉ちゃんも乗り気で足を進めたわけだ。
「魔女の日常系なアニメ?あー、見てた見てた!」
「私、漫画全巻持っているわよ」
「さすが2人とも詳しいね」
「アニメを見るのも、漫画を読むのも仕事ですから」
そう、映画を見るのも、旅行するのも、ゲームするのも仕事だから!言い訳じゃないよ?確定申告にちゃんと書けるから。
お店に入ると綺麗なお姉さんに窓際のテラス室に案内された。窓からは雪の積もった庭園が見える。
席に着き、注文を済ませると、後輩の聡美ちゃんが口を開いた。
「奏絵先輩は凄いんだよ!」
褒めて、私に奢ってもらおうという魂胆?いい大人でそれはないか。
「いやいや、私は凄くないし」
「私は知っているわよ!奏絵が凄いっていうのは、私が1番知っている」
腕を組み、えへんと隣の女の子が胸を反らす。
おいおい、張り合うな稀莉ちゃん。
「そうだよね、奏絵先輩は凄いよねー。というか佐久間さんも凄い。まさか奏絵先輩と一緒にラジオをやっている相方さんですとは!しかも高校生の声優さん!」
「しーっ」
平日で若者は少ないので、声優という単語に反応する人はいないだろう。けれども、どこで人に聞かれているか、わからないのだ。開けた場では、ばれないように注意を、ね。
「……高校生か、10年ま」
「言うな、切なくなる!」
ツッコミが終わると、アップルパイが運ばれてきた。さすが青森のお店。アップルパイだけで、種類がかなり豊富で、せっかくだから!と私たちは色々な種類のものを注文していた。
「どう、稀莉ちゃん?」
「美味しい!」
「良かったー。うん、美味しいね。久々の味だ」
「うふふ、二人に喜んでもらえて良かったです」
懐かしい、優しい甘い味。
「そういえば奏絵先輩、まち先輩の結婚式にも帰ってきませんでしたよねー。皆、寂しがっていましたよ」
「あー、あれはごめんね」
当時はラジオが始まったばかりで、情緒不安定だった。不幸が連鎖して、勢いで招待状を破ってしまったなんて口が裂けても言えないな……。
聡美ちゃんが「これですよ、これー」と携帯を見せる。写真には花嫁姿の同級生がいた。あぁ本当に結婚したのだなーと実感する。稀莉ちゃんも真剣に見て、感想をこぼす。
「綺麗ね……」
「稀莉ちゃんもいつか着てみたい?」
「そりゃ、着てみたい気持ちはあるわよ」
稀莉ちゃんのウェディングドレス姿……うん、絶対綺麗だろうな。見たら泣く自信がある。
「先輩は結婚のご予定は?彼氏はいないんですか?」
「な、ない!彼氏はいない!」
「そんなに力強く否定しなくても~」
断じて嘘は言ってない。うん、彼氏はいない。
「聡美ちゃんは?」
「最近、振られちゃったんですよねー、傷心気味です」
「そうなんだ、ごめん」
「いやいや、でもこうやって奏絵先輩に会えましたから!」
そこにどんな因果関係があるのか、わからない。
コーヒーを口にする。苦さが、甘いものを食べた口にちょうど良い。仕切り直し。
「でさ、私の何が凄いの?」
疑問に思っていたことを口にする。
「奏絵先輩は、別の世界の人間じゃないですか」
「別の世界?」
「はい、奏絵先輩は私と違って、輝く舞台に立っているじゃないですか」
そんなことはない。ステージに立つこともあるが、そんなの数えられるほどで、普段はバイトもしなきゃ暮らしていけない生活をしていた。
でも、普通に生きていたら舞台に立つなんてことはない。お客さんを集め、イベントをするなんてやりたくてもできない。
「奏絵先輩、私、東京でカリスマ美容師になろうと思ったんです」
「え、うん」
唐突に、聡美ちゃんが自分の話をし出す。カリスマ美容師?仕事のことは初めて聞いた。
「高校を卒業した後は、専門に行き、その後は仙台で働いていました」
「そうなんだ、仙台にいたんだね」
どんだけ私は人に興味がなかったのか。自分のことで精一杯だったのか。仲が良かったはずの後輩のその後のことをこれっぽちも知らない。
「でもね、駄目だったんです。全然駄目。技術も才能もない。話すことさえ苦になりました。それも仙台ですよ?東京じゃなくて、東北のいち都市。夢破れた私は地元に戻りました。今は学んだこととは関係のない、駅前のデパートで働いています」
「それだって、立派なことだよ」
「そうかもしれません。でも私の夢は破れたんです」
私だって、東京に出て、有名人の髪をセットして、雑誌に載って、私の技術で人を笑顔にしたかった。そう言う、後輩の笑顔はどこか悲しそうだった。
「でもね、実力がなかったんです。力不足でした。私はここでただ生きていくので精一杯だったんです」
だから、
「夢を追い続けている、奏絵先輩は眩しくて、私にとっては別の世界の人なんですよ」
皆、夢を持っている。夢を持っていた。もう憧れるだけの10代はとうに過ぎている。現実に直面し、諦め、妥協し、30を迎える。
私だって破れかけた。何度も辞めようと思った。『空音』ではなくなった。
それでも、私は別の世界の人間。まだ夢の中で生きている。
「奏絵先輩、最近は青森でも配信サイトがあるので、アニメを見られるんですよ。ラジオだって日本全国どこでも聞ける。先輩の声は、東京だけのものじゃない。日本全国、青森にだって届くんです」
隣の彼女も口を挟まず、後輩の言葉に耳を傾ける。
私たちは東京で働く。イベントもほとんどが東京だ。でもファンは、リスナーは都会だけじゃない。各地の人がコンテンツを支えている。うちの母親だってディスクを揃えているのだ。世界は狭くなんかない。
「だから、先輩は凄いんです。私は一握りの人しか笑顔にできないけど、先輩は違う。たくさんの人を、私とは違う規模で人を笑顔にできるんです」
自分の考えている以上に、私たちの言葉は届いている。良くも悪くもだが、私たちの声は影響力がある。
「佐久間さんもね、凄いよね、声優って。憧れるよ。凄い、凄い」
それは称賛なのか、妬みなのか、いつまで夢を追いかけているんだという非難なのか。ただ、私は素直に彼女の言葉を受け取る。
「ありがとう」
優しく微笑む彼女の顔は綺麗だと思った。
「もう先輩とは会えないと思っていたから、会えて嬉しいです。私こそ、ありがとうございます。輝く、別世界の奏絵先輩が私の誇りなんです。青森の誇り。これからも輝いてくださいね」
「そんな大層なことを言われても……照れるな」
一方的な期待。でもその重荷は嬉しい。
「でも、ちょっと寂しい気持ちもありますね」
またいつだって会える、なんて言えない。私は夢の中で生きていく。地元で暮らすことはもうない。
夢が破れた人と、夢に縋りつく人。私が諦める日まで、世界が交わることはない。
コーヒーを飲み終える。
外はいつの間にか暗くなっていた。もう少しで私は、私たちは元の世界に帰らなくてはいけない。
「奏絵先輩、佐久間さん」
後輩が私たちをまっすぐ見る。
「最後にちょっとだけお時間くれないですか。寄って欲しい場所があるんです」
私の新しい挑戦ですかね。そう言って彼女は立ち上がった。
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