第15章 アフターグロウ⑦

 目の前の彼女は呆然と立ち尽くしているが、私は構わず淡々と告げる。


「『空飛びの少女』がもう一度作られることはもちろん知っているよね。何度も話したもの。でも、あれは続編の2期ではないんだ。いわゆるリメイク。一からやり直して、原作ラストまで描く壮大なプロジェクトなんだ。その主役に、稀莉ちゃんが選ばれた」

「わ、私そんなの知らない。どうしてあんたが知っているのよ」


 その疑問はごもっともだ。まだ情報解禁されていないことなのだから普通なら私が知っているはずがない。そして、知らなくてはいけない主役が知っていないというおかしな状況である。


「稀莉ちゃんの事務所から、うちの事務所に話が来たんだ。私達、一緒にラジオをやっているもんね。揉めるかもと考えたんだと思う。で、先に私に知らされた」

「私やらないから」

 

 すぐに反対の言葉が出てきた。

 予想できた答えだ。想定内。


「私だけじゃないんだ。キャストもスタッフも総入れ替え。関わっていた人のほとんどがやりたくてもやれない状況なの」

「あんたはそれでいいの?」

「うん。しょうがないじゃん」

 

 どんなに私が抵抗しても変わることはない。もう決まったことで、私の一存で決定が覆ることもない。


「私は嬉しいんだよ。稀莉ちゃんなら問題ない。稀莉ちゃんなら安心して任せられる」

 

 そう、自分に言い聞かせる。


「新しい『空音』が稀莉ちゃんで良かった」

 

 虚しい笑顔を浮かべる。とんだピエロだ。

 無理に正当化させる。そうしなければ自分が辛いから。


「嫌」


 それでも彼女は認めなかった。


「どうして?大好きな『空音』の役だよ。稀莉ちゃんが憧れた女の子になれるチャンスなんだよ。監督さんや作者さんも推してくれているんだよ?役者としてこんなに嬉しいことはないよ」

「私は……」


 彼女がキッと私を睨む。私にはない強い意志を帯びた大きな瞳が私を捉える。


「吉岡奏絵以外の『空音』を認めない」


 ガタン。

 何かが外れた。


「私が憧れたのは、『空音』じゃない。吉岡奏絵が演じた『空音』なの」


 ベリベリ。

 仮面が剥がれる。


「それを変えたくない。私の憧れを奪いたくない。奏絵は悔しくないの?あなたの『空音』が人のものになって、別のものになって」


 耐えていた思いが、偽っていた気持ちが、つくられた優しさが、 


「私なら耐えられない。無理。私に『空音』は無理。奏絵がやるしかないの、私はそれ以外は嫌」

「うるさい、黙れ」


 崩壊した。


「え」


 彼女が続けていた言葉を止める。驚いた顔の彼女に、私は声を荒げる。


「悔しいに決まっているじゃん!私の『空音』を誰かにあげたくない!それがたとえ稀莉ちゃんでも許せない」

「なら!」

「でも、無理なんだ。わかってよ。もう決まっているんだよ。必死に耐えているんだよ」

「わからないよ!」

「私たちがどんなに足掻いても変わらないんだ。意地張って稀莉ちゃんが降りて、別の人がやる?そんなことはもっと耐えれない。受け入れてよ、私の気持ちを考えてよ。君が『空音』になってよ」

「私はやらない!」


 どんどん湧き上がってくる感情を無視できない。どうして、どうしてわかってくれないのか。

 憎い。この子が憎い。

 稀莉ちゃんのせいではない。そんなのは私も当然理解している。でも彼女は恵まれている。環境、才能、年齢。そのすべてに嫉妬する。だからこそ情けをかけないでほしい。


「お願い、それしか選択肢はない。受け入れるしかないの!」

「何で」


 チャンスがあるなら奪え。理不尽でもやり通せ。私たちはプロの声優なんだ。弱肉強食の世界を生きているんだ。

 チャンスがあるのに譲る、降りるなんて、余計に私を惨めにさせる。


「何で私なの?」


 イラっとする。

 どうして私じゃないの?

 私が聞きたい。


「言ってやろうか。稀莉ちゃんは売れっ子で、注目度も高い。年齢も演じる役に近く、声が合っている。容姿も整っており、イベントの集客効果も見込める。そして『空飛びの少女』の大ファンで、『空音』に憧れて声優になった」

 

 イベントのあの日、目の前の彼女は大勢にそう告げた。


「わ、私が憧れたのはあくまで奏絵の」

「そんな声優のことを、一発屋の声優のことを世間は気にしない。欲しいのはエピソードだけ。佐久間稀莉はただ『空音』に憧れて、『空音』を目指して声優になったと都合よく解釈する」


 彼女が下を向く。静まり返る中、波のざわめきだけが聞こえる。

 こんな話はしたくなかった。こんな私にはなりたくなかった。


「……私の」


 懇願するかのように、彼女は私の目を弱々しく見る。


「私のせいなの?」


 稀莉ちゃんは悪くない。彼女の気持ちも考えずに利用されたのだ。彼女も被害者だ。けれども役に選ばれることは名誉なことで、選んでくれた人たちもけして悪意があったわけではない。

 ただ彼女の隣に私がいたことだけが、不幸だった。

 だから、私は告げる。

 稀莉ちゃんは悪くない、とは反対の言葉を、不都合な私が告げる。


「そう、稀莉ちゃんのせいだよ」


 優しい言葉を待っていたのかもしれない。否定してほしかったのかもしれない。彼女の悲しみに満ちた顔を私は冷たく見下ろす。


「わかんない、わかんないよ」


 彼女の瞳から透明な水滴がこぼれる。

 一度、溢れると止まらず、小さな彼女はその場にはうずくまる。


「う、うう」


 彼女が泣いていた。

 

「ぐすっ、うう」


 心が乱れる。心が騒めく。心が暴れる。

 今まで彼女が泣いた姿を見たことはなかった。

 私が倒れた時も、イベント前私とぎこちない関係になっても、どんなに大変なことがあっても、強気で前向きだった稀莉ちゃん。

 そんな稀莉ちゃんが泣いていた。

 そして泣かしたのは私だった。

 彼女が納得するため、嫌でも理解するため、突き放すしかなかった。いや、違う。これは単なる八つ当たりなのだ。

 小さな子供に、大人であるはずの私が怒りをぶつけてしまった。


「……」


 泣いている彼女に何も言葉をかけられなかった。理不尽でも受け入れてもらうしかない。時が経てばきっと彼女も理解してくれる。

 そんな願いにも似た、淡い希望。


「ごめん」


 泣く彼女を置いて、私は背中を向ける。わんわんと泣く声がさらに強まる。それでも私は振り向かず、重い足を前に進め、その場を去った。




「ごめんなさい」

『いえ、私達の方こそ、吉岡さんにこんな辛い思いをさせてしまい、申し訳ございません』


 稀莉ちゃんの元から去り、すぐに彼女のマネージャーである長田さんに電話する。あらかじめここで、告げることを伝えていたのだ。すぐ近くで待機してもらっていた。何かあった時、彼女の助けになるように準備していたのだ。

 そして悪い予感は的中した。


「泣かしてしまいました。本当にごめんなさい。そんなつもりはなかったんです。でも醜い感情、嫉妬、暗い気持ちがあったのも事実です。『空音』を奪う彼女を私は憎みました。稀莉ちゃんが子供であることを忘れていました。泣くなんて思っていませんでした。私は彼女のことを考えていなかった。今まで甘えていたんです。反抗しながらも、根気強く言えば納得してくれると思っていました。間違いでした。大人げない、本当に大人げない。彼女を傷つけてしまった。泣いた顔なんて見たくなかった」

『吉岡さん……』


 言葉にすれば救われるのだろうか。泣いている彼女に私は何もできない。意味もない懺悔。

 電話越しのマネージャーも困惑している。みっともない。どうしようもなく醜い。


「ごめんなさい。今は私のことより早く彼女の元に行ってあげてください。また連絡します」


 電話を切る。

 本当の一人になり、後悔と嫌悪の波がどっと押し寄せる。

 終わった。

 本当に何もかも終わりかもしれない。

 もうラジオを続けることはできないかもしれない。稀莉ちゃんが私の顔なんてもう見たくないかもしれない。

 けれども私に泣く資格はなかった。泣かせた私がめそめそ涙を流して、落ち込むなどしてはいけない。

 一人暗い道をただただ歩くしか、


 プルルルル。


 一度切ったはずの電話がまた鳴る。

 もしかして、稀莉ちゃん?と思ったが、画面に表示されたのは意外な人物だった。


「どうしたのお父さん、急に電話なんて?」

『母さんが病院に運ばれた』

「え……」

 

 気持ちは、状況は、休まることを知らない。

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