第15章 アフターグロウ③
空音は私じゃない。
どうして私は疑いもしなかったのだろう。
何で私が『空音』を続けられると思っていたのか。
どうして続編でも変わらず、私が抜擢されると自惚れていたのか。
アニメの続編で声優が変わることは珍しいことではない。時期を空けずに、突然の声優変更は叩かれるだろう。けど6年なのだ。6年経って、変わることは可笑しいことではない。あの頃のメンバーを再集結させる方がよっぽど大変だ。
それなのに、私は1%も変更の可能性を疑っていなかった。
それは、何故か。
空音は『私』だからだ。
私は『空音』で、空音は『私』。私以外の『空音』は存在しなく、『空音』がいなかったら声優の『吉岡奏絵』は存在しなかった。私と空音は一心同体。切っても切れない存在なのだ。
だから、疑いもしなかった。私以外の『空音』なんているはずがない。いるはずがなかったのだ。現に、稀莉ちゃんも別の役者が『空音』を演じる可能性を考慮せず、私と話していた。それほど私と彼女にとって当たり前のことなのだ。当たり前のことだったのだ。
「吉岡さんには本当に申し訳ないと思っている。けれど、私どもの力が及ぶところではないんだ」
「わかっています、わかっていますが……」
言葉では理解している。でもいまだに信じられていない。
「それに吉岡さんだけじゃないんだ、変わるのは。役者は全とっかえだ」
「そう、なんですか」
「スタッフも総入れ替えだ。そもそもアニメをつくる制作会社が違う。当然監督も、音響監督も、音楽も全て違うメンバーだ。悪く思わないでくれ、君だけじゃないんだ、辛い思いをしているのは」
制作会社も、監督も違う。同じなのは製作委員会の出版社ぐらいか。それならば仕方がない。私一人だけの不幸ではないのだ。また『空飛びの少女』をつくりたかったメンバーもいるだろう。監督も打ち上げでは嬉しそうに「2期やろうぜ!」と話していた。きっと落ち込んでいるのは私だけではない。たくさんの人が辛い思いを抱えながら、納得し、続編がつくられる喜びをかみしめている。それが自分に関係ないところで作られるものだとしてもだ。
「仕方がないですね、こればっかりは仕方がない。私一人我儘をいってもどうしようもないですね」
「すまない」
「社長が謝ることではないですよ。むしろ感謝しています。普通なら私はネットでキャストの情報を知って、ショックを受けていたでしょう。事前に場を設けて、私にきちんと説明してくれた。本当にありがとうございます」
辛い。どうしようもなく辛い。それでも納得しなければならない。理不尽なのは私だけじゃない。どうしようもないのだ。私はあくまで声優。アニメの部品なのだ。それが交換されても成立するものなのだ。
「制作会社も、声優も変えるってことは単なる続編じゃないんですね」
「他言無用で頼むよ。吉岡さんだから伝えることだ」
「はい、もちろん私の中に留めます」
「察しの通り、1期からの続編ではない。リメイクだ。1からのやり直し」
予想できたことだ。続編ではない。新しい『空飛びの少女』をつくる。
「全部で2クール、ラストは劇場版で、原作を全て描き切るとのことだ」
「壮大ですね」
「ああ、ビッグプロジェクトだ」
そんなアニメ界を揺るがすであろう壮大なプロジェクトの一員になれない。過去の『空飛びの少女』はお払い箱になるわけだ。
「仕方ないですね」
「ああ、仕方がないんだ、申し訳ないことだが」
私は単なるファンとして、その一大プロジェクトを見守ることしかできない。それほどお金が動き、会社が動き、人が動いている。残念ながら、1期以上に凄いものができあがるだろう。そして、私は『空音』でいることができなくなる。
「声優のオーディションはすでに最終選考の段階だ。吉岡さんには本当に悪いが、オーディションに参加する資格もない」
「わかっていますよ。新しい空飛びの少女をつくるのに、私がいたら邪魔でしょう。たとえサブキャラでも過去の空音がいたら台無しですもんね」
「申し訳ない」
「もういいですよ。どうしようもないことなんです。簡単には受け入れられないですが、きちんと心の整理をしていきます」
「違うんだ、吉岡さん」
社長が語気を強める。
……何が違うというのか。仕方がないじゃないか。諦めるしかないじゃないか。必死に抵抗することなんてできないんだから!
「君にはまだ言っていないことが、あと1つだけある」
「いいですよ。もう何を言われても大丈夫です。これ以上へこむことはありません」
「いや、でも、あまりにも」
「社長?何ですか、言ってください」
「……決まっているんだ」
「え?何がですが」
「空音の役は決まっている」
すでに決まっている。私じゃない、『空音』が決まっている。
「そうなんですね」
「ああ、空音はオーディションせずに、製作委員会の意向で決まっている。監督が何度か起用したことがある声優らしくてね。彼女なら問題ないと太鼓判を押しているそうだ」
「実力ある役者さんなら安心ですね、私も任せられます」
嘘だ。任せたくなどない。でも知らない新人がやるよりずっとマシ。私の『空音』が汚されるより、貶められるより、ずっとずっとマシ。
「そしてスポンサー、出版社も彼女を絶対に起用させてくれと言っている」
「へー、そんな凄い人なんですね」
「それはあるエピソードを耳にしたからだそうだ。原作者も話を聞き、えらく感動したとのことだ」
「……エピソード?」
「彼女は、『空飛びの少女』の大ファンで、『空音』に憧れて声優になったとのことだ」
「…………え?」
瞬時に理解してしまった。
だって、その話は直接聞いたのだ。
だって、私は隣にいたのだ。忘れるはずがない。忘れられるはずがない。
だって、その話に私も感動し、涙ぐみ、彼女をどうしようもなく愛おしく思ったのだから。
だって、その話はさっき私が社長との会話の話題にもあげたのだから。
「空音の役は、佐久間稀莉だ」
その名前は、私のラジオの相方の名前だった。
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