第15章 アフターグロウ②
ラジオの収録現場から事務所までは地下鉄一本で辿り着く。事務所からの呼び出しに30分もかからず、到着したのであった。
「お疲れ様でーす」
扉を開けると、何人かのマネージャーがおり、片山君も自身のデスクに座っていた。
「お、吉岡さん。早いっすね」
「ボ・スからの呼び出しですからね。私、何かやらかしました?」
「いや、俺は聞いてないっすね。ボスも特に話してくれなかったっす」
「そう……」
マネージャーにも言えないことなのだろうか。ますます胃が痛くなる。
「社長はどこにいます?」
「奥じゃないっすかね。俺、呼んできますよー」
「いえ、自分で行きます。ありがとう、片山君」
社長にわざわざ来てもらうほど私は偉くない。私が行かなくてどうする。片山君にお礼を言い、社長室へ向かう。社長室に入るのは、事務所に合格し、社長に挨拶された時以来だ。あの時は同時に合格した人たちと一緒だったが、今回は一人。足は重いが、すぐに辿り着いてしまった。
1つ大きく深呼吸をし、扉をノックする。すぐに中から「どうぞ」と言葉が返ってくる。意を決して、扉を開ける。
部屋の中には当然社長がいた。
「吉岡さん、わざわざごめんね」
「いえ、お忙しい所、私のために時間をとっていただき、ありがとうございます」
椅子から立ち上がり、私を席へと案内する。見た目は若いが社長も60過ぎだ。切れ者であるが、腰は低く、話しやすい相手だ。
また部屋の中には秘書さんもいた。さっと私の前にお茶を出し、ありがたくいただく。
「今日呼んだのは、吉岡さんと色々と話しておかないと思ったからなんだ」
「お話ですか」
「そう、お話。説教をするために呼んだわけではないよ」
その一言に安心する。良かった、怒られるのではないらしい。
「まずは謝罪から。炎上の件はこちらでなかなかフォローできずに吉岡さんには大変辛い思いをさせてしまったね。申し訳ない」
「そんなっ!悪いのは私……というわけではないですが、社長のせいではありません。頭を上げてください」
突然、社長に頭を下げられ、驚く。
「本当ならもっと早くに話をするべきだった。事務所として君を守ってあげられなかった」
稀莉ちゃんのイベントでの公開告白により、私のSNS、ラジオ番組などは盛大に炎上した。
ただ炎上とはいえ、誹謗中傷は少なく、精神的ダメージは大きくなかった。それに話題になってラッキーとちょっと思っている自分もいる。確かに私のSNSへのコメントは凄いことになっていたが、それもこれも元凶は稀莉ちゃんなのだ。私の事務所が未然に防ぐことはできないし、炎上した後もどう対処したら正解だったのか、正直わからない。
「佐久間さんの事務所からもうちに謝罪があってね。吉岡さんには本当に申し訳ないことをしたとの言葉があったよ。佐久間さんもだいぶ絞られたみたいだね」
果たして本当に稀莉ちゃんは絞られたのだろうか。全く自重していないし、むしろ加速している気がする。開き直った?
「炎上したことは大変でしたが、その、佐久間さんに好意を伝えられたのは嬉しかったというか、私に憧れて声優になったなんて、あー私はちゃんといたんだな……と少し泣けちゃいましたね」
「そうか、必ずしも悪いことだけではなかったんだね」
「ええ、佐久間さんとのラジオは毎回楽しいですし、イベントは格別でした」
うん、うんと社長が嬉しそうに頷く。燻っていた、所属の声優がラジオ番組で再び輝いているのだ。炎上も気にしていなく、むしろ受け入れ、前向きに捉えている。社長も私と直接対面し、安心しただろう。
「ただ実際のところはどうなんだい。関係を否定するつもりはないが、その二人はアベックなのかい?」
聞きなれない、古い言葉に思わず吹き出す。
「アベックって何ですか。いつの言葉ですか。大丈夫ですよ、社長。恋人ではありません」
今は、という注釈は……いらないだろう。
「そうか、今はアベックなんて使わないか。年をとるのは嫌なものだ」
「私が佐久間さんと仲良くしているのは、正直に言うと印象良くないですか?」
「そんなことはないよ。どちらかが男だったら、真剣交際以外は認めないが、女性同士仲良くする分には問題ない。スキャンダルさえ起こさなけば問題ない。ただ、未成年との同棲とかは辞めてね」
「さすがに同棲はしませんよー」
お互い冗談が混じるようになり、空気が和らぐ。秘書さんだけは表情を崩さずにいるからちょっと怖いけど。社長から稀莉ちゃんとの関係を咎められることはなく、むしろある程度許容されたのだ。お堅い社長でなく、私にとってはありがたい。これなら思う存分、稀莉ちゃんとのこれからを悩むことができる。安心だ。
――それだけ。
それだけのことを言いたかったのだろうか。社長はただ私が心配で、面談してくれたのか?
「それでね、吉岡さん」
「はい?」
「空飛びの少女の話は聞いているかい」
違った。それだけではない。いや、むしろこっちが本題なのかもしれない。何しろ人気タイトルの2期だ。私が初出演してから6年の歳月が経っている。事務所としても大きな仕事で、失敗は許されないだろう。
「はい、もちろんです。ネットでも凄く話題になってますね。いやー、楽しみですね、アニメ化」
「そう、アニメ化」
「ええ、6年ですよ、6年。あれから6年経って、また空音を演じられるかと思うと嬉しいです」
「……吉岡さん」
「ちょっと不安もありますけどね。あの頃とは声も微妙に変わっていますし、完全再現は難しいですが、成長した私を見せるつもりです。安心してください!」
「吉岡さん!」
社長が声を荒げる。「え?」と思わず声が漏れる。
「ちょっと聞いてくれ」
「ごめんなさい、私ったら嬉しくて、つい喋りすぎちゃいました」
「いや、構わないよ。気持ちはわかる」
「わかるが……」と声は尻すぼみになり、沈黙が流れる。
あれ、どうしたのだろう。さっきまで和んでいた空気はどこにいった。嫌な汗が流れる。
私はただ社長の言葉の続きを静かに待つ。けれども社長は何かを喋ろうと口を開けては、辞める、といった行為を繰り返している。
「社長」
秘書の冷たい呼びかけに、社長が顔を上げる。
どうして。
「吉岡さん」
そんな、辛い顔をしているのだろう。
「申し訳ない、空音は君じゃない」
空は、光を失った。
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