第13章 同情、現状、日々炎上⑥
「焼きに行く」と言われ、連れてこられた場所は豊洲。
ビルが立ち並ぶ場所だが、少し歩くと確かに「焼ける」スペースがあった。
「さぁ、焼くぞ、食うぞ」
「おー」
ここはバーベキュー場だった。
山でも、川でも、砂浜でもなく、都会のビル街。そんな場所に、手ぶらでバーベキューができるスポットがあったのだ。道具も、食材も、お酒も、椅子も、全て用意されている。最近の世の中は便利になったものだ。ふらっと立ち寄って、気軽にバーベキューができる。準備も片付けも楽ちんだ。
昼よりも夜が人気とのことで、まだ日差しが暑いお昼の時間帯は、それほど人は多くない。
「打ち上げを忘れていたなんてどうかしているわ、奏絵」
「面目ない……」
そう、今回のバーベキューはこないだ行ったラジオイベントの打ち上げなのであった。
普通ならイベント後、その日に打ち上げが行われることがほとんどだ。けれども稀莉ちゃんはまだ高校生で、門限もある。まだ学生の彼女のことを考慮し、別の日のお昼に打ち上げすることになっていたのであった。ただ打ち上げだけに来てもらうのも集まりが悪くなるので、普段よりも収録の時間を早め、その後に開催、というスケジュールが組まれていた。炎上騒ぎで、打ち上げのことはすっかり頭から抜け落ちていた。「今日の収録は何だか朝早いなー、ま、いっかー」ぐらいの気楽な気分だった。
それにしてもイベント当日ではなく、別の日の打ち上げで本当に良かったと安堵する。イベントのあの「告白」の後に打ち上げだったら、打ち上げがどんな空気になっていたのだろうか。スタッフも乗ってくれるのか、誰も触れずに無視して進めるのか。どちらにせよ私は逃げだしたくて堪らない打ち上げとなっていただろう。想像もしたくない。
「何ぼーっとしているのよ、熱いうちにお肉食べなさい」
「そうだね、稀莉おかん」
「おかんはあんたでしょ」
「そうね、稀莉。たくさん食べて大きくなるのよ」
「もう成長期は終わりました!」
「へー……」
「視線を下げるな!」
うんうん、これでいい。大好きオーラを出される過ぎると正直やりづらい。これぐらい毒づいている方が楽だ。それは、また「逃げ」なのだろうが。
「やっぱりお肉はいいね」
「そういえば珍しくお酒は飲まないのね」
そう、お酒大好きの私がバーベキューに来ながら、お肉を食べていながら、お酒を飲んでいない。異常事態だ。バーベキューにはビールが必須。酒を飲まないはずがないのだ。自分で言っていて可笑しいが、正気じゃない。
でも、今日は酔いたくないのだ。
「夜に仕事でもあるの?」
「いやいや、ないよ。たまには体に気をつかってね」
じぃーっと彼女に睨まれる。私の言い訳を信じていない顔だ。
「さあさあ、焼くから、稀莉ちゃんはたんとお食べ」
トングを持ち、網でお肉を焼く。じゅーっと焼かれる肉の音だけでも、心地よく、食欲を刺激する。
酔いたくないのではない。ここで、酔ってはいけないのだ。
「焼く姿、様になっているねー、吉岡君」
「あざっす!」
「手際いいね~」
「焼くのは得意です!料理はからっきしですが」
酔ったら口が軽くなる。お酒に強いからといって饒舌にならないわけではない。つい、うっかり、閉じ込めている気持ちが言葉に出てきてしまう。出ちゃいけないのだ。出してはいけない。
あの告白以来、私は自分に1つの制約を課していた。
――稀莉ちゃんの前では、お酒を飲まない。
「あ、タレ切れましたね。とってきますー」
あの告白で自覚してしまった。自分の気持ちに。
いや、嘘だ。前から気づいていた。知っていた。わかっていた。逃げていた。避けていた。
それが口から出かかっている。ふとした拍子で出てきてしまう。
だから、飲まない。
「タレ、タレどこかなー」
そんなのいつまで持つかわからない。いっそ正直になってしまったらいいのかもしれない。稀莉ちゃんもきっと望んでいる。私の言葉を待っている。色づいてしまった、私の気持ちを。
「お、あった。あった。新品のタレだ」
でも、わからないのだ。本音を言った後のワタシがどうなってしまうのか。彼女とどういう関係になるのか。気持ちを告げて、「ハイ終わり―」というわけにはいかない。
まだまだラジオは続くし、私の声優人生も続く。そして彼女の人生もまだまだこれからだ。私は女で、彼女も女。普通ではないのだ。リスナーが、ファンが許しても、それは世間が認めてくれるわけではない。
「うーん、開かないな。ふんっ」
迷っている、という言葉が正しいのかわからない。きっと今のこの状況は正解じゃない。ただ、素直に答えてしまうのもきっと間違っている。
「あっ……あーあ」
私はぶちまけられないのに、彼女はずるい。言葉にできたらどんなに楽だろう。何も考えずに言えたらどんなにスッキリするだろう。大人になるっていうのは辛いものだ。
私がぶちまけられるのは、新品のタレだけ。
「なかなか落ちないよね……」
嘆いても仕方ない。水を求めて、とぼとぼと歩き出した。
ジャー……。
1人悲しく水道でTシャツを洗っている。
新品のタレを開けた拍子に、盛大に中身をぶちまけ、白いTシャツのお腹の部分を汚してしまったのだ。幸い、周りには気づかれなかったので、恥はまだかいていない。が、水に濡らしても汚れが落ちることはなく、どうやらこのまま戻るしかなさそうだ。
「何しているの?」
女の子に声をかけられ、振り向く。
そこには私を悩ませる人物、稀莉ちゃんがいた。
彼女は私の汚れた姿を見て、どっと笑い出す。
「あははは。ださっ、ははは」
「もう笑うなよ、稀莉ちゃん」
「タレ溢すって本当、子供なんだから」
「おかんに子供って言うなよー」
「……何で私、こんな人好きになったんだっけ?」
「し、知るかー、私が知りたい」
「これ以上知りたいの?」
「うっ、いいです、ごめんなさい」
油断も隙もない。
「しょうがないわね。私、イベントで貰ったTシャツ持っているわよ。貸そうか?」
「まじで!ぜひ貸してください!」
彼女がニヤリと笑う。知っている、何かを企んでいる顔だ。
「じゃあ交換条件で」
「しょうがない、皆に笑われてくるよ」
「せめて内容を聞いてからにしなさいよ!」
どうせロクなお願いじゃない。でもこのままの姿で戻りたくないのは確かだ。ここは彼女の厚意に甘えるべきか、好意につけ込まれるべきか。
「もうひとつ約束するから」
「もうひとつ?」
「私、色々とね、ラジオでは我慢するからさ」
「お、おう」
「……デートして?」
果たしてそれは交換条件なのか。
色々とラジオで我慢する。色々とは何だろうか。稀莉ちゃん自身もただイチャイチャするラジオでは駄目だと思っているのだろうか。ただ、その分はけ口を、発散場所を求める。『デート』という形で。
今さらだ。喫茶店に行ったのも、食事に行ったのも、ネズミの国に行ったのも、全てデートだ。
でも、違う。明確な好意を知ってしまった。お出かけではなく、本当の意味で『デート』なのだ。
せっかく抑えているのに、その提案を拒否すべきなのに、心では答えがわかっているのに、身体は別の答えを出していた。
「わかったよ」
首を縦に振った。彼女は嬉しそうな笑顔をし、急いで替えのTシャツを取りに行ってくれた。
わかっているのに、わかっていない。
もう歯止めがきかない。
「はぁ……、まいっちゃうな」
言葉とは裏腹に口元が緩んでいる私に、まいってしまう。
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