第12章 待たね、ソワレ⑧
何を言っているのかと思った。彼女は私の憧れ。何のことかさっぱりだ。
そう思うほど、彼女の言葉は唐突すぎて、違和感しかなかった。
「はじめて彼女の声を聞いたのはアニメでした。あの人気を博したアニメです。テレビから聞こえる、彼女の演じる声に、小学生ながら凄い!と感動しました」
ここは舞台の上。それもイベントを締めくくる最後の挨拶だ。彼女の言葉は、この場に、このタイミングにそぐわない。
「はじめて彼女を見た時、私の心は弾みました。わざわざチケットを取ったんですよ。イベントで歌う彼女はかっこよく、きらきらと輝いていて、誰よりも大きな存在でした」
でも、誰も止めずに、真剣に彼女の言葉を聞いていた。
知らないこと。隠していた事実。
「はじめて見たあの日から、彼女は私の憧れになりました」
稀莉ちゃんはきっと私のことを話していた。
「彼女にもう一度会いたかった。もう一度声を聞きたかった。彼女に近づきたかった。毎日、彼女のことを考えてはドキドキしていました」
彼女が喋れば喋るほど、心が落ち着かず、体は熱を帯びる。
ちらりとこちらを見て、彼女が小さく笑いながら、話し続ける。
「そして、そのドキドキは今も止まりません」
止めるべきだろうか。これ以上は嫌な予感がする。取り返しがつかないことになる。
「あのころとは違うと思います」
でも私は止められない。彼女の真剣な言葉を止める権利はなかった。彼女はわざわざ、この場を選んで話している。その行動はとても勇気がいることで、怖いことなのだ。
「成長したのか、変化したのかわかりません。駄目駄目な時もあります。迷惑をかけられてばかりです。彼女に憧れた私は馬鹿だったと思う時もあります」
彼女の思いを遮ることはできない。
「でも、私は昔も今も、吉岡奏絵を尊敬しています」
そして、答えを確かにする。
稀莉ちゃんが私を尊敬している?憧れている?なんて冗談だ。では最初の態度は何だ。生意気な女子高生だった彼女は何だったんだ。
全ては彼女の「演技」だったのか。演技だとするなら、まんまと騙された。ひどい。何でこんなことをしたんだ。
……本当にひどいのか?彼女にイラついたからこそ、私は奮起した。初回のラジオを変えようとした。結果として今がある。
「何より、彼女といると私は笑顔になれる。彼女と一緒にラジオをやると楽しい。こんなに私を愉快にさせるのは彼女だけです。やっぱり彼女は凄いんです」
憎めるはずがない。彼女がいたから、私はここに立っている。
「彼女は言いました。君のおかげで私はここにいます、と」
そんな私の思いを、さっき述べた言葉を、
「違います。あなたのおかげで私はここにいるのです」
彼女は強く否定する。
「あなたに憧れたから私は声優になりました。ありがとうを言うのは私です。ここにいるのはあなたのおかげ、ありがとう奏絵。あなたと会えて良かった。私は声優になれて良かった。こんな素敵な景色を見せてくれてありがとう」
拍手が会場に響く。
胸の鼓動が激しい。真っ直ぐすぎる感謝の言葉に、どんな顔をしていいのかわからない。あー、もうずるい。本当にずるい。
そんなこと言われて、何も思わない、なんてことはできない。
透明だった思いは、もう無色ではいられない。真っ赤に色づき、器から零れる。
「稀莉ちゃん!」
思わず体が動いてしまった。足が急かす。稀莉ちゃんの元へ、駆ける。
その小さな体を、驚いた顔をしている愛おしい女の子を、
強く抱きしめる。
会場から歓声があがる。
抱き着いて30秒ぐらいし、彼女に「そろそろ恥ずかしい」と言われ、ここがイベント会場ということを思い出し、慌てて離れる。
「あはは、ごめん」
「いいわよ、嬉しい」
そそくさと彼女から少し距離をとる。自分の行動が恥ずかしすぎて会場のお客さんの顔をまともに見られない。何をしているんだ私は。いや何を言っているんだ、この女の子は!
でも、これで終わりではなかった。
「そして、あんたたちに言っておくことがある!」
彼女が私の手を掴み、高く掲げる。
そして、彼女は不敵に笑い、告げる。「これは宣戦布告」だと。
「彼女の隣は誰にも渡しません!」
思わぬ言葉に会場の誰も反応できない。手を握られた私も何も言えなかった。
あの時は逃げられた。彼女の告白から逃げた。
でも、もう逃げられない。逃げ場を失ったどころではない。
ここは満員のイベント会場で、録音されていないとはいえ、多くのお客さんに聞かれている。スタッフだって、事務所の人だっている。証人が多すぎる。目撃者が多すぎる。とぼけることも、聞こえなかったふりも、逃げることもできない。
だからこそ、彼女は火をつけた。容赦なくガソリンをぶちまけ、笑顔で、一点の濁りもなく、ためらいもなく、宣言したのだ。
「私は、吉岡奏絵が好きーーー!大好き!!」
大人気女子高生声優の公開告白に、会場がどよめくどころの騒ぎではなくなり、そのままイベントは幕を下ろした。
その日、私のSNSは大炎上した。
<第2部 完、第3部へ続く>
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