第12章 待たね、ソワネ
第12章 待たね、ソワレ①
地下鉄を乗り継ぎ、九段下で降りる。まだ早朝。普段なら通勤ラッシュで大混雑している時間帯だが、本日は休日なり。人は少なく、快適な移動だ。
改札を通り、階段を上がり、地上へ。
空から降り注ぐ日差しに思わず目を閉じる。
雲一つない快晴。絶好のイベント日和だ。室内で空なんて見えないけど、絶好のイベント日和なのだ。空にも迷いはない。
お堀の周りをぐるっと歩き、門をくぐる。
着いた、武道館!
「ここが武道館か……」
ひとしきり感動した後、華麗にスルー。
今日の目的地はここではない。ライブをするわけではないのだ。私は歌手でもないし、アイドルでもない。
武道館から歩くこと数分。やっと私は目的地に辿り着く。
今度こそ、到着だ。
「ここか……」
ここが「これっきりラジオ」の初めてのイベントの場所。8月までは夏休みの子供で賑わっていたであろう場所、科学館だ。
関係者口をくぐり、会場に向かう。楽屋には先客がいた。
「おはようございます、長田さん」
「おはようございます、吉岡さん」
挨拶を返してくれたのは、稀莉ちゃんのマネージャーの長田さんだ。
「吉岡さん、暑そうですね」
「ええ、電車乗って、駅から歩いてきましたから」
「え、電車で来たんですか」
「はい、そうですが?」
「吉岡さんの事務所さんは送ってくれないんですか」
「……」
えっ、イベントの時って事務所が車で送ってくれるものなの?私、いつも電車で来ているぞ。それに当日モーニングコールもないし、稀莉ちゃんのマネージャーさんは来ているというのに、うちのマネージャーはここにいない。
……私は事務所に信用されているなー。
「すみません、事務所によって違いますよね。うちがきっと過保護なんです」
「そうですね、あはは」
果たしてイベントが始まるまでに事務所の人間は誰か来てくれるのだろうか。信用できないな……と思ったが、昨日私も信用が無くて誓約書を書かされたのであまり人のことを強く言えない。
「稀莉ちゃんはもう来ているんですか」
「ええ、会場の方にいますよ」
「じゃあ、行ってきますね」
楽屋から出ようとする私を、長田さんが呼び止める。
「吉岡さん」
私は振り返り、何度もお世話になった仲間に問う。
「どうかしました?」
眼鏡の奥の瞳が優しく微笑む。
「いえ、もう心配ありませんね」
「ええ、私に任せてください」
迷いもなく言い切り、楽屋から飛び出す。歩く速度が徐々に早まり、気づいたら走っていた。
そして、扉を開け、舞台に辿り着く。
「稀莉ちゃん!」
舞台の中心に立つ彼女が振り返る。
「なによ、よしおかん。そんなに慌てて」
席はまだ空席。これから埋まるのだ。数時間後にお客さんが来て、イベントが開催される。ここに立つだけで、嫌でも緊張してくる。どうしようもない不安が襲ってくる。
でも、足は震えていない。今は、
「すっごいワクワクするね!」
ワクワクが止まらない。どんなイベントになるんだろう。どんな面白いことが起きるのだろう。どんな化学変化が起きて、私は驚かされるのだろう。
予想なんてできない。だから、面白い。
「わざわざそんなこと言いに来たの?」
呆れたといった台詞とは裏腹に微笑む彼女。
私の最高のパートナー。
「佐久間さん、おはようございます。本日、一緒にラジオイベントを担当する吉岡奏絵です。宜しくお願いします」
そう言って、私は満面の笑顔をつくり、彼女に手を差し出す。
苦笑いの彼女が私を見る。
「根に持っているんじゃないわよ」
「えへへ、あの時は『初めまして』とか言っちゃって」
「仕方なかったのよ」
「私、ショックだったんだけどな、ラジオ収録初日で、何だこの生意気な女子高生は!とムカついたんだけどな」
「なるほど、作戦は成功していたわけね」
「何だよ、作戦って」
「秘密」
「何でも話すんじゃなかったけ」
「少しぐらい秘密があった方が可愛いじゃない」
「はいはい、そうですね。稀莉ちゃんは可愛いですよ」
「そうね、私は可愛いわね」
「否定せい!」
「うるせい!」
茶番を繰り広げ、我慢できなくなった私たちは笑い出す。
「あの時はごめんね」
そして、差し出した手が握られる。
「宜しくね、奏絵」
「おう、最高の舞台にしよう」
「全員笑わせて帰るわよ」
「もちろん。そして、私たちも大いに楽しもう」
「ええ、当たり前よ」
「おう!」
あの時握られなかった手が、今は私の手の中にある。
繋いだ手が、想いを伝染し、
奏でた音が、私の透明な世界に色をつける。
笑顔の準備は終わり、後は始まりの合図を待つだけとなった。
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