第11章 始まるマチネ⑥

 座っているだけで画になる。

 私が席に戻って来ると、ふと顔を向け、表情が少し柔らかくなる。

 

「どっちがいい?」


 手に持つアイスコーヒーと、キャラメルラテを前に出し、問う。

 

「私が苦いの嫌いなの、知っているくせに」

「ですよね」


 あの時は強がって、ブラックを飲もうとしていたが、もう偽る必要はない。

 キャラメルラテを手渡し、席に座る。私は残ったアイスコーヒーを飲む。今の私にはこの苦さがちょうど良い。甘さに甘えられる時ではない。

 目の前の彼女も美味しそうに甘いものを堪能している。無邪気な子供の姿に緊張した空気は幾分か和らぐ。

 さて、何から切り出したら良いか。

 ともかく謝るか。何に?別に間違ったことはしていないし、ただ一人で勝手に不安になっているだけ。順調な自分を怖がっているだけ。あと、ネズミの国での彼女の告白を無視しているだけ。酷い言い方だが、大人の対応なのだ。何しろ、私の心が何も整理がついてない。取っ散らかっている。何を迷っている、遠ざけている、抱えているというのだ。私が知りたい、教えてくれ。正解を、道筋を。弱さをどう克服すればいい。

 言葉は出てこず、コーヒーを口に含む。


「ねえ、よしおかんは私のこと嫌いなの?」

「ぶふっ」


 唇に力を入れ、コーヒーが飛び散るのをせき止めた。


「飲んだコーヒーを吹くからやめて!」


 心への突然のタックルは防御できない。

 

「答えてよ」

「……嫌いなわけないじゃん」


 嫌いなはずがない。最初は生意気な女の子だった。でも、稀莉ちゃんとのラジオは楽しく、私を絶望の淵から救ってくれた。そして、私を「好き」でいてくれる。そんな女の子を嫌いになれるはずがない。

 裏返す。では、「好き」なのか。

 人としては、「好き」だ。役者としては、「好き」だ。ラジオの相方として、「大好き」だ。

 では、


「逃げてごめんね」


 恋愛として「好き」なのか。


「べ、別にそれについては怒っていないわ。あれはつい出ちゃった言葉で、その、答えが欲しくて言ったわけじゃなくて」


 彼女の威勢が失われる。あれ、怒っているのは、彼女の一世一代の告白をはぐらかしているからではないのか?


「え、そうなると稀莉ちゃんは何に対して怒っているの?」

「あーもう、何でわからないの」

「言葉にしないとわからないよ」

「何も言わないよしおかんが言うな!」


 はあーーーーっと深くため息をつかれる。そして、長く説教される。


「私が呆れているのは、何か悩んでいたり、不安に思ったりしているのに、また一人で抱え込んでいること。急に泣き出すとかオカシイから。それを私に相談してこないのがムカつくの。寂しいじゃない、私はパートナーなのよ、ラジオの。よしおかんが悩んでいたら相談にのってあげたいし、悲しいことがあったら知りたいし、嬉しいことがあったら一緒に喜びたいの、わかる?」

「わかる……けど、それは大人として私の示しがつかないというか」

「そう、それよ!大人とか、私が女子高生とか関係ないの。年の差は関係ない。年齢関係なく、私たちは対等なの、わかる?」


 それはわかっている。年の差なんて関係ない。彼女は立派な声優で、私も彼女を尊敬している。


「わかる……けど、私は相方として一人でちゃんとしないと」

 

 だからこそ、私は自分でしっかりとしないといけない。彼女の隣という立場に恥じないように。


「うぅ~、私は確かに言ったわ。私の相方らしくちゃんとしなさいって。訂正よ、撤回。ちゃんとしてなくていい。あんたが弱いのも、めんどくさいのも知っているわ。存分に思い知った。全部言いなさい、弱さも困難も、壁も、私達二人で乗り超えるの」


 何でも話しなさい、か。


「それだと稀莉ちゃんが上司か、お母さんみたいだね」

「よしおかんに言われたくないわ!あーもういっそあんたの母親でもいいわ。勝手に母性でも感じていなさい。あんたはまだまだ子供なの」


 女子高生に子供呼ばれされるアラサーって。まぁ、その通りなんだ。めんどうで、弱くて、ちゃんとしていない。


「私も反省している。あんたにそう言っているけど、私も全然話さないもの」


 そして、それは彼女も同じこと。


「私、明日のイベント不安なの。不安で不安でたまらない」


 稀莉ちゃんが弱さを吐露する。


「最初はあんたと上手くラジオできるなんて思わなかった。でも、よしおかんのおかげで色々あったけれども、上手くいった。そしてあっという間にトントン拍子でイベントまで来ちゃった」


 ただ私は静かに頷く。


「順調で不安なの」


 そう、彼女も私と同じなのだ。


「私も同じだよ、稀莉ちゃん」

「うん」

「私も順調で、稀莉ちゃんと出会って世界が一変して、輝きすぎて、不安なの。このまま光の中を駆け抜けていいのかって。どこかに落とし穴が潜んでいないかって」


 彼女が私の目を真っ直ぐに見る。


「だって、私は空から墜落した声優だから」


 私は落ちぶれた声優。一発屋だった。空音として高く飛び立った空から、制御を失い、墜落した。

 幸運にもまた飛ぶことはできたが、これは最後の、消える前の輝きかもしれない。

 いつまた墜落するのか、飛べなくなるのか、わからない。

 稀莉ちゃんが口を開く。


「誰だってそうよ。こんな不安定な職業はないの。春アニメで5本出たと思ったら、来期は0本なんてよくあること。最近よく聞くなーっていう声優さんが1年後には姿形なく消えることなんて当然の、サバイバルの世界。戦場なの」


 その通りだ。これは私だけ陥る境遇ではない。


「あんだだけが特別じゃない。声優の誰でも起こることなの」


 私だけの特別な感情ではないのだ。

 そして、彼女は私に無い答えを出す。


「いいじゃん、一発屋だって。そりゃ食っていけないのはよくないし、売れた方がいいのは当然だけど、一発屋でも誰かの心を震わせ、感動させているの。あんたがいるから『空飛びの少女』は面白かったの。そして、それは『これっきりラジオ』も同じ」


 一人の人生としては、一発屋はどうかと思う。でも、誰かの心に残る。作品に刻まられる。確かに輝いたのは一瞬かもしれない。でもその輝きは半永久的に消えることはない。


「それは稀莉ちゃんも同じ」

「当然よ、私がいるから面白いの」

「自信たっぷりだね」

「ええ、だから明日のチケットは完売したの」


 そうだね、と私は頷く。

 何も特別ではない。私だけではない。同じなのだ。なのに、私は自分だけ特別だと思い込んで、悲劇のヒロインぶっていた。


「ごめんね」


 順調でも不安。

 彼女も私で、私も彼女なのだ。

 だからこそ、伝えなければいけない。たとえ私が私でも、言葉にしなくては意味が無い。ぶつかり合うことが必要だったのだ。

 

「いいわ、許す」

「ありがと」


 やっと微笑むことができた。

 彼女も満面の笑みを浮かべる。そして、


「じゃあこれ」

「へ」


 彼女が鞄を漁る。


「こ、これは」

「誓約書」


 出てきたのは、一枚の紙だった。

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