第11章 始まるマチネ

第11章 始まるマチネ①

「あつっ……」


 白のTシャツに、スカート。ラフな格好で、汗を拭いながら、アスファルトの上を歩く。

 7月も終わり、本格的に夏に突入。太陽も絶好調で、できれば家の中でクーラーをがんがんにつけて引きこもっていたいのだが、そういうわけにはいかない。

 最寄駅からタクシーに乗る手もあるが、そんな経費は出るはずもなく、灼熱の大地を一歩一歩進む。

 10分ほど駅から歩き、目的地に辿り着く。ここは都会のビルの中に紛れて存在するレコーディングスタジオだ。普通の人は素通りしてしまう場所に、それなりの広さの建物が存在している。私も最初はなかなか見つけられなかったな。GPSで場所はわかっているのに、迷ったものだ。

 そう、今日は夏アニメの10話目の収録日。アニメは5話までオンエアーされている、ちょっとお色気ハーレムアニメのアフレコだ。

 扉を開け、気持ちを切り替える。ここからは暑さにやられている駄目な私を捨て、爽やかな私に変身だ。


「おはようございます。93プロデュースの吉岡奏絵です。本日は宜しくお願いします!」


 まずは、コントロールルームにいる音響監督、アニメーション監督、プロデューサーさんなどに挨拶をする。もう10話目なので顔なじみのメンバーだ。これがチョイ役だと、人の名前を覚えることなく終わる。こちらも覚えないということは、相手も覚えてくれずに終わる。覚えてくれれば、次の仕事に繋がるかもしれないのだ。私の役はサブヒロインなので、かなりの頻度で登場する。きっと覚えてくれただろう。

 

「おはようございます」

「おはようございます」


 続々と共演者がやってくるので、そそくさと部屋を去り、レコーディングブースへ。ブースの中には先客がいた。


「おっすー、奏絵」

「おはよう、瑞羽」


 さらさらの黒髪ロングがトレードマークの女性声優、西山瑞羽。私と同期で、仲の良い声優だ。


「あっついねー」

「ねー、やってられないよね」


 瑞羽も靴はスニーカーに、上はカットソーに、ズボンのシンプルな格好だ。けして気を抜いているわけではなく、これも立派な仕事着なのだ。

 収録のために動きやすく、雑音を拾わないように音を立てない服、靴。プロとして当たり前のことだ。背の低い女性はヒールを履く人もいるが、そういう場合でもヒールの裏に緩衝材を貼り、音を和らげる工夫をしている。

 ともかくノイズになるものは全て駄目。自分のお腹の音さえ注意しないといけない。


「おつかれさまっすー」

「お疲れ様です」


 共演の女性、男性がブースに入ってきて、賑やかになる。収録前に会話をしておくことはウォーミングアップにはちょうど良い。緊張も幾分か和らぐし、ね。


「夏どこか行きました?」

「ライブが近くて、ずっとその練習」

「ひえー、大変ですね」

「私は少し実家に帰ったぐらいですかね。甥っ子が可愛くて」

「え、さっちんのところ、もう甥っ子さんいるの?」

「ええ、妹が去年産んだんです」

「妹さん!?まだ若いよね」

「そうですね、22歳です」

「うはー」

「まじか」

「私たちとは別世界ですね」


 声優は総じて「行き遅れ」してしまう。特に女性は20、30代のうちが働きどころなので、恋愛にかまけている暇がない。いや、人によってはしっかりと恋愛しているだろうけどさー。基本的に浮いた話は聞かないし、情報として漏れると不味いので、皆、積極的に恋バナはしない。

 そして、いつの間にか30歳になり、後半になり、ファンからも結婚を心配される羽目になる。


「奏絵は何処か行った?」

「私は……」


 一瞬、言うのを迷ったが、隠す必要もないだろうと思い、告げる。


「ネズミのテーマパークに行ったよ」

「え、奏絵さんが」

「さっちん酷くない!?私、そんなに暗そうなキャラしている?」

「ち、違います。奏絵さんは登山や、サーフィンしているイメージでした」

「だいぶ違う!そんなアウトドアキャラじゃないよ」

「あははは」


 ゲラゲラ笑うな、私の同期。


「これっすか、これ」

「男じゃないわい。女の子と」

「女の子?姪でもいたっけ?」

「いないけど」

「え、誘拐して……」

「するか!」

「じゃあ、誰とだよー」

「もしかして」


 勘の良い同期さんは気づく。


「ラジオの相方?」

「そうだよ。稀莉ちゃんとだよ」

「へー、いつの間にそんなに仲良くなったのやら」

「そうなんですね。佐久間さんっていい子だけど、なかなか食事とか来ないから意外ですね。まだ女子高生だから仕方ない部分もありますけど」

「そうなんだよ、まだ女子高生だから門限厳しくってー」

「しょうがないよねー。じゃあ早めに帰ったんだ」

「ううん、パレードまで見たよ」


 言った後、「しまった」とすぐ後悔した。


「え、門限あるのに夜遅くまで連れまわしたの?それはちょっと」

「あー、えー、そういうわけではなくて、お母様からは事前に承諾いただきまして」

「えっ、佐久間さんの母親とも面識があるの」

「え、その面識ありますが、その」

「じゃあ、家まで送ってあげたんですね、優しいですね奏絵さん」

「いや、そういうわけでもなく」

「じゃあ、どういうわけなの?」


 喋る度に、どんどん墓穴を掘っていく。興味津々の3人を前にし、説明しないわけにはいかない。


「えーっと、泊まってきました」


 沈黙が生まれる。


「「「……」」」


 準備ができたのか、音響監督が部屋に入り、

 

「それでは、そろそろ始めますねー」


 私たちに声をかけるが、


「「「ええええええええ」」」

「と、泊まり!?」

「二人っきりで!?」

「私、そういうのいいと思います!」

「やばくね、まずくね?」

「奏絵が遠くにいってしまった……」


 三人の驚きの声でかき消されたのであった。ウォーミングアップとはいったい……。

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