第10章 ふつおたではいられない⑦
髪を乾かし、Tシャツを着る。本当はバスローブや可愛いパジャマを着るべきだと思うのだけど、何だか恥ずかしくて、キャラがどどーんと描かれたフルグラフィックTシャツを着用。これはこれで外に出れない恥ずかしさはある。
気持ち的に重い扉を開け、部屋に戻ると、稀莉ちゃんはベッドの上で正座をしていた。何だこの光景。どうした、稀莉ちゃん?
「ごめんね、長風呂、長シャワー?しちゃって」
「ううん、全然。大丈夫。大丈夫だからっ!」
全然大丈夫そうではないが、それは私も一緒なのでツッコミを入れない。
「お次どうぞ」
「頂戴するわ!」
言葉が怪しい。部屋からダッシュで脱衣所に走り込んでいった。私の痛いTシャツに何も反応なし。私同様、余裕がないのが伺える。
さて、どうしようか。いっそこのまま寝てしまうのも手か。
何もしないでいると冷静になれない。TV、新聞、漫画なんでもいい。私に必要なのは、気を逸らすことだ。
「気を逸らすね……」
なんでもいいはずなのに、選んだのはラジオ。携帯を取り出し、アプリを開く。Webラジオは便利だ。時間や場所を気にせず、いつでも聞くことができる。放送時間になるまで待機する必要がないのだ。便利!文明の進化って素晴らしい。
私たちのお送りする「これっきりラジオ」も通常の放送以外に、Webラジオでも配信されている。1週間限定無料。それより前は有料会員じゃないと聞けない仕組みだ。そうしないと、いざラジオCD発売した時に売れないからね。
けれども、ここで自分達のラジオを聞くのはどうかなと思う。というわけで、別のラジオ番組を探す。
そして、あった。ちょうどいいのが。
それは、私たちの良く知っている人のラジオ。橘唯奈さんがお送りするラジオ番組。「唯奈独尊ラジオ」だった。
***
唯奈「今日も」
スタッフ「世界で1番」
唯奈「私が」
唯奈・スタッフ「可愛い!」
唯奈「唯奈独尊ラジオ―(BGM)」
唯奈「はじまりました、こんばんは。梅雨も明け、最近暑いですね。そういう時は私の声を聞けばさらに熱くなれるわ」
唯奈「熱中症には気を付けるのよ、大事水分」
唯奈「喉が乾いたら、あれを飲みなさい、あれ」
唯奈「あれって、何だっけ……」
唯奈「やば、私がコラボしたドリンク忘れちゃったんだけど」
唯奈「こないだスポンサーになってくれた、炭酸の、レモンの……」
唯奈「さぁ今日も始めるわよ、唯奈ー、独尊ー、ラジオ―!」
唯奈「この番組は、日々の暮らしを豊かにするコンビニ『ステラ』と、あなたの喉を爽快、リフレッシュドリンク『レモンダッシュ』の提供でお送りいたします」
***
「あはははは」
ひどい。最初の掛け声が、「世界で1番私が可愛い」発言。さらにスポンサー様の提供商品を忘れる扱い。
だが、インパクトと勢いがある。名前を忘れたことで、逆に商品名を知りたくなり、すかさず提供が流れるので、『レモンダッシュ』の名は強烈に記憶に刻み込まれる。
うまい。本当に狙ってやっているのだとしたら、あざとすぎる。さすが、私のライバル?だ。
「勉強になるなー」
所詮、私はラジオ新参者。ラジオの世界は奥深い。若い子のラジオだって、良き参考書だ。
ベッドに寝転がりながら、携帯のスピーカーでその後も夢中になって聞き続けたのであった。
× × ×
「あ、上がったわよ」
「ふひひ、腹筋が割れるー」
「……なに、笑っているの?」
「ふへ」
パジャマ姿の稀莉ちゃんと目が合う。腹を抱えてベッドで笑っている私を見下ろしている。
「さっぱりした?」
「ええ、さっぱりしたけど、何しているの?」
「何って」
携帯から人の声が流れる。
「ラジオだよ」
「はぁーーーーーーーーーーー……」
深く深くため息をつく彼女。え、何か私、不味いことした?
彼女が小さな声で呟く。
「これじゃ、私だけが馬鹿みたいじゃない」
しっかりと聞こえたけど、聞こえないふり。
「唯奈さんのラジオ聞いているんだ、唯奈独尊ラジオ」
「あー、あのラジオね。面白いの?」
「けっこう笑える」
「そう」
稀莉ちゃんが私の寝ころぶベッドに近づき、
「お邪魔します」
「へ」
そして、横に寝ころんできた。さっと移動し、スペースを空ける。き、稀莉ちゃん?
「よく聞こえないから、私にも聞かせなさい」
「そ、そうですか」
二人でベッドに横になり、ラジオに耳を傾ける。
最初は緊張していたのに、ラジオに集中すると緊張はすぐ何処かに飛んでいってしまった。
あっという間に唯奈独尊ラジオは終わり、別のラジオを聞き始める。しっかりと聞きながらも、あーだこーだと感想や意見を言うのは新鮮で、楽しすぎる時間だった。
「この声で怒るのはずるい。全然怖くなくて、むしろ怒られたい」
「このほわほわ感は凄いね。私たちにはまねできない」
私たちはラジオのパーソナリティ。
「このツッコミ参考になるわー」
「あんた芸人でも目指すの?」
「え、M1目指すっていったじゃん?」
「言ってないわよ」
こういう時間を切に求めていたんだと、実感する。
「ラジオって面白いね」
「そうね、笑える」
「私たちのラジオもこうやって誰かが聞いてくれているのかな」
「……そうね」
他のラジオを知ることで、自分のラジオを知ることができる。
「イベントで会えるね、リスナーさんに」
「ええ、どんな奴らがくるのかしら」
「あるぽんさんとか来るのかなー」
「実は女の子だったりしたら衝撃ね」
「ぷっ」
「はは」
嬉しい。大好きなラジオについて話せる時間が、共有できる想いが。
「では、夜通しラジオ聞くぞ―」
「えー」
そして、まだまだ始まったばかり。
「すうすう……」
「さすがに2時を過ぎたら寝ちゃうよね」
体力が尽きたのか、途中からしどろもどろになり、稀莉ちゃんは眠りに入ってしまった。
あどけない寝顔。凛とした鼻に、柔らかそうな唇。頬は少し紅潮し、穏やかな寝息をたてる。
私を「好き」な女の子。
「ごめんね」
まだ気持ちが追いつかない。
答えは出ない。
いつかきちんと聞くから、逃げずにしっかりと聞くから、今はごめん。
もう少し、もう少しだけ待ってほしい。
透明な願いが、色をつけて、いつか君に届くように。
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